賀茂御祖神社(下鴨神社) [京都府]
2015/09/27
京都市左京区にある賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)です。
祭神に賀茂氏の氏神・賀茂建角身命(カモタケツノミ)を祀っており、北区にある上賀茂神社に対応して、一般的には下鴨神社(しもがもじんじゃ)と呼ばれています。
なお、世界遺産にも登録されている神社であり、境内には「糺の森」「御手洗川」「みたらし池」などの非常に美しい景観を誇る多数の見どころが点在しています。
神社概要
由緒と歴史
由緒書によれば創祀は神代に遡り、『日本書紀』には神武天皇2年に祭神の賀茂建角身命(カモタケツノミ)を奉斎していたことが記されているとしています※。
また、下鴨神社の最古の祭である御生神事(みもれしんじ、現在の御蔭祭)が第2代綏靖天皇の時代に始められ、第10代崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があることなどから、少なくとも2000年前には創始されたと考えられているようです。
そのため、京都市内では最古級の神社であるとされています(京都最古は丹後の真名井神社であると思われる)。
なお、神武天皇の時代に御蔭山に祭神(賀茂別雷命とも)が降臨したという伝承もあり、かつ、天平年間(奈良時代初期)に上賀茂神社から分置されたという説もあるとされているので、創祀については諸説あるようです。
ですが、上賀茂神社とともに古くから朝廷の崇敬を受けてきた神社であることは間違いなく、延暦13年(794)の平安遷都後は王城鎮護の神社としてより一層の崇敬を受け、大同2年(807)には最高位である正一位の神階を受けて、賀茂祭(葵祭)は勅祭となったとされています。そして、弘仁元年(810)以降は伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が代々 斎王として奉仕しているそうです。
近世においては、明治の近代社格制度でも上賀茂神社とともに官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883年)には勅祭社に定められたとされています。そのため、古代より皇室との関係の深い歴史を持つ社格の高い神社であると言えます。
なお、平安中期以降は、21年ごとに建物を建て直す式年遷宮を行っていたとされますが、本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみになったんだそうです。
※厳密にいえば、頭八咫烏(賀茂建角身命)は東征の功績を讃えられて褒賞を賜ったと記されるのみである
祭神
下鴨神社の祭神は以下の通りです。
・賀茂建角身命(カモノタケツノミ):賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)の祖父に当たる神
→ 下鴨神社の主祭神として知られる
→ 『新撰姓氏録』に"大烏と化して神武天皇を導いた"とする旨が記されるため、八咫烏(ヤタガラス)と同神とされる
→ 『ホツマツタエ』では、トヨタマヒメ(豊玉姫)の姉弟神でタマヨリヒメ(玉依姫)の父とされる
・玉依姫命(タマヨリヒメ):賀茂建角身命と神伊可古夜日売の娘で、賀茂別雷命の母神とされる(複数の定義がある)
→ 下鴨神社の主祭神として知られる
→ 『ホツマツタエ』では、タケスミ(賀茂建角身命)の子でウガヤの后となって神武天皇を産んだとされる
→ 下鴨神社の主祭神として知られる
→ 『新撰姓氏録』に"大烏と化して神武天皇を導いた"とする旨が記されるため、八咫烏(ヤタガラス)と同神とされる
→ 『ホツマツタエ』では、トヨタマヒメ(豊玉姫)の姉弟神でタマヨリヒメ(玉依姫)の父とされる
・玉依姫命(タマヨリヒメ):賀茂建角身命と神伊可古夜日売の娘で、賀茂別雷命の母神とされる(複数の定義がある)
→ 下鴨神社の主祭神として知られる
→ 『ホツマツタエ』では、タケスミ(賀茂建角身命)の子でウガヤの后となって神武天皇を産んだとされる
賀茂祭(葵祭)
「葵祭(あおいまつり)」は賀茂神社の例祭(最も重要な祭)であり、毎年5月15日に賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行われます。
石清水祭、春日祭とともに三勅祭(天皇の使者が派遣される祭)の一つに数えられ、古くは庶民の祭りである祇園祭に対して、朝廷の行事として貴族たちが見物する貴族の祭となったとされています。
祭儀は、宮中の儀・路頭の儀・社頭の儀の3つから成るとされていますが、現在では宮中の義は行われていないそうです。また、葵祭の見どころは路頭の儀(行列)であり、有料観覧席が設けられるほど人気があるとされています。
なお、前儀として5月3日に下鴨神社の糺の森で行われる流鏑馬神事(やぶさめしんじ)も有名でなんだそうです。
ちなみに、京都北部の丹後地方にある元伊勢籠神社でも、例祭として同名の「葵祭(あおいまつり)」を行うことで知られており、籠神社の創祀が皇室と関わっていることなどから、賀茂神社の葵祭との関連性が指摘されています。
葵祭(賀茂祭)については こちらの記事を参照:【賀茂神社の葵祭(賀茂祭)】
関連知識
祭神について
下鴨神社の主祭神である賀茂建角身命と玉依媛命について解説したいと思います。
賀茂建角身命(カモタケツノミ、カモタケツヌミ)
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、『新撰姓氏録』によれば「神魂命(カミムスビ)の孫であり、「日本神話」の神武東征の際に大烏に化身して天皇を導いた」とされています。そのため、八咫烏(ヤタガラス)と同神であると捉えられています。
なお、「日本神話」の神武東征における八咫烏は多大な貢献を成したことから、戦勝後に褒賞を賜り、子孫は葛野主殿縣主部なったとされています。そのため、賀茂建角身命は山城の賀茂氏(賀茂県主)の始祖であり、社名の「賀茂御祖」もこれに由来しているとされているようです。
玉依媛命(タマヨリヒメ)
玉依媛命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命(カモタケツノミ)の子であり、『山城国風土記』によれば「丹塗矢に化身した火雷神(ホノイカヅチ)を寝床に置いていたところ、賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)を懐妊して出産した」とされています。そのため、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)の母に当たる神となります。
なお、「タマヨリヒメ」という名称は「神霊を宿す巫女(女性)」の意であるとされ、「日本神話」では この神の他にも同名の女神が多数存在します。そのため、別の神社で祀られる「タマヨリヒメ」は別神である可能性もあります。ちなみに、この神には建玉依比売命(タケタマヨリヒメ)という別名もあるそうです。
また、兄に建玉依比古命(タケタマヨリヒコ)がおり、後に賀茂県主となったとされています。
賀茂氏とは?
賀茂氏(かもうじ)とは、「賀茂(加茂・鴨・加毛)」を氏の名とする氏族であり、その起源は大きく分けて、天神系(賀茂県主)と地祇系(三輪氏族)に分かれるとされています(追求すれば更に細分化される)。
天神系(賀茂県主)
賀茂神社の神紋の一つ |
天神系は、八咫烏に化身して神武天皇を導いた賀茂建角身命(カモタケツルヌミ)を始祖としており、子孫は上賀茂・下鴨の両神社の神主となって代々賀茂神社に奉斎したとされています(すなわち、賀茂神社は天神系となる)。
なお、山城国葛野郡・愛宕郡を支配したとされることから、同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深いとも云われています。
また、『出雲国風土記』には「意宇郡舎人郷 賀茂神戸」とあり、島根県安来市にある賀茂神社の祖神・言代主(一言主の同一神)の活躍地である東部出雲に属することから、ここを本貫とする説もあるそうです。
秦氏についてはこちらの記事を参照:【秦氏とは?】
地祇系(三輪氏族)
高鴨神社の神紋 |
地祇系は、大物主(三輪明神)の子である大田田根子の孫・大鴨積(おおかもつみ)を始祖としており、大和国葛上郡鴨(現在の奈良県御所市)を本拠地としたとされています。
大鴨積が鴨の地に事代主を祀った神社を建てたことから、賀茂君の姓を賜与され、現在 鴨の地にある高鴨神社の祭神の事代主や、味鋤高彦根神(賀茂大御神)は地祇系の賀茂氏が祀っていた神であると考えられているようです。
なお、平安中期には陰陽博士の賀茂忠行(かものただゆき)を輩出し、その弟子である安倍晴明が興した安倍氏と並んで陰陽道の宗家となり、以降 室町時代まで代々陰陽頭を務めたとされています。
鴨の七不思議
下鴨神社には以下のような七不思議があるとされています。
1.連理の賢木:二の鳥居付近には、3本のうち2本が中ほどで繋がっている珍木があり、縁結びのシンボルとされる
2.何でも柊木:比良木神社の周りの木は全ての葉がギザギザになり、柊化する
3.御手洗川の水あわ:土用の丑の日が近づくと水が湧き出す不思議な川であり、この様からみたらし団子が生まれた
4.泉川の石(鳥縄手):かつて雨乞いを祈る「こがらし社」があり、願いが叶うと泉川の小石が飛び跳ねた
5.赤椿:下鴨の神主は来客よりも位が高かったため、装束に気を使い、赤い椿を植えて目立たぬようにした
6.船ヶ島・奈良社:奈良の小川の船ヶ島では、日照りや戦乱の時に流れをかき回すと小石が跳ね、願いが成就する
7.切芝:糺の森のへそ(真中)に当たる場所は、古代から祭場とされてきた(切芝神事の場)
2.何でも柊木:比良木神社の周りの木は全ての葉がギザギザになり、柊化する
3.御手洗川の水あわ:土用の丑の日が近づくと水が湧き出す不思議な川であり、この様からみたらし団子が生まれた
4.泉川の石(鳥縄手):かつて雨乞いを祈る「こがらし社」があり、願いが叶うと泉川の小石が飛び跳ねた
5.赤椿:下鴨の神主は来客よりも位が高かったため、装束に気を使い、赤い椿を植えて目立たぬようにした
6.船ヶ島・奈良社:奈良の小川の船ヶ島では、日照りや戦乱の時に流れをかき回すと小石が跳ね、願いが成就する
7.切芝:糺の森のへそ(真中)に当たる場所は、古代から祭場とされてきた(切芝神事の場)
関連社
言社
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下鴨神社の言社(ことしゃ)です。
拝殿の前に位置しており、各人の干支の守護神として大国主の七つの別名の神が祀られており、自身に対応する干支の社に参拝する「鴨の社へえと詣」を行うことができます。
祭神
・卯・酉:志固男神(しこおのかみ)
・寅・戌:大己貴神(おおなむちのかみ)
・辰・申:八千矛神(やちほこのかみ)
・午:顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
・巳・未:大国魂神(おおくにたまのかみ)
・丑・亥:大物主神(おおものぬしのかみ)
・子:大国主神(おおくにぬしのかみ)
三井神社
下鴨神社の摂社・三井神社(みついじんじゃ)です。
三身社と境内社の諏訪社、小杜社、白鬚社から成っています。
祭神
・東社:伊賀古夜日売命(イカコヤヒメ)、賀茂建角身命の妻
・中社:賀茂建角身命(カモタケツノミ)
・西社:玉依媛命(タマヨリヒメ)
・諏訪社:建御名方神(タケミナカタ)
・小杜社:水分神(ミクマリノカミ)
・白鬚社:大伊乃伎命(オオキノキ)※、別名 猿田彦神(サルタヒコ)
※賀茂県主の系譜に登場し、鴨県主祖となったとも云われる(諸説あり)
出雲井於神社(比良木社)
下鴨神社の摂社・出雲井於神社(いずもいのへじんじゃ)です。
祭神に建速須佐乃男命(タケハヤスサノオ)を祀っており、開運厄除の御利益があるとされています。
また、この社の周りの木の葉は柊のようにギザギザなるとされるため、比良木社(ひいらぎしゃ)とも呼ばれています。
御手洗社(井上社)
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祭神に瀬織津姫命(セオリツヒメ)を祀っており、賀茂斎院の禊や解斎などの祓を司る社であるとされています。
なお、元の社地は高野川と鴨川の合流地点でしたが、応仁の乱によって焼失したために此処に遷座したそうです。
ちなみに、社殿の中には注連縄の巻かれた奇石が安置されています。
河合神社
下鴨神社の摂社・河合神社(かわいじんじゃ)です。
祭神に玉依姫命(神武天皇の母神)を祀っており、美人の神様として女性に信仰されています。
なお、創祀は神武天皇の時代と伝えられ、一説には上賀茂、下鴨の元宮であるという説もあるようです。
河合神社についてはこちらの記事を参照:【河合神社】
摂末社一覧
下鴨神社の摂末社一覧は以下の通りです。
摂社
・河合神社:玉依姫命(神武天皇の母神)
・六社:建御方神、八衢毘古神、八衢比賣神、宇迦之御魂神、奥津日子神、奥津比賣神、霊璽、少彦名神
・任部社:八咫烏命
・三井社:賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依媛賣命
・出雲井於神社:建速須佐乃男命
・岩本社
・橋本社
・三井神社:伊賀古夜日売命、賀茂建角身命、玉依媛命
・諏訪社:建御名方神
・小杜社:水分神
・白鬚社:大伊乃伎命(猿田彦神)
・日吉神社
・貴布祢神社:高龗神
末社
・印璽社
・言社:大国主別名七神
・井上社:瀬織津姫命
・相生社:神皇産霊神
・愛宕社:火産霊神
・稲荷社:宇迦之御魂神
・祓社:玉依媛命、賀茂建角身命、祓戸大神
・印納社
・沢田社
・河崎社
・賀茂斎院歴代斎王神霊社
境外摂社
・賀茂波爾神社(赤の宮)
・稲荷社
・御蔭神社(出雲高野神社)
下鴨神社の見どころ
楼門
下鴨神社の楼門(ろうもん)です。
西回廊には「剣の間」があり、葵祭の際には勅使がここで剣を解く間であるとされています。
舞殿
下鴨神社の舞殿(まいどの)です。
葵祭の際には、勅使によって祭文が奏上され、伝統舞踊の東遊(あずまあそび)が奉納されるそうです。
橋殿
下鴨神社の橋殿(はしどの)です。
御蔭祭(みかげまつり)の際に神宝を安置する御殿とされています。
神服殿
下鴨神社の神服殿(しんぷくでん)です。
夏・冬の神服を奉製する御殿であったとされています。
中門
下鴨神社の中門です。
この先に拝殿があります。
拝殿
下鴨神社の拝殿です。
この奥に主祭神を祀る本殿があります。
御手洗川(御手洗池)
下鴨神社の御手洗川(みたらしがわ)です。川に架かる橋は輪橋(そりはし)と言います。
この川は、土用の丑の日に川に足を浸して疫病を封じる「足つけ神事」、立秋の前夜の「矢取の神事」、葵祭の「斎王代の禊の儀」をはじめとする祓の神事が行われる場所とされています。
また、常に水が流れているわけではないのに、土用が近づくとこんこんと水が湧き出すことから、鴨の七不思議の一つに数えられており、その様(水あわ)を模って作られたとも云われる「みたらし団子」の発祥地であるともされています。
お白石
下鴨神社のお白石(おしろいし)です。
お白石とは境内に敷き詰められている石を指し、現在では境内から一旦持ち出した石を3年間清めて、再び境内に戻すという「石拾い神事」「お白石持神事」に用いられているそうです。
なお、この神事は古代の磐座信仰に由来しているとされ、古来より神を迎えるのに相応しい石を鴨川の河原から探し出し、その石を集めて式年遷宮に度に取り替えるという風習があったとされています。
糺の森
下鴨神社の糺の森(ただすのもり)です。
下鴨神社の鎮守の森であり、摂社・河合神社を経由する表参道にもなっています。
古木が茂り、清流が流れるという美しい景観を誇る原生林であり、森の中心は古代から祭場とされてきたそうです。
なお、「糺」とは「偽りを糺す」の意とされていますが、そのほかにも諸説あり、真意は謎とされています。
糺の森についてはこちらの記事も参照:【糺の森】
料金: 無料(一部有料)
住所: 京都府京都市 左京区下鴨泉川町59(マップ)
営業: 6:30~18:00
交通: 出町柳駅(徒歩13分)、京都市バス「下鴨神社前」下車
公式サイト: http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
住所: 京都府京都市 左京区下鴨泉川町59(マップ)
営業: 6:30~18:00
交通: 出町柳駅(徒歩13分)、京都市バス「下鴨神社前」下車
公式サイト: http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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