伊佐爾波神社 [愛媛県]
2015/11/23
愛媛県松山市にある伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)です。
道後温泉付近の道後山の山腹に鎮座する八幡宮であり、別称「湯月八幡」「道後八幡」とも呼ばれています。
なお、社殿は全国に3例しかない八幡造であることで知られ、国の重要文化財に指定されています。
神社概要
創建由緒
創建年代については不詳とされますが、社伝によれば第14代仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に行幸したときの行在所跡に創建されたと云われています。
その後、平安中期の『延喜式』神名帳には「伊予国温泉郡 伊佐尓波神社」と記載され、式内社に列しており、神仏習合の時代の宝厳寺と石手寺は、共に伊佐爾波神社の別当寺であったとされているそうです。
中世には、伊予国守護・河野氏による湯築城の築城の際に現在地に遷座され、湯築城の守護神として河野氏から崇敬されたほか、道後七郡(野間・風速・和気・温泉・久米・伊予・浮穴の各郡)の総守護となったとされています。
そして、江戸時代には松山藩主・加藤嘉明が松山城の固めとして松山八社八幡を定めた際、一番社「湯月八幡宮」として武運長久の祈願社とされたそうです。
祭神
伊佐爾波神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・譽田別尊(ほんだわけのみこと):応神天皇
・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと):仲哀天皇
・氣長足姫尊(おきながたらしひめのみこと):神功皇后
・三柱姫大神:宗像三女神(イチキシマヒメ・ダギツヒメ・タギリヒメ)に同じ
配神
・東照大神(東照大権現):徳川家康
・譽田別尊(ほんだわけのみこと):応神天皇
・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと):仲哀天皇
・氣長足姫尊(おきながたらしひめのみこと):神功皇后
・三柱姫大神:宗像三女神(イチキシマヒメ・ダギツヒメ・タギリヒメ)に同じ
配神
・東照大神(東照大権現):徳川家康
社名(伊佐爾波)について
武内宿禰 |
創建当初の鎮座地は「伊佐爾波岡(いさにわのおか)」と呼ばれていた場所であり、現在の湯築城跡とされます。
この「伊佐爾波(いさにわ)」という社名については諸説ありますが、案内板によれば、『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭(さにわ)に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、歸神して…」とあり、『日本書紀』に「武内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者(さにわ)と為す」とあることから、この「沙庭・審神者(さにわ)※」に神聖、清浄なという意味の「斎(い)」が付いて「伊佐爾波(いさにわ)」となり、神宮皇后に関わる名称であろうと紹介されています。
一方、『伊予国風土記(逸文)』には「聖徳太子が恵慈法師と葛城臣を連れて伊予の温泉に訪れた際、温泉の岡側に碑文を立て、その場所を伊社邇波(いさには)の岡と名付けた。伊社邇波という名の由来は、この国の人々がその碑文を見て願えばいざなひ(誘われて)来る。よって伊社邇波という」と記されています。
※審神者(さにわ):古代の神道において、神懸かった巫女(巫)が発した神託を受け、その神意を解釈して伝える者のこと
松平定長の伝承
松平定長 |
現在の社殿は、京都の石清水八幡宮を模して造られた国内でも例の少ない八幡造とされてます。その建立の経緯として、松山藩三代藩主・松平定長にまつわる以下の伝承が残されています。
寛文2年(1662)春、松山藩三代藩主の松平定長は、将軍家より江戸城での弓の競射を命じられた。
定長は兼ねてより弓の名手として誉れが高かったため、射損じては面目が丸つぶれとして、湯月八幡宮に「石清水八幡宮と同じ建物をお建て致しますので金的を射させてください」と祈願した。
ある夜、定長の夢枕に八幡神が立ち「私の指図通りにすれば、必ず的を射止めるであろう」と告げられた。
競射の当日、諸大名が居並ぶ中、定長は弓に矢をつがえて弦を引き絞り、八幡神に祈念した。すると、金の鳩が目の前を飛んで行ったので、これこそ八幡神の指図であるとして矢を放つと、その矢は見事 金的に命中した。
定長は八幡神に感謝し、寛文7年(1667)に祈願通りに飛騨の工匠を招いて八幡造りの社殿を建立したという。
定長は兼ねてより弓の名手として誉れが高かったため、射損じては面目が丸つぶれとして、湯月八幡宮に「石清水八幡宮と同じ建物をお建て致しますので金的を射させてください」と祈願した。
ある夜、定長の夢枕に八幡神が立ち「私の指図通りにすれば、必ず的を射止めるであろう」と告げられた。
競射の当日、諸大名が居並ぶ中、定長は弓に矢をつがえて弦を引き絞り、八幡神に祈念した。すると、金の鳩が目の前を飛んで行ったので、これこそ八幡神の指図であるとして矢を放つと、その矢は見事 金的に命中した。
定長は八幡神に感謝し、寛文7年(1667)に祈願通りに飛騨の工匠を招いて八幡造りの社殿を建立したという。
境内の見どころ
大鳥居
伊佐爾波神社の大鳥居です。
温泉街の道に堂々と建っています。
石段
伊佐爾波神社の石段です。
かなり長い石段を登りきると楼門が見えてきます。
楼門
伊佐爾波神社の楼門です。
軒下には「八幡宮」の扁額が掛かっています。
随神
伊佐爾波神社の随神です。
本殿
伊佐爾波神社の本殿です。
檜皮葺の屋根であり、屋根が前後二棟に葺き分けられているのが八幡造の特徴とされています。
回廊
伊佐爾波神社は楼門から本殿を囲うように回廊が巡らされています。
回廊には多数の板絵や神輿などが安置されています。
境内社(末社)
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伊佐爾波神社の本殿の両隣と、石段の中腹には末社が設けられています(詳細は以下の通り)。
・素鵞社(石段南):素盞之男命(スサノオ)、稲田姫命(イナダヒメ)を祀る
・常盤新田霊社(本殿南隣):新田義宗、脇屋義治、松平定長を祀る
・高良玉垂社(本殿北隣):武内宿禰を祀る
・常盤新田霊社(本殿南隣):新田義宗、脇屋義治、松平定長を祀る
・高良玉垂社(本殿北隣):武内宿禰を祀る
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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