比那神社 [島根県]
2017/09/06
島根県出雲市にある比那神社(ひなじんじゃ)です。
『出雲国風土記』の「比奈社」に比定される古社であり、祭神に比那鳥命を祀っています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、当社は奈良期の『出雲国風土記』に「比奈社」、平安期の『延喜式神名帳』に「比那神社」として名を載せる古社であり、祭神の比那鳥命(ヒナトリ)は『記紀』に登場する神で、天穂日命(アメノホヒ)の御子であり、この出雲国に天降り大国主命(オオクニヌシ)に対して国譲り交渉を行ったとされています。
なお、鎌倉時代には源頼朝の八幡信仰によって、出雲の八所の八幡宮が勧請されたため、周辺の住民は総て八幡宮の氏子となったとされます。このことから、『出雲国風土記』に記載される神社の祭祀が断絶し、かつては藪の中に石を祀った状態だったそうです。
その後、江戸時代の貞享2年(1685年)に岸崎佐久次によって祠が造立され、また享保9年(1724年)に社殿が造営が行われたとされ、近代以降は大正11年(1922年)に今の社殿が造営されて現在に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【比那神社 由緒】
当社は出雲風土記(733年)および延喜式に所載の古社にして、御祭神は比那鳥命(ヒナトリ)、別名を武夷鳥命(タケヒナトリ)、武日照命(タケヒナテル)とも申し日本書紀に明らかなり。
すなわち、天照大神の御子・天之穂日命(アメノホヒ)を父神として天孫降臨に先立ち、この出雲国に降りて大国主命(オオクニヌシ)に対し、国土奉献の使者の任務を平和裡に遂行された軍使の神で、後、此処 比那原の地に宮造りし鎮座し給う。
当社は出雲風土記(733年)および延喜式に所載の古社にして、御祭神は比那鳥命(ヒナトリ)、別名を武夷鳥命(タケヒナトリ)、武日照命(タケヒナテル)とも申し日本書紀に明らかなり。
すなわち、天照大神の御子・天之穂日命(アメノホヒ)を父神として天孫降臨に先立ち、この出雲国に降りて大国主命(オオクニヌシ)に対し、国土奉献の使者の任務を平和裡に遂行された軍使の神で、後、此処 比那原の地に宮造りし鎮座し給う。
祭神
比那神社の祭神は以下の通りです(諸説ある)。
【主祭神】
・比那鳥命(ヒナトリ):アメノホヒの御子神で、出雲に天降ってオオクニヌシと交渉したとされる
→ 別名に「天夷鳥命(アメノヒナトリ)」「建比良鳥命(タケヒラトリ)」「武日照命(タケヒナテル)」などがある
・木花之佐久夜比売命(コノハナサクヤヒメ):天孫・瓊々杵尊(ニニギ)の后
【各文献の祭神】
・式社考:比奈良志毘売神(ヒナラシビメ)もしくは武比奈鳥命(タケヒナトリ)
→ どちらか定めかねるとある(比奈良志毘売神は淤加美神の姫で大国主命と結ばれた神)
・出雲神社巡拝記:コノハナサクヤヒメ
・比那鳥命(ヒナトリ):アメノホヒの御子神で、出雲に天降ってオオクニヌシと交渉したとされる
→ 別名に「天夷鳥命(アメノヒナトリ)」「建比良鳥命(タケヒラトリ)」「武日照命(タケヒナテル)」などがある
・木花之佐久夜比売命(コノハナサクヤヒメ):天孫・瓊々杵尊(ニニギ)の后
【各文献の祭神】
・式社考:比奈良志毘売神(ヒナラシビメ)もしくは武比奈鳥命(タケヒナトリ)
→ どちらか定めかねるとある(比奈良志毘売神は淤加美神の姫で大国主命と結ばれた神)
・出雲神社巡拝記:コノハナサクヤヒメ
境内社
比那神社の境内には、石碑に数本の幣束がくくり付けられたものが祀られています。
詳細は不明ですが、当地方の傾向性から おそらく荒神社であると思われます。
境内の見どころ
鳥居
比那神社の鳥居です。
当社は住宅地の一角に鎮座しており、鳥居の周りはアパートなどで囲まれています(入口が分かりづらい)。
社頭
比那神社の社頭です。
こじんまりとした境内になっています。
拝殿
比那神社の拝殿です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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