人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

奈良県桜井市三輪にある檜原神社(ひばらじんじゃ)です。

大神神社の摂社であり、祭神に天照若御魂神、伊弉諾尊、伊弉册尊を祀っています。

当地は『日本書紀』にある「倭笠縫邑」の伝承地であり、「天照大神が初めて宮中から遷し祀られた場所」と云われています。

そのため、「元伊勢」の第一号とされ、由緒の深い神蹟であるとされています。

なお、当社は社殿を持たない古い形式で祀られており、大神神社と同じ「三ツ鳥居」が見られることが珍しいです。


神社概要

由緒

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

『日本書紀』によれば、皇祖神である天照大御神(アマテラス)は代々天皇の皇居で祀られており、第10代崇神天皇の御代に初めて宮中から遷し祀られることになったとされます。そのとき、初めて祀られた場所が倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)であり、それが檜原神社の建つ当地のことであると云われています。

なお、天照大御神が宮中から遷し祀られることになった際、その役を担ったのが崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)であるとされ、豊鍬入姫命は天照大御神の御杖代(斎王)となって倭笠縫邑を訪れ、磯城神籬(神が降りる場所)を立てて神を祀ったとされています。

この後、豊鍬入姫命は各地を巡幸して天照大御神の鎮まるべき場所を探すのですが、この巡幸した場所を「元伊勢(もといせ)」といい、当地が「元伊勢」の第一号であると伝えられています。

なお、案内板による説明は以下の通りです。

【案内板 その1】

(元伊勢)檜原神社と豊鍬入姫宮の御由緒

大神神社の摂社「檜原神社」は天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」は崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命を お祀りしています。

第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿」で お祀りされていました。同天皇の六年 初めて皇女・豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され、宮中を離れ、この「倭笠縫邑」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立てて お祀りされました。

その神蹟は実に この檜原の地であり、大御神の伊勢御御幸の後も その御蹟を崇敬し、檜原神社として大御神を引続き お祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。

檜原神社は、また日原社とも称し、古来 社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。

万葉集には「三輪の松原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西に続く檜原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。

また「茅原(ちはら)」は、『日本書紀』崇神天皇七年の「神浅茅原(かむあさちはら)」の地とされています。さらに西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。

【案内板 その2】

檜原神社は元伊勢(もといせ)といわれています。

御祭神・天照大御神様は初代・神武天皇から第9代開化天皇の御代まで、それぞれの皇居で お祀りされておりました。

第10代崇神天皇の時「同床共殿の神勅(どうしょうきょうでんのしんちょく)」によって初めて皇居から「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に遷し、皇女・豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ)に託(つ)け祭られました。

その後、天照大御神さまは永久に鎮まる所として伊勢の地を選ばれ、今の伊勢で神宮が創始されました。檜原神社は、その御神蹟として御奉斎申し上げております。

【案内板 その3】

第10代崇神天皇の御代、それまで皇居で祀られていた「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」を、皇女・豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ)に託し、ここ檜原の地(倭笠縫邑)に遷し お祀りしたのが始まりです。

その後、大神様(天照大御神)は第11代垂仁天皇25年に永久の宮居を求めて各地を巡幸され、最後に伊勢の五十鈴川の上流に御鎮まり、これが伊勢の神宮(内宮)の創祀と云われています。

祭神

檜原神社の祭神は以下の通りです。

・天照大神若御魂神(あまてらすおおみかみのわかみやたまのかみ):天照大神(アマテラス)の若御魂とされる
 → 天照大神(アマテラス):太陽を神格化した三貴子の一柱であり、皇室の祖となったとされる
・伊弉諾命(イザナギ):国産み・神産みの男神で、天照大御神の父神に当たる(『日本書紀』ほか)
 → 『古事記』では、天照大御神は黄泉国から帰ったイザナギが禊をした際に左目から生まれたとされる
・伊弉冊命(イザナミ):国産み・神産みの女神で、天照大御神の母神に当たる(『日本書紀』ほか)

境内社・豊鍬入姫宮

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

檜原神社の境内社である豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)です。

案内板によれば、昭和61年に豊鍬入姫命の威徳を讃えて創祀された神社であり、現在でも皇室関係の方に奉仕されているそうです。

【由緒】※案内板を転載

御祭神は第十代崇神天皇の皇女(豊鍬入姫命)であります。

皇女は「天照大御神」を この「倭笠縫邑」に お遷しし、初代の御杖代(みつえしろ、斎王)として奉仕された その威徳を尊び奉り、昭和61年11月5日に創祀されたものであります。

斎王とは天皇に代わって大神様に お仕えになる方で、その伝統は脈々と受け継がれ、現代においても皇室関係の方が御奉仕されています。

【祭神】

・豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ):第10代崇神天皇の皇女で、天照大御神の御杖代となったとされる

関連知識

豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ)とは?

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ)とは、『記紀』に登場する第10代崇神天皇の皇女であり、宮中で祀っていた天照大神(アマテラス)を託され、倭の笠縫邑に祀った天照大神の初代の御杖代(神の杖代わりとなって奉仕する者)であるとされます。

『日本書紀』には、この契機となった以下のような説話が記されています。

第10代崇神天皇5年、国中で疫病が流行り、国民の半数が死亡した。

翌年、百姓の中から流浪する者や背く者が現れたことから、ますます国が荒廃していき、徳(うつくしび)を持って治めることが難しくなった。そのため、朝まで寝ずに神祇を祀り、疫病の平癒を祈願したのである。

これ以前のこと、天照大神(アマテラス)・倭大國魂神(ヤマトオオクニタマ)の二神は、皇居の中で並べて祀られていた。

そこで、天照大神を豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ)に付けて倭の笠縫邑に祀ることにした。豊鋤入姫命は磯堅城(しかたき)に神籬(ひもろぎ)を立てて神を祀った。

また、倭大國魂神は渟名城入姫命(ヌナキイリヒメ)に付けて祀ることにしたが、渟名城入姫命は髪が抜け落ちて祀ることができなかった。

なお、『古事記』には「豊鉏比売命(トヨスキヒメ)は伊勢大神の宮に入った」と記されています。

上記のことから、豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメ)は初めて宮中から出された天照大神の初代斎王(神に奉仕する巫女)であると言うことができ、倭笠縫邑以降も天照大神と共に各地を巡幸したということが元伊勢伝承によって伝えられています。

また、第11代垂仁天皇の御代になると、天照大神を倭姫命(ヤマトヒメ)に託したとされています。

『ホツマツタヱ』におけるトヨスキヒメ(豊鋤入姫命)

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

神代文字で記された文献である『ホツマツタヱ』には、トヨスキヒメ(豊鋤入姫命)の記録が『記紀』よりも詳細に記されています。その内容は以下の通りです。

【トヨスキヒメの略歴】

・ミマキイリヒコ(崇神天皇)の内侍(側室)のトオツアヒメクハシヒメはトヨスキヒメ(豊鋤入姫命)を生んだ
・崇神天皇4年、天皇は神から預かった三種神器を宮中に置くことは畏れ多いとして、鏡と剣を宮外に祀る詔を発した
・これにより、アマテル神(八咫鏡)はカサヌヒ(倭笠縫邑)に遷してトヨスキヒメに祀らせることにした
・垂仁天皇25年、アマテル神(八咫鏡)をトヨスキヒメから離して、ヤマトヒメ(倭姫命)に付けることにした
・ヤマトヒメは、御杖代になった翌年の初日にアケノハラのイセタカミヤに入った
 → このとき、トヨスキヒメはヤマトヒメと共にアマテル神(天照大神)に仕えた
・3年後、103歳となったトヨスキヒメは御杖代が続けられないと感じた
 → そこでヤマトヒメが後継者とするべく、ウチノヲミコ(斎王)としたのであった
 → ウチノヲミコとなったヤマトヒメは、神霊笥を担いでイセイイノからイソベに遷って神を鎮めた

【トヨスキヒメの動向】

・昔、トヨスキヒメは神託によってミタマケ(神霊笥)を担ぎ、与謝(京都府与謝郡)に到った
 → 橋立(天橋立)に掛かる雲は、笠縫(相成山傘松)の上から宮津の松(宮津市松原)にまで棚引いていた
・崇神天皇39年、勅命で与謝に神主が派遣され、これらにトヨケ神(豊受大神)とアマテル神(天照大神)を祀らせた
・この後、トヨスキヒメはササハタミヤ(篠幡宮)に帰った
 → すると、またトヨスキヒメに神託が下り、大神の形見(ミタケバシラ)を得ることになった
・トヨスキヒメは、近江から美濃を巡ってイセイイノのタカヒオガワに留まった
 → そして、ここにイヰノミヤ(飯の宮)を造ってアマテル神を鎮めた

元伊勢について

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

元伊勢(もといせ)とは「伊勢神宮が現在地に遷る前に祀られたという伝承を持つ神社・場所」を指します。

その場所は、アマテラスの神霊を託された皇女(崇神天皇代・豊鍬入姫命、垂仁天皇代・倭姫命)の足跡を追うことで明らかになります。

以下が、その大まかな伝承地です。

【伊勢神宮の変遷】

豊鍬入姫命 巡歴

01.大和国(倭国):奈良県桜井市・磯城郡・高市郡明日香村
02.丹波国(但波国):京都府宮津市・福知山市・舞鶴市・京丹後市
03.倭国:奈良県桜井市
04.木乃国(紀伊国):和歌山県和歌山市
05.吉備国:岡山県岡山市・倉敷市・高梁市・総社市、広島県福山市、和歌山県海南市・有田郡
06.倭国:奈良県桜井市

倭姫命 巡歴

07.大和国(倭国):奈良県宇陀市
08.伊賀国:三重県名張市、伊賀市
09.近江国(淡海国):滋賀県甲賀市・湖南市・米原市
10.美濃国:岐阜県瑞穂市・安八郡
11.尾張国:愛知県一宮市・清須市
12.伊勢国:三重県桑名市・亀山市・津市・松坂市・多気郡・伊勢市

境内の見どころ

縄鳥居

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

檜原神社には、いわゆる現在の鳥居は無く、それぞれ縄鳥居が設置されています。

これは創祀の古さを物語っているのでしょうか?

三ツ鳥居(三輪鳥居)

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

檜原神社の三ツ鳥居(みつとりい)です。

本社の大神神社同様に本殿は無く、この三ツ鳥居が祀られています。

祓所

人文研究見聞録:檜原神社(初代元伊勢) [奈良県]

檜原神社の祓所(はらえど)です。

注連縄で囲まれた一角であり、祓(はらえ)をする場所とされています。

料金: 無料
住所: 奈良県桜井市三輪(マップ
営業: 終日開放
交通: 三輪駅(徒歩25分)、巻向駅(徒歩28分)

公式サイト: http://oomiwa.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。