人文研究見聞録:四天王寺 [大阪府]

大阪市天王寺区にある四天王寺(してんのうじ)です。

聖徳太子が建立した日本最初の官寺(国立の寺院)であり、仏教の是非を巡って蘇我氏と物部氏の間で起こった戦争の折、太子が寺院の建立を条件に四天王に戦勝祈願したことから、この名が付いたとされます。なお、天王寺区の名前の由来にもなっているそうです。

また、創建当初は四天王を本尊としていたとされますが、現在は山号を荒陵山とし、本尊に救世観世音菩薩を祀る和宗(仏教の既存の宗派に属さない独立宗派)の総本山寺院となっています。


寺院概要

縁起


人文研究見聞録:四天王寺 [大阪府]

公式サイトによれば、当寺は推古天皇元年(593年)の建立であるとされており、『日本書紀』には以下のような四天王寺創建の経緯が記されています。

四天王寺の創建(『日本書紀』)


第29代欽明天皇13年(552年)、百濟の聖明王から天皇に仏像・仏典が献上され、仏法を日本に広めるよう勧めた。

天皇は臣達を集めて これを相談すると、蘇我大臣は「(海外)諸国が敬っている信仰を、我が国だけが背くわけには行きません」と言って仏像礼拝に賛成した。

しかし、物部大連と中臣連は「我が国には多くの神が居り、皆が年中礼拝しています。これを改めて異国の神を祀れば、きっと国神の怒りを受けるでしょう」と言って仏像礼拝に反対した。

そこで、天皇は蘇我大臣に仏像を授けて礼拝させてみたが、疫病が流行して若死にする者が多発したため、物部大連と中臣連は天皇の勅許を受けて仏像を棄て、寺に火を放って全焼させた。

敏達天皇3年(574年)、橘豊日皇子(用明天皇)と穴穂部間人皇女との間に厩戸皇子(聖徳太子)が誕生した。

用明天皇2年(587年)、天皇が病に伏せたことから仏法に帰依したいと相談した。これに蘇我大臣は賛成したが、物部大連・中臣連は反対した。以後、崇仏派の蘇我大臣と排仏派の物部大連・中臣連が対立するようになった。

その後、天皇が崩御すると皇位を巡って対立が激化し、やがて崇仏派と排仏派との間で戦争が勃発した(丁未の乱)。

崇仏派の蘇我氏は多くの氏族を味方に付けて軍を起こしたが、排仏派の物部氏は軍事を司る氏族だったため、戦況は物部氏が圧倒的に勝っていたが、崇仏派の軍に参加していた厩戸皇子は自ら白膠(ぬりで)の木で四天王像を造って「もし、勝利させてくれるならば、護世四王(四天王)のための寺を建てましょう」と誓って戦勝祈願した。

すると、崇仏派の武将が放った矢が物部大連を射抜いたため、戦争は崇仏派の勝利に終わった。この勝利によって推古天皇元年(593年)、厩戸皇子は難波の荒陵に四天王寺を建立した。

詳しくはこちらの記事も参照:【丁未の乱とは?】【聖徳太子とは?】【聖徳太子とは?(伝説)】

本尊


人文研究見聞録:四天王寺 [大阪府]

・救世観世音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ):聖観音の別名で、人々を世の苦しみから救う菩薩とされる
 → 法隆寺の本尊の救世観世音菩薩は、聖徳太子の等身の御影と伝えられている

太子会・大師会


人文研究見聞録:四天王寺 [大阪府]

四天王寺における毎月22日は、聖徳太子の月命日に因む太子会(たいしえ)という縁日であり、境内では骨董市などのフリーマーケットが催され、絵堂・中心伽藍などが無料開放されます。

また、毎月21日は空海(弘法大師)の月命日に因む大師会(だいしえ)という縁日であり、太子会と同様の伽藍の無料開放とフリーマーケットが行われます。

聖霊会


人文研究見聞録:四天王寺 [大阪府]

四天王寺では聖徳太子の命日である毎年4月22日(旧暦2月22日)に聖霊会(しょうりょうえ)という大法要が催され、境内の石舞台では「天王寺舞楽」が披露されます。

関連知識

四天王寺の別称


四天王寺には、以下の別称があるとされています。

・金光明四天王大護国寺(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)
・荒陵寺(あらはかでら)
・難波大寺(なにわだいじ)
・御津寺(みとでら)
・堀江寺(ほりえでら)

四天王寺の災害史


四天王寺は今日までに災害や戦火によって幾度も焼失・倒壊を繰り返しています。以下、災害史をまとめます。

・承和2年(836年):落雷で焼失
・天徳4年(960年):火災で焼失
・天正4年(1576年):石山本願寺攻めの兵火で焼失
・慶長19年(1614年):大坂冬の陣で焼失
・享和元年(1801年):落雷で焼失
・昭和9年(1934年):室戸台風で倒壊
・昭和20年(1945年):大阪大空襲で焼失

四箇院


四天王寺の伝承によれば、聖徳太子は四天王寺内に以下の施設を創建したとされています。

・敬田院(きょうでんいん):学問や精神的な救済をする場所(学校の原型)
・悲田院(ひでんいん):孤児や身寄りのない人の救済施設(養護施設の原型)
・施薬院(せやくいん):病気の人に薬を与える場所(薬局の原型)
・療病院(りょうびょういん):病人を収容する医療機関(病院の原型)

これらは我が国における社会福祉施設の原型と云われており、施薬院、療病院、悲田院は少なくとも鎌倉時代には実際に寺内に存在していたが確認されているそうです。

また、敬田院は現在の四天王寺学園となったとされ、施薬院の跡地として四天王寺付近に勝鬘院愛染堂が存在しています。

元四天王寺


大阪府には「元四天王寺」と称す神社が2社ほどあり、これと同時に『日本書紀』にも「(丁未の乱の後)太子は攝津國に四天王寺を造った」「推古元年、四天王寺を難波の荒陵で造り始めた」と、四天王寺の創建の記録が2回に渡って記されています。

以下が元四天王寺を自称する神社です。


詳しくはこちらの記事を参照:【元四天王寺とは?】

四天王寺七宮


大阪市天王寺区には四天王寺の外護として造営された7つの神社があり、これらは四天王寺七宮と呼ばれています。

以下が四天王寺七宮に当たる神社です。

大江神社
・上之宮神社:大江神社に合祀
・小儀神社:大江神社に合祀
久保神社
・土塔神社:大江神社に合祀
河堀稲生神社
堀越神社

詳しくはこちらの記事を参照:【四天王寺七宮とは?】

聖徳太子建立七大寺


聖徳太子の伝記『上宮聖徳法王帝説』には「太子は七寺を建立した」と記されており、これらは聖徳太子建立七大寺と呼ばれています。なお、その一つに四天王寺も含まれています。

以下が聖徳太子建立七大寺に当たる寺院です。

法隆寺
広隆寺
法起寺
・四天王寺
中宮寺
橘寺
・葛木寺

詳しくはこちらの記事を参照:【聖徳太子建立七大寺とは?】

四天王寺の見どころ

南大門


人文研究見聞録:四天王寺 [大阪府]

四天王寺の「南大門」です。伽藍の南側に位置しており、四天王寺によれば、ここが四天王寺の正面玄関とされています。

仏教の西方浄土の思想からすれば東大門が正統と思われがちですが、四天王寺では南大門から入るのが正統のようです。

※西方浄土(さいほうじょうど):阿弥陀如来を教主とする西方の浄土。太陽が東から昇って西に沈むことから、西に極楽浄土があると考え、東から西へ拝むことが良しとされる。

東大門


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四天王寺の「東大門」です。伽藍の東側に位置しており、左右には仁王像が安置されています。

なお、昭和20年の大阪大空襲で焼失しており、昭和38年に再建されたそうです。

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仁王像(左)
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仁王像(右)

西大門(極楽門)


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四天王寺の「西大門」です。伽藍の西側に位置しています。

極楽浄土への入口とされており、石鳥居の西側の海に沈む夕日を拝む聖地として信仰されているそうです。

そのため、「極楽門(ごくらくもん)」とも呼ばれます。

石鳥居


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四天王寺の「石鳥居(いしのとりい)」です。西大門の前に設置されています。

四天王寺の西側に位置しているため、仏教の西方浄土の思想から「極楽浄土の入口に通じる」と信じられているそうです。

なお、この石鳥居は現存する四天王寺の伽藍の中で最も古い建物とされています(上記、災害史を参照)。

パンフレットによれば、飛鳥時代の創建時(593年)には木像の鳥居があったとされていますが、鎌倉時代(1294年)に忍性上人によって石鳥居に改められたとされています。

一般的には神仏習合の名残とされますが、神仏習合は古くとも奈良時代の修験道成立以後に始まったとされることから、時代的に矛盾が生じます。

そのため、日本最古の官寺である四天王寺に、神社のシンボルとも言える鳥居が建立されている理由は未だに不明です。

中門(仁王門)


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四天王寺の「中門」です。中心伽藍の南側に位置しています(門は閉ざされ、中心伽藍に入るには西門を通る必要がある)。

左右に仁王像が配置されていることから、仁王門とも呼ばれます。

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仁王像(左)
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仁王像(右)

五重塔


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四天王寺の「五重塔」です。中心伽藍の中央に建っており、内部には木製の仏像や仏の彫画があります。

また、階段から頂上まで登ることができます。

五重塔は、四天王の歴史上何度も倒壊しており、現在のものは建立8代目とされています。

※中央伽藍の見学は有料です。

金堂


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四天王寺の「金堂」です。中央伽藍の五重塔の横に建っています。

内部中央には、本尊の救世観音菩薩像が祀られており、仏壇周囲に四天王像が立っています。

※中央伽藍の見学は有料です。

講堂


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四天王寺の「講堂」です。中心伽藍の北側に位置しており、中には阿弥陀如来坐像と十一面観音立像が祀られています。

聖霊院


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四天王寺の「聖霊院」です。四天王寺の伽藍の東側に位置しており、聖徳太子を祀っていることから「太子殿」とも呼ばれます。

なお、敷地内には通常非公開の守屋祠があり、丁未の乱の敗者である物部守屋大連、弓削小連、中臣勝海連が祀られています。

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守屋祠


石神堂


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四天王寺の「石神堂」です。「牛王尊(ごおうそん)」を祀っています。

この石神堂には、四天王寺建立の際に材木を運搬していた牛が、伽藍が完成すると石神に変わってしまったという伝説があり、その石神の上に堂が建てられたとされています。

そのため、石神堂の内部には牛の石像が多数祀られています。

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牛王尊


亀の池


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四天王寺の「亀の池」です。日中は多くの亀が甲羅干しをしている光景が見られます。

なお、亀は弁天の使いともされており、付近には弁天を祀る「亀遊嶋辯天堂(きゆうじまべんてんどう)」があります。

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亀遊嶋辯天堂

六時堂


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四天王寺の「六時堂」です。内部には薬師如来坐像と四天王像が安置されています。

また、入口には「賓頭盧尊者(びんずるそんしゃ)」や「おもかる地蔵」が祀られています。

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賓頭盧尊者
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おもかる地蔵

おもかる地蔵は、重さで願望成就を占う「おもかる石」の一種とされています。

石舞台


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四天王寺の「石舞台」です。「日本三舞台」の一つとされ、能楽や舞が行われる重要文化財となっています。

毎年4月22日の聖霊会(聖徳太子の命日法要)の際には、終日 雅楽が披露されるそうです。

三面大黒堂


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四天王寺の「三面大黒堂」です。本尊に「三面大黒天(さんめんだいこくてん)」を祀っています。

三面大黒天は、大黒天・毘沙門天・弁才天の霊験を併せ持つ仏尊とされ、豊臣秀吉の出世守りの本尊にもされたそうです。

元三大師堂


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四天王寺の「元三大師堂」です。聖徳太子の師である「慈恵大師(じえだいし)」を祀っています。

堂宇の周りには、六時堂と同様に「賓頭盧尊者」と「おもかる地蔵」が祀られています。

また、堂宇の入口には京都の八坂神社でお馴染みの「茅の輪」が設置されています。

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おもかる地蔵(左)、賓頭盧尊者(右)
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茅の輪

宝物館


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四天王寺の宝物館です。四天王寺にまつわる宝物(絵画・工芸品・史料など)が展示されています。

かつて聖徳太子が使用した「七星剣」が展示されていたそうですが、現在は東京国立博物館に寄託されているようです。

なお、宝物館の入口には、石鳥居の一部や石槽などが安置されています(これらは無料で見れます)。

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石鳥居の一部
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石槽

※宝物館の見学は有料です。

霊石


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1.伊勢神宮遥拝石
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2.熊野権現遥拝石
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3.聖徳太子影向引導石

四天王寺には三種類の霊石が安置されています。以下、箇条書きにしてそれぞれの特徴を記載します。

四天王寺境内にある霊石の一部


1.伊勢神宮遥拝石(いせじんぐうようはいせき)
 → 伊勢の神が降り立つとされる霊石
2.熊野権現遥拝石(くまのごんげんようはいせき)
 → 熊野権現が降り立つとされる霊石。南大門から入り、最初に拝むこととされる
3.聖徳太子影向引導石(しょうとくたいしようごういんどうせき)
 → 葬式の時、棺を鳥居の前に置いて引導鐘を3回叩くと、聖徳太子によって安養の浄土に導かれるという

料金: 無料(中央伽藍、宝物館は有料)
住所: 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18(マップ
営業: 終日解放(堂宇は8:30~16:00など)
交通: 天王寺駅(徒歩10分)、四天王寺夕陽丘駅(徒歩14分)

公式サイト: http://www.shitennoji.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。