鉢かづき姫像 [大阪府]
2015/10/16
大阪府寝屋川市にある鉢かづき姫像(はちかづきひめぞう)です。
『御伽草子』にある寝屋川の昔話「鉢かづき」にちなんで、街中に建てられています。
街中の鉢かづき姫像
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鉢かづき姫像は、寝屋川のマップ案内マスコットとして駅周辺などに立っています。
鉢かづき
寝屋川に伝わる「鉢かづき姫の物語」を紹介します。
鉢かづき姫の物語
昔、河内国の交野郡寝屋というところに備中守 藤原実高(ふじわらのさねたか)という大変裕福な「寝屋の長者」と呼ばれている人が住んでいました。
長者の屋敷は、東西十二町、南北四町、田畑は一千二百余町もあり、それは立派なものでした。実高の奥方は、摂津国の鳴海の里の芦屋長太夫(あしやちょうだゆう)の娘で照見(てるみ)といって16才で長者のもとに嫁いできました。
二人の夫婦仲は大変良く幸せな毎日を送っていましたが、どういうワケか子どもに恵まれませんでした。そこで、子宝に恵まれるよう大和国の初瀬寺(長谷寺)の観音様にお参りを続けていました。
するとある夜、枕元に観音様が現れて「お前に女子を授けるが、鉢を被せて育てるように」告げられました。そこで目を覚ますと、目の前にはお告げのとおりに鉢が置かれていました。それからしばらくして、奥方の照見の方はお告げのとおり女子を授かり、名前を「初瀬(はせ)」と名付けて大切に育てていました。
ところが初瀬姫が14才になったとき、照見の方が病で臥せる日々が続きました。そこで初瀬寺の観音様にお参りを続けて、母の病が直るよう、懸命にお祈りしましたが なかなか良くなりませんでした。やがて母照見の方が死を迎える前に初瀬姫を枕元に呼び寄せ、観音様のお告げのとおりに鉢を被せ、そして静かに息を引き取りました。
実高も初瀬姫も寂しい日々を過ごしますが、実高は後妻を迎えることになりました。後妻の名は浅路(あさじ)といい、器量は良いのですが大変性悪な女で、実高との間に娘が生まれると次第に初瀬姫をいじめるようになり、 遂には初瀬姫を屋敷から追い出してしまいました。
屋敷を追い出された初瀬姫は行く当ても無く、ひたすら歩き続けていると大きな川の堤に出ました。そこで、亡き母のもとに行こうと川に身を投げましたが、 なぜか鉢を被った首から上は沈みません。川に流されていると通りがかりの船に引き上げられましたが、鉢を被った異様な姿に驚かれ、再び川岸に投げ出されてしまいました。
その後、初瀬姫は川岸から上がって足の向くまま歩いていると、道を通る人々も鉢かづきの異様な姿に驚き、逃げて行ってしまいます。そんな時、山陰三位中将に助けられ、湯殿番として働くことになりました。幼いころより下働きなどしたことはなかった初瀬姫ですが、一生懸命に湯殿番として働いていました。
そんなある日、いつものように湯殿番をしていると、山陰三位中将の四男 宰相(さいしょう)から声をかけられ色々な話をするようになりました。まだ独身の宰相は心優しい人で、初瀬姫とは次第にお互い心が惹かれていきました。
やがて二人は婚約を果たしますが、鉢を被った見た目や見すぼらしい姿であった初瀬姫との結婚に兄や兄嫁たちが反対しました。二人はどうしても一緒になれないのなら屋敷を出る覚悟をしていましたが、そこに兄や兄嫁たちは「嫁くらべ」をして勝てば二人の結婚を認めようという条件が出されました。宰相はその場の勢いに飲まれ、それを了承してしまいました。
しかし、「嫁くらべ」の日までもう幾日もありませんでしたので、今から琴や歌などの教養を教えることもできません。二人は覚悟を決めて こっそり屋敷を出ようと手を取った瞬間、今までどうしても外れなかった姫の鉢が頭からポロリと落ちました。
すると、その鉢からはそれは驚くばかりのたくさんの金や着物などの宝物が山のように出てきました。そして、鉢の外れた姫はどこに出しても恥ずかしくない美しさと優しさを兼ね備えた喩え様の無い顔立ちをしていました。
それを以って二人は早速 身支度を整え、「嫁くらべ」の場に臨みました。姫は姿形だけでは無く、琴を弾いても、歌を詠んでも、文字を書いても、誰一人敵う者が居ませんでした。
そこで初瀬姫は皆から認められ、夫婦共々、周りから祝福されて幸せに過ごしました。
昔、河内国の交野郡寝屋というところに備中守 藤原実高(ふじわらのさねたか)という大変裕福な「寝屋の長者」と呼ばれている人が住んでいました。
長者の屋敷は、東西十二町、南北四町、田畑は一千二百余町もあり、それは立派なものでした。実高の奥方は、摂津国の鳴海の里の芦屋長太夫(あしやちょうだゆう)の娘で照見(てるみ)といって16才で長者のもとに嫁いできました。
二人の夫婦仲は大変良く幸せな毎日を送っていましたが、どういうワケか子どもに恵まれませんでした。そこで、子宝に恵まれるよう大和国の初瀬寺(長谷寺)の観音様にお参りを続けていました。
するとある夜、枕元に観音様が現れて「お前に女子を授けるが、鉢を被せて育てるように」告げられました。そこで目を覚ますと、目の前にはお告げのとおりに鉢が置かれていました。それからしばらくして、奥方の照見の方はお告げのとおり女子を授かり、名前を「初瀬(はせ)」と名付けて大切に育てていました。
ところが初瀬姫が14才になったとき、照見の方が病で臥せる日々が続きました。そこで初瀬寺の観音様にお参りを続けて、母の病が直るよう、懸命にお祈りしましたが なかなか良くなりませんでした。やがて母照見の方が死を迎える前に初瀬姫を枕元に呼び寄せ、観音様のお告げのとおりに鉢を被せ、そして静かに息を引き取りました。
実高も初瀬姫も寂しい日々を過ごしますが、実高は後妻を迎えることになりました。後妻の名は浅路(あさじ)といい、器量は良いのですが大変性悪な女で、実高との間に娘が生まれると次第に初瀬姫をいじめるようになり、 遂には初瀬姫を屋敷から追い出してしまいました。
屋敷を追い出された初瀬姫は行く当ても無く、ひたすら歩き続けていると大きな川の堤に出ました。そこで、亡き母のもとに行こうと川に身を投げましたが、 なぜか鉢を被った首から上は沈みません。川に流されていると通りがかりの船に引き上げられましたが、鉢を被った異様な姿に驚かれ、再び川岸に投げ出されてしまいました。
その後、初瀬姫は川岸から上がって足の向くまま歩いていると、道を通る人々も鉢かづきの異様な姿に驚き、逃げて行ってしまいます。そんな時、山陰三位中将に助けられ、湯殿番として働くことになりました。幼いころより下働きなどしたことはなかった初瀬姫ですが、一生懸命に湯殿番として働いていました。
そんなある日、いつものように湯殿番をしていると、山陰三位中将の四男 宰相(さいしょう)から声をかけられ色々な話をするようになりました。まだ独身の宰相は心優しい人で、初瀬姫とは次第にお互い心が惹かれていきました。
やがて二人は婚約を果たしますが、鉢を被った見た目や見すぼらしい姿であった初瀬姫との結婚に兄や兄嫁たちが反対しました。二人はどうしても一緒になれないのなら屋敷を出る覚悟をしていましたが、そこに兄や兄嫁たちは「嫁くらべ」をして勝てば二人の結婚を認めようという条件が出されました。宰相はその場の勢いに飲まれ、それを了承してしまいました。
しかし、「嫁くらべ」の日までもう幾日もありませんでしたので、今から琴や歌などの教養を教えることもできません。二人は覚悟を決めて こっそり屋敷を出ようと手を取った瞬間、今までどうしても外れなかった姫の鉢が頭からポロリと落ちました。
すると、その鉢からはそれは驚くばかりのたくさんの金や着物などの宝物が山のように出てきました。そして、鉢の外れた姫はどこに出しても恥ずかしくない美しさと優しさを兼ね備えた喩え様の無い顔立ちをしていました。
それを以って二人は早速 身支度を整え、「嫁くらべ」の場に臨みました。姫は姿形だけでは無く、琴を弾いても、歌を詠んでも、文字を書いても、誰一人敵う者が居ませんでした。
そこで初瀬姫は皆から認められ、夫婦共々、周りから祝福されて幸せに過ごしました。
住所: 大阪府寝屋川市
交通: 東寝屋川駅
交通: 東寝屋川駅
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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