人文研究見聞録:堀川戎神社 [大阪府]

大阪市北区にある堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)です。

欽明天皇の御代に創祀された古社であり、祭神に蛭児大神・少彦名命・天太玉命を祀っています。

「堀川のえべっさん」と呼ばれ、毎年1月9~11日には十日戎が行われることでも知られているそうです。


神社概要

由緒

公式サイトによれば、欽明天皇の御代(539~571年)、蛭子大神の神託を受けた止美連吉雄(とみのむらじよしお)が堀江で玉を得て、これを御霊代として蛭子大神を富島に祀り、瓊見社(たまみのやしろ)・止美社(とみのやしろ)と名付けたのが創祀と伝わるとされます。

飛鳥時代には、白雉2年(651年)に少彦名命(淡島明神)の神像を刻んで祀り、大宝3年(703年)に天太玉命を相殿に祀って祭神三座となり、平安時代には平治の乱(1159年)を避けて丹波国山家に遷座し、文和年間(1352~1355年)に現在地に遷座
して、以降は蛭子社・恵美須社・堀川戎社と呼ばれて篤い信仰を集めたそうです。

その後、江戸中期より十日戎が盛大に行われるようになったとされ、近代には明治40年(1907年)に数社を合併し、堀川神社と改称して村社となり、昭和20年(1945年)の戦災で全建物を焼失し、以降 順次復興して昭和38年(1963年)に本殿を再建して現在に至るとされています。

祭神

堀川戎神社の祭神は以下の通りです。

【主祭神】

・蛭児大神(ヒルコ):イザナギ・イザナミの最初の子であり、不具であったために流された神(エビス神とも)

【配祀神】

・少彦名命(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神とされる
・天太玉命(アメノフトダマ):『日本神話』に登場する神で、岩戸隠れの際太占(フトマニ)を行った(忌部氏の祖神)

境内社

榎木神社(地車稲荷)

人文研究見聞録:堀川戎神社 [大阪府]

堀川戎神社の境内社・榎木神社(えのきじんじゃ)です。

慶長3年に創祀され、江戸後期に地車を本殿として祀られたことから地車稲荷(だんじりいなり)とも呼ばれています。

また、神使がキツネではなく、タヌキとなっている珍しい稲荷社にもなっています。

【由緒】

由緒書によれば、慶長3年(1598年)に掘られた天満堀川の堀止の横に榎の大木があり、いつの頃からか人々はその木に神霊(句句廼知神)が鎮まっていると考えて大木の根元に祠を造り、合わせて堀川戎神社の末社・稲生神社の別魂(宇賀御魂神)を祀ったとされます。

その後、天保8年(1837年)に それまで堀留となっていた天満堀川が大川(淀川)まで延長した際、役所より榎木神社設立の命令が下ったことから約15坪の土地を得て、天保10年(1839年)2月に合併政策によって堀川戎神社の境内に移転し、地車(だんじり)を本殿として祀られたそうです。

昭和期には戦災によって焼失してしまったため、仮奉祀を経て地車の構造の社殿を造営し、昭和33年11月28日に遷座して現在に至るとされています。なお、当社の神使は狐ではなく狸(タヌキ)であり、特に地車稲荷(だんじりいなり)の通称は江戸時代より関西一円に名高く、古くから願い事が叶えられると その夜「地車ばやし」が聞こえると言われているそうです。

【祭神】

・句句廼知神(ククノチ):イザナギ・イザナミの神産みによって生まれた木の神
・宇賀御魂神(ウカノミタマ):稲荷神であり、スサノオの御子神とされる

その他の境内社

人文研究見聞録:堀川戎神社 [大阪府]

堀川戎神社の境内社は以下の通りです。

・淡島神社
・松尾社
・工匠神社
・大国主社
・菅原社
・皇大神
・幸神社

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:堀川戎神社 [大阪府]

堀川戎神社の鳥居です。

福興戎像

人文研究見聞録:堀川戎神社 [大阪府]

堀川戎神社の福興戎像です。

阪神大地震被災鳥居彫刻と説明されています。

拝殿

人文研究見聞録:堀川戎神社 [大阪府]

堀川戎神社の拝殿です。

料金: 無料
住所: 大阪府大阪市北区西天満5丁目4番17号(マップ
営業: 6:00~20:00
交通: 南森町駅(徒歩6分)、扇町駅(徒歩7分)、大阪天満宮駅(徒歩8分)

公式サイト:http://www.horikawa-ebisu.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。