綱敷天神社(北野天神・喜多野天神・喜多埜天神) [大阪府]
2017/12/14
大阪市北区神山町にある敷天神社(つなしきてんじんしゃ)です。
平安時代に創建された古社であり、祭神に嵯峨天皇・菅原道真公を祀っています。
北野天神とも通称され、由緒は「梅田」や「キタ」の語源となったともいわれています。
神社概要
由緒
由緒書などによれば、弘仁13年(822年)に第52代嵯峨天皇が当地(摂州菟餓野)に行幸して、今の本殿がある場所に仮殿を構えて一夜を過ごしたとされ、崩御後の承和10年(843年)に皇子・源融(みなもとのとおる)が追悼の為に社殿を創建し、天皇を祀って「神野太神宮」と称したことに始まるとされます。
その後、延喜元年(901年)に右大臣であった菅原道真公が無実の罪により太宰府に左遷されることになり、その途中で当地(現在の太融寺町辺り)に咲き誇って紅梅に目を留め、これを眺めるために船綱を円く円座状に敷いたことから「綱敷(つなしき)」の名が起こったといわれています。
道真公が太宰府に旅立った後、当地に残るよう遺訓を受けた白江氏(追従した渡会晴彦の一族)が紅梅の樹下に小祠を建てて道真公の御霊を祀り「梅塚天満宮」と称したそうです(綱敷天神社 御旅社の前身)。
そして、正暦4年(993年)に道真公の冤罪が晴れると、当地に改めて社殿が建てられることになり、神野太神宮(本社前身)と梅塚天満宮(御旅社前身)が合祀され、道真公の綱敷の故事に因んで「綱敷天神社」と称したとされています。また、この際に梅塚天満宮は御旅所となったそうです。
中世には兵火に遭うことも多かったとされますが、寛正2年(1461年)に当地に一夜にして七本の松が生出たことから「天神さまの御霊験」として京に告げられ、北野天満宮より勅旨を賜って道真公の神霊の勧請と社殿の再建が行われて「北野天神社(喜多埜天神社)」とも呼ばれるようになったとされます。
その後、近世には大阪市中の尊崇を集める古社として知られるようになり、近代には明治7年(1874年)に大阪駅が開業して以降は梅田キタの氏神として より多くの崇敬を集めるようになったとされますが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲によって社殿一切を全焼してしまったそうです(辛うじて神宝の綱と御影は難を逃れたとされる)。そして、戦後の昭和31年(1956年)に社殿が復興されて現在に至るとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【綱敷天神社 由緒】
第52代嵯峨天皇は、弘仁10年(822年)に津の国難波兔我野町に行幸され、この地で一夜を過ごされた。天皇死去後、皇子の左大臣源融公は、追悼のあまり承和13年(843年)に この神山の地に神野神社として奉祀された。
菅原道真公は、延喜元年(901年)太宰府権帥に左遷の時、この北野の地に着船、神野神社に参拝され、紅梅樹が美しく咲いていたので、船綱をといて御座とし賞翫された。
今、御神宝とされている綱から綱敷天神社といわれ、学門の神様として御信仰があり、守り伝えられています。
第52代嵯峨天皇は、弘仁10年(822年)に津の国難波兔我野町に行幸され、この地で一夜を過ごされた。天皇死去後、皇子の左大臣源融公は、追悼のあまり承和13年(843年)に この神山の地に神野神社として奉祀された。
菅原道真公は、延喜元年(901年)太宰府権帥に左遷の時、この北野の地に着船、神野神社に参拝され、紅梅樹が美しく咲いていたので、船綱をといて御座とし賞翫された。
今、御神宝とされている綱から綱敷天神社といわれ、学門の神様として御信仰があり、守り伝えられています。
祭神
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綱敷天神社の祭神は以下の通りです。
関連社
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綱敷天神社の関連社は以下の通りです。
【境内社】
・喜多埜稲荷神社:喜多埜稲荷大神(宇賀御魂大神)を祀る
・白龍社:白龍大神・猿田彦大神を祀る(古くからヘビの神様を祀ると伝えられているとも)
【境外社】
・綱敷天神社 御旅社(茶屋町):菅原道真公を祀る
・歯神社(角田町):宇迦之御魂大神(稲荷神)を祀る
・喜多埜稲荷神社:喜多埜稲荷大神(宇賀御魂大神)を祀る
・白龍社:白龍大神・猿田彦大神を祀る(古くからヘビの神様を祀ると伝えられているとも)
【境外社】
・綱敷天神社 御旅社(茶屋町):菅原道真公を祀る
・歯神社(角田町):宇迦之御魂大神(稲荷神)を祀る
関連知識
梅田とキタの語源
wikipediaによれば、「梅田」は「江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから"埋田"と呼ばれ、後世になって字面が悪いので露天神社ならびに綱敷天神社にゆかりのある梅から"梅田"という表記になったと言われる」と説明されています。
綱敷天神社の公式HP および 御旅社の案内板によれば、「梅田」は「道真公が愛でた紅梅に因む」または「道真公の遺訓を受けた白江氏が、紅梅の樹下に建てた小祠(梅塚天満宮)に因む」とされ、「キタ」は「綱敷天神社が北野天神社(喜多埜天神社)と呼ばれたことに因む」と説明されています。
参考サイト:梅田(wikipedia)、綱敷天神社(公式)
境内の見どころ
鳥居
綱敷天神社の鳥居です。
神門
綱敷天神社の神門です。
臥牛像
綱敷天神社の臥牛像です。
注連柱
綱敷天神社の注連柱です。
狛犬
綱敷天神社の狛犬です。
拝殿
綱敷天神社の拝殿です。
筆塚
綱敷天神社の筆塚です。
奉納酒樽
綱敷天神社の奉納酒樽です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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