人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]

徳島県徳島市では、毎年11月上旬に3日間かけて「阿波の狸まつり」が行われます。

このイベントは、徳島駅からほど近い藍場浜公園・徳島県郷土文化会館(あわぎんホール)の一帯を会場として行われ、そこでは数多くのお祭り屋台や徳島県の企業ブースが出店しています。また、会場には特設ステージが設けられて各種ステージイベントが行われるほか、徳島県内の各市町村の特産品の販売なども行われます。

このイベントの本義は「徳島を活性化させるイベント」とされていますが、徳島県には古くからタヌキの伝説が多いことからイベントの名称にタヌキが取り入れられ、会場をタヌキの着ぐるみが歩いていたり、タヌキのお面の無料配布されるなど、徳島県のタヌキ伝説を生かしたイメージ作りが積極的に行われているイベントです。

そこで、徳島県のタヌキ伝説の一部をここに記載しておきます。


徳島のタヌキ伝説(阿波狸合戦)

人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]

江戸時代末期、日開野の村の子供たちがタヌキを虐めていると、染物屋を主人である茂右衛門が通りかかり、そのタヌキを助けてやった。そのタヌキは助けられた恩に報いて守護神となり、店は大いに繁盛したという。

やがてタヌキは店の従業員にとり憑いて、その素性を茂右衛門に明かした。タヌキの名は「金長(きんちょう)」といい、206歳になる付近の頭株であるという。そして、金長は店を訪れる人々の病気を治したり易を見たりと大活躍して店の評判を集めた。

その後、位を持っていなかった金長は、津田にいるタヌキの総大将「六右衛門(ろくえもん)」に弟子入りし、正一位を得るための修行に励んだ。修行で抜群の成績を収めた金長は念願の正一位を得る寸前まで至った。六右衛門は優秀な金長を手放すことを惜しみ、娘の婿養子として手元に留めようとしたが、金長は残虐な性格の六右衛門を嫌ってそれを拒んだ。

これに怒った六右衛門は、60匹の家来を引き連れて金長に夜襲をかけ、金長は共に日開野から来ていたタヌキの「藤ノ木寺の鷹」とともに応戦したが、鷹は戦死し、どうにか金長のみが日開野へ逃れた。

金長は鷹の仇討ちのため同志を募って兵を挙げ、激闘の末に金長軍が死闘を制した。最終的に金長は六右衛門に一騎打ちをしかけ、金長が六右衛門を食い殺して幕を閉じたという。しかし、金長自らも致命傷を受けたため、せめて茂右衛門に別れを告げようと日開野に帰り、そこで命を落とした。

金長を憐んだ茂右衛門は自ら京都に出向いて正一位を授り、正一位金長大明神として長く祀ったという。

四国の狸伝説についてはこちらの記事を参照:【四国の狸伝説】

阿波の狸まつりの様子

人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]

徳島駅前で偶然見かけた幟に惹かれて唐突に訪れたイベントでしたので、前知識無しでの参加となりました。

幟を追って会場へ向うと数多くの屋台が現れ、会場の中央にはタヌキの顔出し看板や神輿なども置かれていました。

人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]
人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]

また、タヌキの着ぐるみや徳島の御当地キャラの着ぐるみも歩いています。

会場の東側一帯には、一般的なお祭り屋台や企業ブースが立ち並び、イベントを行うステージも設置されています。

人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]

調べてみると、イベントは10:00頃~16:00頃までの間、様々なステージイベントが行われるようです。

なお、会場内ではタヌキのお面の無料配布無料参加の福引も行われており、なかなかお得な感じもあります。

会場の西側一帯には、地域の特産品販売ブースが立ち並んでいました。

人文研究見聞録:阿波の狸まつり [徳島県]

そのため、歩くだけで徳島県の特産品を一覧することができます(野菜、魚介類、郷土料理など)。

時間の都合上、1時間も居ませんでしたが、参加客も多すぎず少なすぎずといった丁度いい感じでした。

また、イベントのコンセプトも地方の伝説に因むものであるため、地方の印象付けとしては合理的だと思います。

なんとなく立ち寄ったイベントでしたが、個人的には色々と参考になることが多かったですね。

料金: 参加無料
住所: 徳島県徳島市藍場町
営業: 10:00~16:00頃
交通: 徳島駅(徒歩8分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。