人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

大阪府堺市にある菅原神社(すがわらじんじゃ)です。

平安後期に創建された古社であり、菅原道真公・天穂日命・野見宿祢を祀っています。

なお、摂社の堺薬祖神社は日本最古の薬祖神社であり、癌封じの神様として崇敬されているそうです。


神社概要

由緒

公式サイトによれば、平安時代に菅原道真公が太宰府で自ら刻んで海に放ったとされる木像(七天神の一つ)が、摂津(北の庄)の海船の浜に流れ着き、これを拾った付近の住人が神体として大切に祀り、摂津国北の庄の氏神となっていたとされます。

その後、天台宗威徳山 天神常楽寺の僧徒が神体を同寺に遷し、長徳3年(997年)に天神社を創建したことが当社の始まりとされ、この際に常楽寺で祀っていた春日明神と山王権現も併せ祀られたとされています。

ちなみに、「堺」という名前は、摂津・河内・和泉の「境」になっていることに由来すると言われ、中世初期には北の庄(摂津)・南の庄(和泉)の二つに分けられていたそうです。

そして 明治時代になると、神仏分離令によって当社から仏教関連のものが廃絶され、天神社という名前も菅原神社に改められて現在に至るとされています。

祭神

菅原神社の祭神は以下の通りです。

・菅原道真公(すがわらのみちざね):平安中期の政治家(死後、天満天神として信仰される)
・天穂日命(アメノホヒ):天照大神の御子神であり、出雲大社の祭主(出雲国造家)の始祖に当た
・野見宿祢(のみのすくね):垂仁天皇の時代の人物で、相撲の祖であり、埴輪を副葬するよう助言したとされる

境内社

堺戎神社

人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

菅原神社の摂社である堺戎神社(さかいえびすじんじゃ)です。

【祭神】

・事代主命(コトシロヌシ):大己貴命(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される

【由緒】

寛文4年(1664年)に現在の戎島町付近に突然島(戎島)が出現したそうです。

その後、寛文6年(1666年)に戎島の海中から石像が発見され、威徳山 天神常楽寺の塔中であった観月院頼弁法印(かんげついんらいべんほういん)が これを祀り、戎島の近くに宮祠を造営したことに始まるとされます。

その後、戎之町の事代主神社を合併し、昭和26年(1951年)に菅原神社の境内に遷座して現在に至るとされています。

堺薬祖神社

人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

菅原神社の摂社である堺薬祖神社(さかいやくそじんじゃ)です。

【祭神】

・少彦名命(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神とされる

【由緒】

応永4年(1397年)に遣明船が帰国し、足利義満に神農の神像を献上され、これを祀ったことが薬祖神社(神農神社)の創建であるとされます。

その後、明治40年(1907年)に菅原神社に合祀されたものの、第二次世界大戦の空襲により焼失してしまったため、昭和30年(1955年)に本殿と拝殿を造営し、日本最古の薬祖神社として現在に至るとされています。

なお、近年は"癌封じの神様"として信仰を集めているそうです。

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

菅原神社の鳥居です。

随身門(楼門)

人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

菅原神社の楼門です。

慶安5年(1652年)に建立され、延宝5年(1677年)に仁王門が造営されたと伝えられているそうです。

臥牛像(神牛)

人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

菅原神社の臥牛像です。

拝殿

人文研究見聞録:菅原神社(堺天神) [大阪府]

菅原神社の拝殿です。

料金: 無料
住所: 大阪府堺市堺区堺区戎之町東2丁1-38(マップ
営業: 6:30~17:00
交通: 大小路駅(徒歩3分)、堺駅(徒歩13分)

公式サイト: http://www.sakaitenjin.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。