皇大神宮(伊勢神宮 内宮) [三重県]
2018/01/20
三重県伊勢市にある皇大神宮(こうたいじんぐう)です。
内宮(ないくう)とも呼ばれる伊勢神宮の正宮の一つであり、主祭神に天照坐皇大御神(天照大御神)を祀っています。
一般的には「お伊勢さん」の名で親しまれており、全国の神明神社の総本社にもなっています。
また、江戸時代には「お蔭参り」という伊勢神宮への集団参詣が流行し、全国から参詣者が集まったとされています。
今でも全国から参詣者が訪れる神社であり、パワースポットを超える日本屈指の聖域としても有名です。
神社概要
由緒
社伝によれば、垂仁天皇26年(紀元前1世紀頃)の創建と伝えられ、経緯については正史である『日本書紀』に記されています。
『日本書紀』によれば、天照大神は第10代崇神天皇の時代まで、倭大国魂神と共に宮中(皇居の中)で祀られていたとされます(パンフレットによれば、天照大神の神霊は御霊代である「鏡」に宿っているとされる)。
崇神天皇は、二神と共に住むのは畏れ多いため宮中の外で祀ることとし、天照大神を皇女の豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)に託して、倭の笠縫邑に祀らせたとされています(現在の「檜原神社」に当たるといわれる)。
以来、豊鍬入姫命は御杖代(みつえしろ、天照大神に奉仕する巫女)として各地を巡幸し、第11代垂仁天皇の時代には皇女の倭姫命(ヤマトヒメ)が御杖代を継いで巡幸を続けたとされます(巡幸の途中で天照大神が留まった地は「元伊勢」と呼ばれる)。
そして、倭姫命が伊勢に訪れた際に、天照大神から「是の神風の伊勢の国は常世之浪重浪帰(とこよのなみしきなみよ)する国なり。傍国可怜国(かたくにのうましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ」との神託が下ったため、当地に鎮座することになったと伝えられています。
なお、外宮(豊受大神宮)は、この500年後に当たる第21代雄略天皇の時代に、天照大神から天皇に神託が下ったことから、丹波国から「豊受大神」が遷し祀られたことに始まるとされます(元は現在の「真名井神社」に当たるといわれる)。
また、『日本書紀』には「壬申の乱」で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮に戦勝祈願して戦に勝利したとあり、伊勢神宮の公式HPには 第40代天武天皇、第41代持統天皇の時代に伊勢神宮を「神宮(神の宮殿)」と呼ばれるほど大規模に造成したとされています。
なお、式年遷宮もこの時代から始まったとされており、一説に この大規模な神宮の造成は渡来系氏族である「秦氏」が行ったとも云われています。
また、天武天皇以降、伊勢神宮に奉仕する巫女として皇女から「斎王(さいおう)」が排出されるようになり、その斎王の御所として「斎宮(さいくう)」が設けられ、その世話を担う「斎宮寮(さいくうりょう)」という役所も制度として成立しました。
そのため、天皇が即位すると未婚の内親王(または女王)の中から、「卜定(ぼくじょう)」と呼ばれる占いの儀式で斎王が選ばれたそうです。なお、この制度は鎌倉後期から徐々に衰退していき、中世の「延元の乱」を以って途絶したとされています。
中世の伊勢神宮は戦乱の影響から領地を荒らされ、式年遷宮が行えないほど荒廃していたとされますが、そのときに伊勢神宮で祭司を執っていた御師(おんし)によって外宮に祀られている豊受大御神への信仰が広められ、農民に伊勢神宮へ参詣してもらうように暦を配るなど布教活動が行われたそうです。
それにより、当時盛んに行われていた寺院巡礼と相俟って神社巡礼も行われるようになり、江戸時代には交通網の発達と現世利益中心の思想が広まったことから「お蔭参り(おかげまいり)」という伊勢神宮への集団参詣が全国で流行したとされています。
なお、お蔭参りに際し、伊勢までの旅費を組織立てて捻出して代表者をくじ引きで決める「お伊勢講(おいせこう)」という仕組みまで作られたんだそうです。
そうした歴史を踏襲して伊勢神宮は特別な神社とされており、今でも全国から篤く崇敬されています。
関連記事:【伊勢神宮の関連知識】、【伊勢にまつわる伝説・伝承】
祭神
八頭(八頭花崎八葉形) |
皇大神宮の祭神は以下の通りです。
主祭神
・天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ):最高の神格を持つ太陽を神格化した神(皇祖神)
→ 三種の神器の1つである八咫鏡(やたのかがみ)を神体とする
⇒ 『倭姫命世記』などによればこの八咫鏡は「八頭(八頭花崎八葉形)」という
→ 通称は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と呼ばれる(天照大神とも)
→ 伊勢神宮では「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」あるいは「皇大御神(すめおおみかみ)」と呼ばれる
⇒ 神職が神前で神名を唱えるときは「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と言う
→ 『倭姫命世記』によれば、「大日靈貴(オホヒルメノムチ)」という
→ 『日本書紀』によれば、「大日靈貴(オオヒルメノムチ)」はイザナギ・イザナミに産み出された日神とされる
⇒ 『日本書紀』では、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は別の書による神名と記される
→ 『古事記』によれば、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」はイザナギの左眼から化成したとされる
⇒ 『古事記』では、イザナギの禊から化成した最後の三神(三貴子)は誕生したときから特別に尊いとされた
⇒ 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は『古事記』による名称である
相殿神
・天手力男神(あめのたぢからおのかみ):天岩戸神話でアマテラスを岩戸から引っ張り出した神
→ 左方に祀られており、弓を神体とする
・万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめのみこと):オシホミミの妻、ホアカリとニニギの母に当たる神
→ 右方に祀られており、剣を神体とする
境内社
別宮
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境内にある内宮別宮は以下の通りです。
・荒祭宮:天照坐皇大御神荒御魂を祀る
・風日祈宮:級長津彦命、級長戸辺命を祀る
・風日祈宮:級長津彦命、級長戸辺命を祀る
所管社
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境内にある内宮所管社は以下の通りです。
・興玉神:興玉神を祀る(正宮内)
・宮比神:宮比神を祀る(正宮内)
・屋乃波比伎神:屋乃波比伎神を祀る(正宮内)
・滝祭神:瀧祭大神を祀る
・御酒殿神:御酒殿神を祀る
・御稲御倉:御稲御倉神を祀る
・由貴御倉:由貴御倉神を祀る
・四至神:四至神を祀る
・大山祇神社:大山祇神を祀る
・子安神社:木花開耶姫神を祀る
・宮比神:宮比神を祀る(正宮内)
・屋乃波比伎神:屋乃波比伎神を祀る(正宮内)
・滝祭神:瀧祭大神を祀る
・御酒殿神:御酒殿神を祀る
・御稲御倉:御稲御倉神を祀る
・由貴御倉:由貴御倉神を祀る
・四至神:四至神を祀る
・大山祇神社:大山祇神を祀る
・子安神社:木花開耶姫神を祀る
その他の関連社はこちらを参照:【皇大神宮(伊勢神宮 内宮)の関連社】
関連知識
元伊勢について
元伊勢(もといせ)とは「伊勢神宮が現在地に遷る前に祀られたという伝承を持つ神社・場所」を指します。
その場所は、アマテラスの神霊を託された皇女(崇神天皇代は豊鍬入姫命、垂仁天皇代は倭姫命)の足跡を追うことで明らかになります。
以下が、その大まかな伝承地です。
豊鍬入姫命 巡歴
01.大和国(倭国):奈良県桜井市・磯城郡・高市郡明日香村
02.丹波国(但波国):京都府宮津市・福知山市・舞鶴市・京丹後市
03.倭国:奈良県桜井市
04.木乃国(紀伊国):和歌山県和歌山市
05.吉備国:岡山県岡山市・倉敷市・高梁市・総社市、広島県福山市、和歌山県海南市・有田郡
06.倭国:奈良県桜井市
倭姫命 巡歴
07.大和国(倭国):奈良県宇陀市
08.伊賀国:三重県名張市、伊賀市
09.近江国(淡海国):滋賀県甲賀市・湖南市・米原市
10.美濃国:岐阜県瑞穂市・安八郡
11.尾張国:愛知県一宮市・清須市
12.伊勢国:三重県桑名市・亀山市・津市・松坂市・多気郡・伊勢市
外宮先祭
伊勢神宮には外宮先祭(げくうせんさい)という、外宮から先に祭りを行うという習わしがあります。
公式サイトによれば、豊受大御神(外宮祭神)が天照大御神(内宮祭神)の食事を司る神であることから、内宮に先立って外宮に神饌を供えるとされ、この順序にならって外宮から先に参拝する習わしとなっているそうです。
また、『太神宮諸雑事記(伊勢神宮の古記録)』にある 天照大御神の「我が祭りに仕え奉る時は、先ず豊受の神の宮を祭り奉るべし、しかる後に我が宮の祭り事を勤仕べし」という命令に由来しているともいわれています。
関連記事:【豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)】、【伊勢神宮の関連知識】、【伊勢神宮の豆知識】
境内の見どころ
宇治橋
皇大神宮の宇治橋(うじばし)です。
内宮の表玄関に当たり、出入口には鳥居が建てられています。
この鳥居は旧正殿棟持柱(むなもちばしら)をリサイクルしているんだそうです。
神苑
皇大神宮の神苑です。
多数の松が植えられており、奥へ進むと大正天皇が皇太子時代に植えられた大正天皇御手植松もそびえ立っています。
神鶏
伊勢神宮の神使である神鶏(しんけい)です。
神苑をはじめとする境内に放し飼いにされています。
手水舎
皇大神宮の手水舎です。
正宮参拝の前にここで禊を行います。
一の鳥居(第一鳥居)
皇大神宮の一の鳥居です。
ここをくぐると空気が変わるのが分かります。
五十鈴川御手洗場
皇大神宮の五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらしば)です。
参拝する前に心身を清める場所とされており、元来ここで手水を行っていたとされています。
瀧祭神
皇大神宮の瀧祭神(たきまつりのかみ)です。
社殿を持たない神社であり、五十鈴川の水源の神である瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)を祀っています。
地元では天照大神に願い事を取り次いでくれると言われているため、「おとりつぎさん」として親しまれているそうです。
なお、板垣の内側には神体の石が安置されており、四至神と同様に磐座形式で祀られているものと思われます。
風日折宮
皇大神宮の風日折宮(かざひのみのみや)です。
内宮の境内別宮であり、風神である級長津彦命(シナツヒコ)・級長戸辺命(シナツヒメ)を祀っています。
鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の際に朝廷がここで祈祷をしたところ、神風が吹いて元軍は退却したと云われています。
そのため、日本を守った風神を祀る社として尊崇されているそうです。
神楽殿
皇大神宮の神楽殿(かぐらでん)です。
お祓いを受ける際にはここで祈祷が行われ、祈祷が終わると御神札と神饌(おさがり)が頂けます。
籾だね石
皇大神宮の籾だね石(もみだねいし)です(正宮の石垣の角、荒祭宮方面にある)。
江戸時代に、五十鈴川の川上にあった巨石が住民によって長年かけて運ばれ、奉納されたと云われています。
その間に飢饉があり、種籾まで食べ尽くしてしまったということから「籾種石」と呼ばれているそうです。
正宮
皇大神宮の正宮です。
主神である天照大御神(アマテラス)と相殿神が祀られています。
神職が祭祀をする際には拍手は「八拍手」で行うとされていますが、一般的には「二礼二拍手一礼」で良いそうです。
御贄調舎
皇大神宮の御贄調舎(みにえちょうしゃ)です。
由貴大御饌(ゆきのおおみけ)の際に行われる御贄調理の儀で、アワビを調理する場所とされています。
御贄調舎の磐座
御贄調舎の奥にある磐座です。
儀式の際には、この磐座に天照大御神の御饌都神である豊受大御神が降臨すると云われています。
御稲御倉
皇大神宮の御稲御倉(みしねのみくら)です。
祭神に御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)を祀っており、ここへも参拝することができます。
なお、祭神は平安期には保食神(ウケモチ)とされ、鎌倉期にはウカノミタマとされていたそうです。
外幣殿
皇大神宮の外幣殿(げへいでん)です。
撤下された神宝を保管する建物とされています(神は祀られていません)。
荒祭宮
皇大神宮の荒祭宮(あらまつりのみや)です。正宮参拝後に参拝するのが正しいとされています。
内宮の境内別宮であり、祭神に天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)を祀っています。
踏まぬの石
荒祭宮の石段の途中にある踏まぬ石です。
名前の通り「踏んではならず、避けて通らなければならない」とされています。
ちなみに、天から降ってきた石であるという言い伝えがあるそうです。
四至神
皇大神宮の四至神(みやのめぐりのかみ)です。
祭神の四至神は、神域の四方の境界を守護する神域(宮域)の守護神であるとされています。
社殿を持たない磐座形式で祀られており、ここへも二礼二拍手一礼で参拝するのが正しいとされています。
しかし、手をかざすとパワーがもらえるという俗説が広まったために、手をかざしている参拝客が多くみられます。
五丈殿
皇大神宮の五丈殿(ごじょうでん)です。
摂末社の遥祀などを行なう場所とされています。
忌火屋殿
皇大神宮の忌火屋殿(いみびやでん)です。
忌火(いみび)とは「清浄な火」の意であり、忌火屋殿は神饌(しんせん)を調理する場所とされています。
なお、忌火を焚くのに御火鑽具(みひきりぐ)という木を擦り合わせて発火させる古典的な器具を使っているそうです。
また、神事をはじめとする全ての火は、ここで起こした「忌火」を使用しているとされています。
由貴御倉
皇大神宮の由貴御倉(ゆきのみくら)です。
かつては由貴大御饌(ゆきのおおみけ)で供える御料の御贄(みにえ)を奉納する倉であったとされています。
現在は由貴御倉の守護神である由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)を祀っているんだそうです。
御酒殿
皇大神宮の御酒殿(みさかどの)です。
祭神に酒の神である御酒殿神(みさかどののかみ)を祀っています。
御厩
皇大神宮の御厩(みうまや)です。
皇族から奉納された神馬(しんめ)を飼育する施設であり、内御厩・外御厩があります。
内宮で神馬が見られる時期(時間帯)は不定期とされ、運次第で見ることができます。
神馬は暑さに弱いとされているため、夏期を避けた気温の落ち着いた時期が良いそうです。
参集殿
皇大神宮の参集殿(さんしゅうでん)です。
参拝者用の休憩施設であり、茶湯が用意されているほか、神宮のビデオ上映も行われています。
また、中にある能舞台は奉納行事などに使用されるんだそうです。
なお、ここでも御札や御守を受けることができます。
鯉池
皇大神宮の鯉池です。
参集殿の付近にあり、ここでは非常に美しい錦鯉を見ることができます。
子安神社
皇大神宮の子安神社(こやすじんじゃ)です。
宇治橋から左手に向かったところにあり、祭神に木花開耶姫神(コノハナサクヤヒメ)を祀っています。
子授け、安産、子育ての信仰があり、神前には その願掛けのための小さな鳥居が奉納されていることがあります。
なお、元は宇治館町の産土神であったとされているそうです。
大山祇神社
皇大神宮の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)です。
子安神社の横にあり、祭神に山の守護神とされる大山祇神(オオヤマツミ)を祀っています。
おはらい町
皇大神宮の門前町であるおはらい町です。
伊勢市の代表的な観光地であり、伊勢名物の赤福本店をはじめとする伊勢名物を提供する飲食店が軒を連ねています。
また、串焼きやコロッケ、さつま揚げなど食べ歩きのできる食品も多数販売されています。
なお、17:00を超えると多くの店が閉店するので、日暮れの前に廻ることをオススメします。
楓神社
おはらい町の一角に鎮座する楓神社(かえでじんじゃ)です。
古くより山の神を祀っていたとされ、明治時代には宇治四町の氏神を祀る「宇治山神社」があったとされています。
なお、宇治山神社は、現在は内宮の西にある山の中腹に「宇治神社」として祀られています。
おかげ横丁
おはらい町の一角にあるおかげ横町です。
伊勢名物を提供する飲食店をはじめ、お土産品や工芸品を販売する店舗が集中的に立ち並んでいます。
また、おかげ座神話の館では「日本神話」を映像と和紙人形で体感することができるそうです。
灯篭
皇大神宮の周辺の灯篭には「菊花紋章」と「六芒星」が刻まれています。
伊勢神宮は無関係としているそうですが、一説には「日ユ同祖論※」の物証であると言われています。
※日ユ同祖論:日本人と古代イスラエル人の祖先が同一の祖先であるという都市伝説
料金: 参拝無料
住所: 三重県伊勢市宇治館町1(マップ)
営業: 5:00~18:00(夏期19:00、冬季17:00)
交通: 伊勢市駅または宇治山田駅からバス、五十鈴川駅(徒歩39分)
公式サイト: http://www.isejingu.or.jp/
住所: 三重県伊勢市宇治館町1(マップ)
営業: 5:00~18:00(夏期19:00、冬季17:00)
交通: 伊勢市駅または宇治山田駅からバス、五十鈴川駅(徒歩39分)
公式サイト: http://www.isejingu.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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