火除天満宮 [京都府]
2017/11/11
京都市下京区にある火除天満宮(ひよけてんまんぐう)です。
学問の神として知られる菅原道真公を祀る天満宮であり、類焼を免れてきたことから この名で呼ばれているそうです。
神社概要
由緒
由緒書によれば、九州の兵乱を避けて筑紫の太宰府から上京した老神官が、天正7年(1579年)に菅原道真公の像を六条通の周辺に祀ったことに始まるとされます。
その後、天正15年(1587年)の大雲院開創の際に鎮守社となり、慶長2年(1597年)に現在地に創建され、元治元年(1864年)の蛤御門の変(京都市中3万戸が焼失)の際には当地一帯だけが類焼を免れたと伝わっているそうです。
その他にも火難から救われたという伝承があるとされることから、学問成就と共に火除の神としても信仰を集めるようになったとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【火除天満宮 由緒】
当社は天正7年(1579年)、九州での兵乱を避けるため、筑紫国(福岡県)の太宰府から一人の老神官が菅原道真公の像を背負って入洛し、六条通周辺に祀ったのが始まりといわれた。
天正15年(1587年)、烏丸二条の地に大雲院が開創される際に、鎮守社として迎えられ、その後、慶長2年(1597年)に現在地に創建された。
元治元年(1864年)の蛤御門の変では、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れた。これ以降もしばしば火難から救われたという伝承があり、学問成就とともに火除の神として多くの信仰を集めている。
なお、境内には天満宮25社第9番の石碑がある。
当社は天正7年(1579年)、九州での兵乱を避けるため、筑紫国(福岡県)の太宰府から一人の老神官が菅原道真公の像を背負って入洛し、六条通周辺に祀ったのが始まりといわれた。
天正15年(1587年)、烏丸二条の地に大雲院が開創される際に、鎮守社として迎えられ、その後、慶長2年(1597年)に現在地に創建された。
元治元年(1864年)の蛤御門の変では、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れた。これ以降もしばしば火難から救われたという伝承があり、学問成就とともに火除の神として多くの信仰を集めている。
なお、境内には天満宮25社第9番の石碑がある。
祭神
火除天満宮の祭神は以下の通りです。
・菅原道真公(すがわらのみちざね):平安中期の政治家(死後、天満天神として信仰される)
境内社
火除天満宮の境内社は以下の通りです。
・稲荷社
・大国主社
・白太夫社
・大国主社
・白太夫社
境内の見どころ
鳥居
火除天満宮の鳥居です。
手水舎(御神水)
火除天満宮の手水舎です。
手水舎の水は古くから伏流水(地下水)を汲み上げた御神水とされています。
味はまろやかで澄明とされており、持ち帰りは自由とされています(煮沸後の飲用が推奨される)。
地蔵堂
火除天満宮の地蔵堂です。
延命地蔵尊と天道大日如来が祀られています。
天満宮廿五社第九番の石碑
火除天満宮の境内には、天満宮廿五社第九番の石碑があります。
謎の石
火除天満宮の境内には、謎の石があります。
臥牛像
火除天満宮の臥牛像です。
社殿
火除天満宮の社殿です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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