方違神社 [大阪府]
2017/08/17
大阪府堺市にある方違神社(ほうちがいじんじゃ)です。
第10代 崇神天皇の時代の創祀と伝わる古社であり、祭神に方違幸大神を祀っています。
地元では「ほうちがいさん」と呼ばれ、古くから方違え・方災除けの神社として信仰を集めているそうです。
また、反正天皇陵の付近に位置しており、境内から見ることも出来ます。
神社概要
由緒
社伝によれば、第10代 崇神天皇5年に国内で疫病が流行して多数の民が死亡するという事態が起こったため、崇神天皇8年(紀元前90年)12月に勅命によって物部大母呂隅足尼(もののべのおおもろすみのすくね)を当地 茅渟の石津原に派遣して、須佐之男神(素盞鳴命)を祀らせたところ、疫病は止まり、五穀は豊穣となったとされ、これが方違神社の創祀とされます。
神功皇后の時代には、皇后が三韓征伐の帰りに忍熊王の謀反に遭った際、三筒男神(住吉大神)の神託によって神武天皇の斎祷の故事に倣って自ら八十平瓮を作り、須佐之男神を奉祀した神地で方災除けを祈願し、勝利に導いたとされ、後に応神天皇は当地に須佐之男神・三筒男神・母后神(神功皇后)を合せ祀り、方違大依羅神社(かたたがへおおよさみのかむつやしろ)と名付けたとされています。
以後、当社は方災除けの神として崇敬が篤く、文献には仁徳天皇・孝徳天皇をはじめ、弘法大師(空海)・平清盛・後鳥羽天皇・徳川家康などの名前も載っているそうです。
近代には、明治6年(1873年)3月に郷社となり、明治40年(1907年)2月に水天宮社(村社)を合祀し、同年10月に向井神社(郷社)および境内社(愛宕神社・神明社・小祠四社)を合祀して方違天王神社と改称して、同年11月に方違神社に復号したとされ、同年12月に八幡社および武内社を合祀して現在に至るとされています。
なお、由緒書による解説は以下の通りです。
【方違神社 由緒 其の一】
崇神天皇の朝、物部大母呂隈宿禰をして、此地に素盞鳴命を祭らせ給ふ、神功皇后 三韓より御凱旋し給ひし時、住吉大神の御神教に依り、神武天皇 丹生川上御斎祷の故事に倣はせ給ひ、此神地において親しく天神地祇を祭り、皇軍の方忌除を祈り、忍熊王等の賊兵を平げ給ふ際、菰の葉に埴土を包み粽となして奉り、方違の祈祷をなし給ひし霊地なり。
後、応神天皇の朝、素盞鳴命・住吉大神・神功皇后を合祀し給ひ、方違宮と称せらる。以上の如き御由緒に依り、当社は昔より方災除の神として崇敬者全国に遍く、普請・転宅・旅行等の場合、当社の神符及び粽を受け、方除祈祷の修祓を望むもの多し。
崇神天皇の朝、物部大母呂隈宿禰をして、此地に素盞鳴命を祭らせ給ふ、神功皇后 三韓より御凱旋し給ひし時、住吉大神の御神教に依り、神武天皇 丹生川上御斎祷の故事に倣はせ給ひ、此神地において親しく天神地祇を祭り、皇軍の方忌除を祈り、忍熊王等の賊兵を平げ給ふ際、菰の葉に埴土を包み粽となして奉り、方違の祈祷をなし給ひし霊地なり。
後、応神天皇の朝、素盞鳴命・住吉大神・神功皇后を合祀し給ひ、方違宮と称せらる。以上の如き御由緒に依り、当社は昔より方災除の神として崇敬者全国に遍く、普請・転宅・旅行等の場合、当社の神符及び粽を受け、方除祈祷の修祓を望むもの多し。
【方違神社 由緒 其の二】
方違神社の起源は古く、崇神天皇の勅願により創建されたと伝えられています。
このあたりは、摂津・河内・和泉の三国の堺に位置しているため、"三国山(みくにやま)"・"三国の衢(みくにのちまた)"・"三国丘(みくにおか)"と称されていました。三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えませんでした。
奈良時代には、行基が布施屋を設け、旅人の休憩場所となるなど、人馬往来の中心となり、平安時代には熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったといわれています。また、明治元年の京都から東京へ遷都の際には17日間の祈祷が行われています。
現在も引越しや旅行の際に、全国から多くの方が参拝に来られています。毎年5月31日の例大祭「粽祭(ちまきまつり)」には、悪い方位を祓うという、菰(こも)の葉で埴土(境内の土)を包んだ粽を奉納する神事を行っています。
方違神社の起源は古く、崇神天皇の勅願により創建されたと伝えられています。
このあたりは、摂津・河内・和泉の三国の堺に位置しているため、"三国山(みくにやま)"・"三国の衢(みくにのちまた)"・"三国丘(みくにおか)"と称されていました。三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えませんでした。
奈良時代には、行基が布施屋を設け、旅人の休憩場所となるなど、人馬往来の中心となり、平安時代には熊野詣の通過地点でもあったため、人々は旅の安全を祈ったといわれています。また、明治元年の京都から東京へ遷都の際には17日間の祈祷が行われています。
現在も引越しや旅行の際に、全国から多くの方が参拝に来られています。毎年5月31日の例大祭「粽祭(ちまきまつり)」には、悪い方位を祓うという、菰(こも)の葉で埴土(境内の土)を包んだ粽を奉納する神事を行っています。
祭神
方違神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・方違幸大神(かたたがえさち おおかみ):下記四柱の神を指す
・八十天万魂神(やそあまよろずみたまのおおかみ):天神地祇
・素盞鳴尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
・三筒男大神(みつつおのおおかみ):表筒男神・中筒男神・底筒男神の三神(住吉大神)
・息気長足姫命(オキナガタラシヒメ):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母(神功皇后)
【合祀神】
・向井大神
・大鷦寮天皇(おおささぎのすめらみこと):第16代 仁徳天皇
・去来穂別天皇(いざはわけのすめらみこと):第17代 履中天皇
・瑞歯別天皇(みずはわけのすめらみこと):第18代 反正天皇
・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと):仁徳天皇の弟
・百済王仁(くだらのわに):菟道稚郎子命の学問の師
・水天宮外十三柱神
・方違幸大神(かたたがえさち おおかみ):下記四柱の神を指す
・八十天万魂神(やそあまよろずみたまのおおかみ):天神地祇
・素盞鳴尊(スサノオ):三貴子の一柱で出雲の祖神(天照大神の弟神に当たる)
・三筒男大神(みつつおのおおかみ):表筒男神・中筒男神・底筒男神の三神(住吉大神)
・息気長足姫命(オキナガタラシヒメ):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母(神功皇后)
【合祀神】
・向井大神
・大鷦寮天皇(おおささぎのすめらみこと):第16代 仁徳天皇
・去来穂別天皇(いざはわけのすめらみこと):第17代 履中天皇
・瑞歯別天皇(みずはわけのすめらみこと):第18代 反正天皇
・菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと):仁徳天皇の弟
・百済王仁(くだらのわに):菟道稚郎子命の学問の師
・水天宮外十三柱神
境内社
|
|
|
|
|
方違神社の境内社は以下の通りです。
・神明神社
・楠木姫大神
・稲荷社:末次大明神、鈴山大明神、大年大明神を祀る
・八幡社
・白髭大明神
・楠木姫大神
・稲荷社:末次大明神、鈴山大明神、大年大明神を祀る
・八幡社
・白髭大明神
境内の見どころ
鳥居
方違神社の鳥居です。
手水舎
方違神社の手水舎です。
拝殿
方違神社の拝殿です。
なお、2017年現在は社殿改築が行われており、遥拝所からの参拝となります。
反正天皇陵
方違神社の駐車場からは反正天皇陵(前方後円墳)が見えます。
反正天皇陵についてはこちらの記事を参照:【反正天皇陵(田出井山古墳)】
料金: 無料
住所: 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2-1(マップ)
営業: 不明(受付9:00~16:00)
交通: 堺東駅(徒歩8分)、堺市駅(徒歩15分)
公式サイト: http://www.hochigai-jinja.or.jp/
住所: 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2-1(マップ)
営業: 不明(受付9:00~16:00)
交通: 堺東駅(徒歩8分)、堺市駅(徒歩15分)
公式サイト: http://www.hochigai-jinja.or.jp/
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿