西出鎮守稲荷神社(チヂミ神社) [兵庫県]
2016/10/23
兵庫県神戸市にある西出鎮守稲荷神社(にしでちんじゅいなりじんじゃ)です。
江戸中期には既に鎮座していたとされる稲荷神社であり、地元では「ちぢみさん」と呼ばれて親しまれているそうです。
また、本殿にはピリケン菩薩(ビリケン)も祀られています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、当社の沿革は定かではないものの、江戸時代の寛政年間(1789~1801年)には既に鎮座しており、商売繁盛・交通安全・防火守護の御利益のある「ちぢみさん」として、西出町の住民に親しまれてきたとされます。
また、境内の一角には文政7年(1824年)に海の豪商として活躍した高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)から献上された石灯篭があり、その他にも平清盛の弟・経盛の第二子である平経俊(たいらのつねとし)の塚があります。
祭神
西出鎮守稲荷神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・宇賀魂命(ウカノミタマ):稲荷神であり、当社では商売繁盛・交通安全・防火守護の神として祀られる
→ 伏見稲荷などの稲荷神社の主祭神であり、宇迦之御魂神、倉稲魂命と表記されて祀られることが多い
→ 『古事記』では、スサノオとカムオオイチヒメの子神であるとされる
配祀神?
・ピリケン菩薩(ビリケン):1908年(明治41年)に米国の女流彫刻家が見た夢に登場した神とされる
→ 足の裏をくすぐって笑えば願いが叶うと言われ、幸運を呼ぶマスコットが流行した(国内では通天閣が有名)
→ 昭和期に造られたとされるビリケン像で、戦前に作られた二対の内の一体とされる
・宇賀魂命(ウカノミタマ):稲荷神であり、当社では商売繁盛・交通安全・防火守護の神として祀られる
→ 伏見稲荷などの稲荷神社の主祭神であり、宇迦之御魂神、倉稲魂命と表記されて祀られることが多い
→ 『古事記』では、スサノオとカムオオイチヒメの子神であるとされる
配祀神?
・ピリケン菩薩(ビリケン):1908年(明治41年)に米国の女流彫刻家が見た夢に登場した神とされる
→ 足の裏をくすぐって笑えば願いが叶うと言われ、幸運を呼ぶマスコットが流行した(国内では通天閣が有名)
→ 昭和期に造られたとされるビリケン像で、戦前に作られた二対の内の一体とされる
境内社
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西出鎮守稲荷神社の境内社は以下の通りです。
・日向社:安産守護の神徳がある
・白竜社:浄水守護の神徳がある
・白竜社:浄水守護の神徳がある
境内の見どころ
鳥居
西出鎮守稲荷神社の鳥居です。
高田屋嘉兵衛の献上灯篭
西出鎮守稲荷神社にある高田屋嘉兵衛の献上灯篭です。
文政7年(1824年)に嘉兵衛が海上安全を願って献上した石灯篭であるとされています。
平経俊乃墳(平経俊塚)
西出鎮守稲荷神社にある平経俊の塚です。
平清盛の甥である平経俊(たいらのつねとし)の墓所であり、現在では子供の守護神(夜泣きの神様)として祀られています。
また、『福原鬢鑑』によれば、古くは佐比江の堤にあったとされ、後に当地に移築されたと考えられているそうです。
なお、平経俊について案内板では以下のように説明しています。
平経俊公の由来
若狭守経俊は平清盛の甥で、一の谷の合戦に華と散った平敦盛の兄である。
湊川の合戦で鵯越(ひよどりごえ)の守備に就いていたが、戦利あらず長田の森を経て西出の浜へと落ち延びてきたところを源範頼の郎党・名和太郎に追い迫られ、勇ましくも組打となって当地で落命した。時に寿永3年(1184年)2月、御歳わずか18才であった。
明治以降は太陽暦になったので、以来3月7日を命日として御霊祭を執り行っている。古来は特に子供の守護神(夜泣きの神様)として信仰されている。
若狭守経俊は平清盛の甥で、一の谷の合戦に華と散った平敦盛の兄である。
湊川の合戦で鵯越(ひよどりごえ)の守備に就いていたが、戦利あらず長田の森を経て西出の浜へと落ち延びてきたところを源範頼の郎党・名和太郎に追い迫られ、勇ましくも組打となって当地で落命した。時に寿永3年(1184年)2月、御歳わずか18才であった。
明治以降は太陽暦になったので、以来3月7日を命日として御霊祭を執り行っている。古来は特に子供の守護神(夜泣きの神様)として信仰されている。
本殿
西出鎮守稲荷神社の本殿です。
ピリケン菩薩
西出鎮守稲荷神社の本殿に安置されているピリケン菩薩です。
当社のものは昭和期に作られた木像で、戦前に作られた2体の内の1体であるとされています。
なお、ピリケン菩薩について案内板では以下のように説明しています。
鎮守稲荷のピリケンさん
神社の本殿にピリケンさんが祀られており、ガラス越しに見ることができます。
空洞になった寄木作りの胎内から「永政天大」「昭和五年十月五日」「ピリケン菩薩」と記された小石が出てきたことから、その頃に作られたものと思われます。
ビリケンさんは1908年(明治41年)に、米国の女性彫刻家が夢に見た神様をモデルに作りました。足の裏をくすぐり、笑えば願いが叶うといわれ、幸運のマスコットとして世界的に大流行しました。
戦前に作られたビリケンさんは、国内では2体だけで、もう1体は東出町の松尾稲荷神社にあり、福の神「松福様」として多くの参拝者の篤い信仰を集めています。
神社の本殿にピリケンさんが祀られており、ガラス越しに見ることができます。
空洞になった寄木作りの胎内から「永政天大」「昭和五年十月五日」「ピリケン菩薩」と記された小石が出てきたことから、その頃に作られたものと思われます。
ビリケンさんは1908年(明治41年)に、米国の女性彫刻家が夢に見た神様をモデルに作りました。足の裏をくすぐり、笑えば願いが叶うといわれ、幸運のマスコットとして世界的に大流行しました。
戦前に作られたビリケンさんは、国内では2体だけで、もう1体は東出町の松尾稲荷神社にあり、福の神「松福様」として多くの参拝者の篤い信仰を集めています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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