六甲比命神社(六甲比命大善神社) [兵庫県]
2017/01/29
兵庫県神戸市の六甲山にある六甲比命大善神社(ろっこうひめだいぜんじんじゃ)です。
六甲山の巨大磐座である六甲比命大善神を御神体とする神社であり、中には六甲山関係の様々な資料が置かれています。
神社概要
由緒
当社は六甲山に位置する六甲比命大善神(セオリツヒメの磐座)という巨岩(磐座)を御神体とする神社であり、大正5年(1916年)に付近にある心経岩が再建された際に小祠が設けられたことに始まるとされます。
また、六甲比命大善神および周辺にある仰臥岩・雲ヶ岩・心経岩は、7世紀にインドから渡来した法道仙人が創建した吉祥院多聞寺 (神戸市北区)の奥の院となっており、古くは奈良の天川村の洞川より唐櫃に移住した役行者の縁者である四鬼家によって管理されていたそうです。
なお、現在は六甲比命講によって管理されており、毎年の春秋には護摩供養が催されているとされています。
六甲比命神社の沿革
・大正5年(1916年):心経岩の再建と共に、小祠が設置される
・昭和43年(1968年)6月:祠が新築され、階段も新設される
・平成6年(1994年)10月:本殿が新設される
・平成8年(1996年)11月:拝殿が新設され、階段が改築される
・大正5年(1916年):心経岩の再建と共に、小祠が設置される
・昭和43年(1968年)6月:祠が新築され、階段も新設される
・平成6年(1994年)10月:本殿が新設される
・平成8年(1996年)11月:拝殿が新設され、階段が改築される
アクセス、歴史、概要についてはこちらの記事を参照:【六甲比命大善神】
祭神
六甲比命神社の祭神は以下の通りです。
・六甲比命大善神(ろっこうひめだいぜんのかみ):御神体の磐座で祀られる神
→ 現在では「ロッコウヒメ(六甲姫・六甲比女)」と呼ばれる(俗称 ヒメさん)
→ 近世まで「むこうひめ」と呼ばれていた(当初は「むかつひめ」と呼ばれていたと推定される)
⇒ 祭神名は六甲の山名の変遷と共に変わってきたとされる
⇒ 廣田神社(西宮市)の主祭神・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同神と推定される
→ 本尊は弁財天(べんざいてん)とされる
⇒ 天河大弁財天社(奈良県吉野郡天川村)の祭神と同神とされることに由来すると考えられている
→ 『ホツマツタヱ』に登場するアマテル(天照大御神)の后・セオリツヒメ(瀬織津姫)と推定される
⇒ 文中の記述からセオリツヒメ(ムカツヒメ)の墓所と推定される
→ 現在では「ロッコウヒメ(六甲姫・六甲比女)」と呼ばれる(俗称 ヒメさん)
→ 近世まで「むこうひめ」と呼ばれていた(当初は「むかつひめ」と呼ばれていたと推定される)
⇒ 祭神名は六甲の山名の変遷と共に変わってきたとされる
⇒ 廣田神社(西宮市)の主祭神・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と同神と推定される
→ 本尊は弁財天(べんざいてん)とされる
⇒ 天河大弁財天社(奈良県吉野郡天川村)の祭神と同神とされることに由来すると考えられている
→ 『ホツマツタヱ』に登場するアマテル(天照大御神)の后・セオリツヒメ(瀬織津姫)と推定される
⇒ 文中の記述からセオリツヒメ(ムカツヒメ)の墓所と推定される
境内の見どころ
拝殿
六甲比命神社の拝殿です。
御神体の手前に位置しており、中に入って参拝する形となっています。
拝殿内
六甲比命神社の拝殿内の様子です。
中には賽銭箱が設置されており、供物や様々な資料も置かれています。
資料
六甲比命神社の拝殿内には六甲山に関する様々な資料が置かれています(一部有料)。
また、神代文字で記された文献である『ホツマツタヱ』に関する資料も閲覧することができます。
本殿
六甲比命神社の本殿です。
拝殿内に供物や蝋燭・線香を供えて、室内から拝む形となっています。
御神体(六甲比命大善神)
六甲比命神社の御神体である六甲比命大善神です。
拝殿の背後に鎮座する荘厳な巨大磐座であり、拝殿脇の階段を下ると間近で拝むことができます。
アクセス、歴史、概要についてはこちらの記事を参照:【六甲比命大善神】
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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