人文研究見聞録:開口神社 [大阪府]

大阪府堺市にある開口神社(あぐちじんじゃ)です。

神功皇后が三韓征伐の帰途に創建させたと伝わる古社であり、祭神に塩土老翁神・素盞嗚神・生国魂神を祀っています。

また、境内には多数の境内社があり、伝説のある金龍井影向石なども安置されています。


神社概要

由緒

由緒書によれば、西暦200年頃に神功皇后の勅願によって創建されたと伝えられています。

公式サイトによれば、神功皇后が三韓征伐の帰途に石津浜に上陸し、塩穴松原で忍熊王の反乱を平定するために戦勝祈願の祈祷をした際、老漁師が赤目魚(鯛)を献上したことを吉祥の証と喜んで、八重潮路に向かう地に塩土老翁の御魂を祀るよう詔したことで、開口神社が創建されたそうです。

その後、奈良時代には開口水門姫神社とも称され、港を護る役割を持ち、最古の国道といわれる竹内街道・長尾街道の西端にあったとされ、僧・行基によって念仏寺も建立したといわれています。

また、平安末期の天永4年(1113年)には開口村・木戸村・原村の三村の神社が合わさって、三村宮(三村明神)とも称されていたそうです。

祭神

開口神社の祭神は以下の通りです。

・塩土老翁神(シオツチノオジ):「日本神話」に登場する神で、山幸彦や神武天皇に助言し、導いたとされる
 → 航海の神、塩を司る神であり、物知りの神とも
 → 当社では住吉大社の住吉三神を一つにして神徳を現した神とされ、「住吉の奥の院」と呼ばれるとも
 → 当地域では「元開口村の神」とされる(開口大神とも)
・素盞嗚神(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
 → 牛頭天王とも言われ、疫病除災の神として崇められていることもある
 → 当地域では「元木戸村の神」とされる
・生国魂神(イククニタマ):国の御魂の神・大地の守護神などといわれる神(諸説あるが、詳細は不明)
 → 国土開発・発展の基となる神として崇められており、生嶋神(いくしまのかみ)とも呼ばれる
 → 当地域では「元原村の神」とされる

境内社

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白一龍神社
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薬師社
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三宝荒神社
人文研究見聞録:開口神社 [大阪府]
豊竹稲荷神社

開口神社の境内社は以下の通りです。


【A】

・産霊神社
・北辰神社
・大国魂神社(大黒さん)
・恵比須神社(戎さん)
・少彦名神社
・薬師社
・舟玉神社
・楠本神社

【B】

・熊野神社
・厳島神社(弁天さん)
・兜神社
・三宅八幡神社
・琴平神社
・神明神社
・豊受神社

【C】

・菅原神社
・岩室神社
・舳松神社
・松風神社
・白髭神社
・塞神社(庚申さん)

・白一龍神社
・薬師社
・三宝荒神社(竈神社)
・豊竹稲荷神社

伝説

しらひげさん

人文研究見聞録:開口神社 [大阪府]

本殿の北側に井戸屋形の小さな祠があり、人々はその祠を"しらひげさん"と呼んで信仰していた。

昔、朝鮮の新羅に国民から支持を受けていた若光という王がおり、白い髭を生やした その王は"しらひげさん"と呼ばれて慕われ、死後も神として崇め続けられていた。

新羅から渡ってきた神である"しらひげさん"と、"磯良(しら)"と称する日本の神との混合神が井戸屋形の祠に祀られている"しらひげさん"である。

この"しらひげさん"を祀った祠の中の井戸には一匹の"竜神(しら)"が住んでおり、毎年初秋になると昇天して大雨を降らせ、農民たちを喜ばせたという。

この地に祀られた理由は定かではないが、開口神社に祀られているスサノオの神は永らく新羅の国に住んでおり、新羅に精通する神として崇められていたということから、この地に"しらひげさん"の祠が持って来られたのだろう。

金龍井の由来

人文研究見聞録:開口神社 [大阪府]

神社西門の入口にある金龍井という古い井戸の前には、昔 海会寺という寺があった。

ある年の夏、毎日 日照りが続いて井戸水が渇れてしまったとき海会寺の和尚が庭に佇んでいると、1人の老人がやってきて「前世の咎で蛇身に生まれついた私をお救い下さい」と言うので、和尚は「念仏を一身に祈りなさい」と教えてやった。

すると、老人はとても喜んで「お礼に良い事をお教えしましょう。庭に鵜の羽を敷いて一夜置き、その下に白露が湧いたらそこを掘ってみてください」と言い、そのまま立ち去っていった。

そこで、寺男が老人の後をそっとつけて行くと、老人は一匹の大きな竜になって草むらへ消えていったという。

和尚は老人の言った通りにして地面を掘ってみると、そこから清らかな水がこんこんと湧き出てきて、その水の湧き出した跡が"金龍井"であり、神社の北門の向こうにある蛇谷が"老人が竜の姿に変わって消えたところ"である。

境内の見どころ

鳥居

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開口神社の鳥居です。

神馬像

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開口神社にある神馬像です。

金龍井

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開口神社にある金龍井です。

海会寺の開山・乾峯士曇が老人に化身した鬼面龍神に教えられた井戸とされ、名水としても知られているそうです。

なお、案内板による解説は以下の通りです。

【海会寺 金龍井】

臨済宗東福寺派海会寺は、元弘2年(1332年)に洞院公賢(とういんきんかた)が草創し、乾峯士曇(けんぼうしどん)を招いて開山とした寺院です。

天正13年(1585年)頃までは甲斐町東にあり、その後 大東町に移転し、さらに慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の大火以降 現在の南旅篭町東に移転しました。

海会寺金龍井(海会寺井)の名称は、海会寺が この甲斐町東付近にあった時代に掘られたこと、乾峯士曇が干ばつのときに龍神に祈ったところ、老人に化身した鬼面龍神が現れ、井戸を掘る場所を教えたという由緒があることにちなんでいます。

室町時代の記録『角虎道人文集』には、この井戸は「泉南第一の井戸」であると書かれています。また江戸時代の記録『全堺詳志』には「豆腐製造」に、同じく江戸時代の記録である『和泉志』には「茶の湯」に適した水を出す井戸であると書かれています。

このように古くから名水を産する井戸として、広く知られていたことがわかります。

影向石

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開口神社にある影向石です。

案内板によれば、以下のような いわれがある石とされています。

1.開口大神(塩土老翁神)が影向の時に腰かけて、後に住吉へ向かって住吉の神となったいわれる石
2.行基上人と法談した場所といわれる石
3.弘法大師と対面した時の座所といわれる石

拝殿

人文研究見聞録:開口神社 [大阪府]

開口神社の拝殿です。

料金: 無料
住所: 大阪府堺市堺区甲斐町東2-1-29(マップ
営業: 9:00~17:00
交通: 大小路駅(徒歩3分)、堺駅(徒歩11分)

公式サイト: http://www.aguchi.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。