石上神宮 [奈良県]
2015/09/01
奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)です。
第10代崇神天皇7年(紀元前1世紀頃?)から存在している古社であり、日本最古級の神社として知られています。
神社概要
由緒
社伝によれば、主祭神の布都御魂剣(ふつのみたま)は、タケミカヅチとフツヌシの2神による葦原中国平定の際に使われた剣であり、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、タカクラジを通して天皇の元に渡ったとされています。
その後は物部氏の祖であるウマシマジによって宮中で祀られていたとされ、さらに時代の下った崇神天皇7年に天皇の勅命によって物部氏のイカガシコオが現在地に遷し、この地に布都御魂剣を「石上大神」として祀ったことが石上神宮の最初とされています。
なお、『古事記』『日本書紀』にも石上神宮の名が登場しており、古代日本で朝廷の軍事を執った物部氏(もののべし)が祭祀を司り、ヤマト王権の武器庫として使用されていたことが記載されています。
また、『日本書紀』おいて「神宮」と記載されたのは伊勢神宮と石上神宮だけであり、それによれば日本最古の神宮となります。そのため、古くは伊勢神宮と同様に斎宮(神に奉仕する巫女)が居たという記録もあるそうです。
なお、現在では物部氏の総氏神を祀る神社として、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されています。
祭神
主祭神
・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ):神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)※に宿る神霊
→ 公式サイトから詳しい神話を見ることができます:【石上神宮:布都御魂大神】
※布都御魂剣:タケミカヅチが葦原中国を平定して時に使ったとされる霊剣、神武東征のときにはタカクラジを通じて神武天皇に与えられた
配祀神
・布留御魂大神(ふるのみたま):十種神宝(とくさのかんだから)※に宿る神霊
→ 公式サイトから詳しい神話を見ることができます:【石上神宮:布留御魂大神】
・布都斯魂大神(ふつしみたま):天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)※に宿る神霊
→ 公式サイトから詳しい神話を見ることができます:【石上神宮:布都斯魂大神】
・宇摩志麻治命(うましまじのみこと):饒速日尊(にぎはやひ)の子であり、物部氏、穂積氏らの祖
・五十瓊敷命(いにしきのみこと):第11代垂仁天皇の皇子
・白河天皇(しらかわ てんのう):第72代天皇
・市川臣命(いちかわおみのみこと):天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔であり、当社社家の祖
※十種神宝:『先代旧事本紀』に登場し、饒速日尊(にぎはやひ)が天降りする際に、天神御祖から授けられた天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)を指す
※天羽々斬剣:『日本書紀』の異伝に登場し、スサノオがヤマタノオロチを倒したときに使用した剣を指す。『先代旧事本紀』では蛇之麁正(おろちのあらまさ)という
・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ):神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)※に宿る神霊
→ 公式サイトから詳しい神話を見ることができます:【石上神宮:布都御魂大神】
※布都御魂剣:タケミカヅチが葦原中国を平定して時に使ったとされる霊剣、神武東征のときにはタカクラジを通じて神武天皇に与えられた
配祀神
・布留御魂大神(ふるのみたま):十種神宝(とくさのかんだから)※に宿る神霊
→ 公式サイトから詳しい神話を見ることができます:【石上神宮:布留御魂大神】
・布都斯魂大神(ふつしみたま):天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)※に宿る神霊
→ 公式サイトから詳しい神話を見ることができます:【石上神宮:布都斯魂大神】
・宇摩志麻治命(うましまじのみこと):饒速日尊(にぎはやひ)の子であり、物部氏、穂積氏らの祖
・五十瓊敷命(いにしきのみこと):第11代垂仁天皇の皇子
・白河天皇(しらかわ てんのう):第72代天皇
・市川臣命(いちかわおみのみこと):天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔であり、当社社家の祖
※十種神宝:『先代旧事本紀』に登場し、饒速日尊(にぎはやひ)が天降りする際に、天神御祖から授けられた天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)を指す
※天羽々斬剣:『日本書紀』の異伝に登場し、スサノオがヤマタノオロチを倒したときに使用した剣を指す。『先代旧事本紀』では蛇之麁正(おろちのあらまさ)という
社名
石上神宮には多くの別名があることで知られています。
・石上振神宮(いそのかみふるじんじゃ)
・石上坐布都御魂神社(いそのかみいますふるのみたまじんじゃ)
・石上布都御魂神社(いそのかみふるのみたまじんじゃ)
・石上布都大神社(いそのかみふるだいじんじゃ)
・石上神社(いそのかみじんじゃ)
・石上社(いそのかみしゃ)
・布留社(ふるしゃ)
・岩上大明神(いわがみだいみょうじん)
・布留大明神(ふるだいみょうじん)
・いわがみさん:地元民からの俗称
・石上坐布都御魂神社(いそのかみいますふるのみたまじんじゃ)
・石上布都御魂神社(いそのかみふるのみたまじんじゃ)
・石上布都大神社(いそのかみふるだいじんじゃ)
・石上神社(いそのかみじんじゃ)
・石上社(いそのかみしゃ)
・布留社(ふるしゃ)
・岩上大明神(いわがみだいみょうじん)
・布留大明神(ふるだいみょうじん)
・いわがみさん:地元民からの俗称
鎮魂祭
十種神宝(とくさのかんだから) |
鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)は、宮中で新嘗祭(にいなめさい)の前日に天皇の鎮魂を行う儀式とされますが、石上神宮をはじめ、新潟県の彌彦神社や島根県大田市の物部神社などでも行われる祭です。
太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期に行われる祭であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられているそうです。
また『先代旧事本紀』によれば、饒速日命(にぎはやひ)が天津神より下された十種神宝(とくさのかんだから)を用いた呪法に由来するされ、饒速日命の子の宇摩志麻治命(うましまじ)が十種神宝を使って神武天皇の心身の安鎮を祈ったことに始まると記されています。
『先代旧事本紀』はこちらのサイトで読むことができます。:【先代旧事本紀|天璽瑞宝】
境内社
摂社・出雲建雄神社
石上神宮の摂社・出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)です。式内社であり、祭神に出雲建雄神(いずもたけおのかみ)を祀っています。
由緒書によれば、留邑智(ふるのおち)という神主の夢の中に「布留川の上に八重雲が立ちわき、その雲の中で神剣が光り輝いている」という情景が登場したため、その明朝、さっそく夢で見た場所に行ってみると そこには8つの霊石があって、その場に現れた神が「われは尾張氏(おわりうじ)の女が祭る神である。今この地に天降(あまくだ)って、皇孫を保(やすん)じ諸民を守ろう」 と託宣されたため、神宮の前の丘の上に社殿を建てて、そこに祀ったとされています。
この神については詳しくは分かってないようですが、江戸時代には出雲建雄神は布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の子神と考えられおり、「若宮(わかみや)」と呼ばれていたそうです。
また、社殿の前の由緒書には、由緒が漢文で書かれていますが そこには「出雲健雄神ハ草薙ノ神剣ノ御霊ニ坐ス」と記されており、三種の神器の一つの草薙剣に宿る御霊であるとも取れます。そのため、スサノオをと関係性を指摘する説やスサノオそのものであるという説もあります。
摂社・天神社
石上神宮の摂社・天神社(てんじんじゃ)です。
天神社と言えば普通は菅原道真公(天神様)を祀ると思われがちですが、石上神宮の場合は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二座を祀っています。
この神々は『古事記』において最初に現れた天之御中主神(アメノミナカヌシ)の次に現れた二柱の神々であり、これら三柱の神々は「造化の三神」と呼ばれ、天津神(天神)の中でもさらに尊い別天津神(ことあまつかみ)とされています。
よって、菅原道真公が天神として祀られる以前から存在していた天神社であり、「天神」のその意味合いも、現在とは異なる古いものであると考えられます。
摂社・七座社
石上神宮の摂社・七座社(ななざしゃ)です。
七座社は、天神社で祀られる神々と併せて九座の神と数えられ、生命の守護を司る宮中八神に、禍(わざわい)や穢(けがれ)を改め直す大直日神を併せて祀ったものとされ、 石上神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)と深い関係があり、 古くから鎮座しているものと伝えられているそうです。
祭神
・生産霊神(いくむすびのかみ):『旧事紀』※と『古語拾遺』※に登場し、神武天皇即位の際に神籬(ひもろぎ)を建てて祀った八神の一柱
・足産霊神(たるむすびのかみ):同上
・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ):同上
・大宮能売神(おおみやのめのかみ):同上
・御膳都神(みけつかみ):同上。神名から食糧を司る神であると思われる
・辞代主神(ことしろぬしのかみ):同上。大国主の子である事代主と同名である
・大直日神(おおなおびのかみ):同上
※旧事紀(くじき):物部氏系の歴史書である『先代旧事本紀』を指す
※古語拾遺(こごしゅうい):斎部氏が編纂した神道資料
・生産霊神(いくむすびのかみ):『旧事紀』※と『古語拾遺』※に登場し、神武天皇即位の際に神籬(ひもろぎ)を建てて祀った八神の一柱
・足産霊神(たるむすびのかみ):同上
・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ):同上
・大宮能売神(おおみやのめのかみ):同上
・御膳都神(みけつかみ):同上。神名から食糧を司る神であると思われる
・辞代主神(ことしろぬしのかみ):同上。大国主の子である事代主と同名である
・大直日神(おおなおびのかみ):同上
※旧事紀(くじき):物部氏系の歴史書である『先代旧事本紀』を指す
※古語拾遺(こごしゅうい):斎部氏が編纂した神道資料
末社・猿田彦神社
石上神宮の末社・猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)です。
当社は江戸時代には祭王御前・山上幸神・道祖神社などと呼ばれ、現在地よりさらに東の山中に祀られていたそうです。
明治10年に現在地に移され、 明治43年に内山永久寺の鎮守社であった住吉社の御祭神を合祀して現在に至るとされています。
主祭神
・猿田彦神(さるたひこ):日本神話で天孫降臨の際に天津神の前に現れた神。みちひらきの神として祀られる
配祀神
・底筒男神(そこつつのおのかみ):住吉三神の一柱。イザナギの穢れから生まれ、神宮皇后の三韓征伐を導いた・中筒男神(なかつつのおのかみ):同上
・上筒男神(うわつつのおのかみ):同上
・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと):第14代仲哀天皇の皇后である神功皇后(じんぐうこうごう)を指す
・高龗神(たかおかみのかみ):日本における代表的な水の神であり、貴船神社の祭神として有名
・猿田彦神(さるたひこ):日本神話で天孫降臨の際に天津神の前に現れた神。みちひらきの神として祀られる
配祀神
・底筒男神(そこつつのおのかみ):住吉三神の一柱。イザナギの穢れから生まれ、神宮皇后の三韓征伐を導いた・中筒男神(なかつつのおのかみ):同上
・上筒男神(うわつつのおのかみ):同上
・息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと):第14代仲哀天皇の皇后である神功皇后(じんぐうこうごう)を指す
・高龗神(たかおかみのかみ):日本における代表的な水の神であり、貴船神社の祭神として有名
末社・祓戸神社
石上神宮の祓戸神社(はらえどじんじゃ)です。
入口は注連柱に縄が張られたタイプの鳥居となっており、この先は立入禁止になっています。また、由緒書なども無かったため、当社の詳細は不明です。
社名より推測される祭神は祓戸大神(はらえどのおおかみ)なのですが、この神は神道において祓を司どる神であるとされており、『延喜式』の祝詞には瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸大神と呼ぶとされています。
ちなみに、この内の瀬織津比売(せおりつひめ)は天照大神の荒魂として祀られることが多い神であり、向津媛命(むかつひめ)という名で祀られていることもあります。
境内の見どころ
大鳥居
石上神宮の大鳥居です。
参道の入口に建っており、台湾の檜(ひのき)で出来ているそうです。
柿本人麻呂歌碑
石上神宮の柿本人麻呂歌碑(かきのもとひとまろかひ)です。
飛鳥~奈良時代の歌人・柿本人麻呂によって詠まれた以下のような歌が刻まれています。
原文
「未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)」
訳文
『布留山に瑞垣が出来た昔から あなたのことを思っていました。』
「未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)」
訳文
『布留山に瑞垣が出来た昔から あなたのことを思っていました。』
なお、柿本氏は未だによく分からない氏族とされていますが、「かきのもと」の音から、神域・宮殿・殯宮・古墳等の瑞垣を守ることを職掌としていた可能性を指摘する説があります。
また、石上神宮は死者を蘇らせるという十種神宝の呪術でも有名であり、その情景が歌と重なるという指摘もあるそうです。
楼門
石上神宮の楼門です。
鎌倉末期(1318年)に建立されたものであり、現在では重要文化財に指定されているそうです。
拝殿
石上神宮の拝殿です。
この拝殿は、第72代白河天皇が石上神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、平安末期(1081年)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。
また、拝殿としては現存する最古のものであるため、現在では国宝に指定されているそうです。
ちなみに、石上神宮には当初は本殿が無く、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称して、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていたとされています。
そして、古くから神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治初頭に当時の宮司が調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」も発見され、その伝承が事実であったことが証明されています。
七支刀
七支刀(しちしとう)とは、古くから石上神宮に伝来してきた鉄剣のことです。
神宮では これを「六叉の鉾(ろくさのほこ)」と呼び、神田にその年はじめて苗を植える儀式に神を降ろす祭具として用いていたとされています。
なお、『日本書紀』には"神宮皇后が朝政を執ったとされる時代に百済から七枝刀(ななつさやのたち)が献上された”とあり、この記述との関連性が指摘されているそうです。
現在、その現物を見ることはできませんが、石上神宮の拝殿の前には七支刀の写真が飾られています。
神功皇后についてはこちらの記事を参照:【神功皇后とは?】
神杉
石上神宮の神杉です。
石上神宮の神杉は、『万葉集』にも「石上布留の神杉…」とその名が登場しているものなんだそうです。
また、神杉について以下のような伝承も残されています。
布留の神杉
昔、いその神の振る川(布留川)は、山深く、樹木が生い茂り、流れも美しい川でした。当時の人々の暮らしに欠かすことのできない貴重な川だったのです。
ある日、1人の女が白い布を洗っていると、上流から草木をなぎ倒しながら、泳ぐように流れを下ってくる細長いものが目につきました。みるみるうちに白布にすっぽりと包まれたそれは、よく見れば剣先鋭く、まばゆいばかりに光を放っている鉾(ほこ)でした。
驚いた女は、自分の家に持ち帰るのを恐れ、川のほとりに立てて日ごとお祭りを欠かさずに行いました。そのおかげで人々は日々平和な生活ができたといいます。
その後、鉾も雨風にさらされて朽ち果ててしまったので、その地に穴を掘り、鉾先を埋めて祭りました。すると、間もなくその地に杉が芽生え、天をも刺すほどにすくすくと成長しました。
そして、この杉が布留の神杉と言われるようになったということです。
昔、いその神の振る川(布留川)は、山深く、樹木が生い茂り、流れも美しい川でした。当時の人々の暮らしに欠かすことのできない貴重な川だったのです。
ある日、1人の女が白い布を洗っていると、上流から草木をなぎ倒しながら、泳ぐように流れを下ってくる細長いものが目につきました。みるみるうちに白布にすっぽりと包まれたそれは、よく見れば剣先鋭く、まばゆいばかりに光を放っている鉾(ほこ)でした。
驚いた女は、自分の家に持ち帰るのを恐れ、川のほとりに立てて日ごとお祭りを欠かさずに行いました。そのおかげで人々は日々平和な生活ができたといいます。
その後、鉾も雨風にさらされて朽ち果ててしまったので、その地に穴を掘り、鉾先を埋めて祭りました。すると、間もなくその地に杉が芽生え、天をも刺すほどにすくすくと成長しました。
そして、この杉が布留の神杉と言われるようになったということです。
石灯篭
石上神宮の天神社の前にある石灯篭(いしとうろう)です。
皇室のマークである菊家紋章と、五芒星と逆五芒星を合わせたような奇妙な紋章が刻まれています。
五芒星と言えば陰陽道では呪詛や魔除けに使われるシンボルとされています。
しかし、これが合わさって十芒星となっている紋章は初めて見ました。
これは一体何を表しているのでしょうか?鎮魂祭に関連するのでしょうかね?謎です。
なお、このほかにも四角形が重なった紋や、桃に似た形の紋も刻まれています。
長生殿の鬼瓦
石上神宮の長生殿には鬼瓦が使用されています。
鬼瓦とは「鬼」を模った瓦であり、厄除けと装飾を目的とした役瓦の一つとされています。
鏡池
石上神宮の鏡池(かがみいけ)です。
この池には奈良県の天然記念物に指定されている「ワタカ」という珍しい魚が生息しています。
ワタカ |
遊歩道
石上神宮の遊歩道です。
鏡池を取り囲むように、丸い石を並べた小径が設けられています。
森林の中に配置されているため、ここを通りながら森林浴を楽しむことができます。
諸霊招魂碑
石上神宮の諸霊招魂碑(しょれいしょうこんひ)です。
遊歩道の途中に建っており、秋分の日には碑の前で ここに鎮まる諸霊に対する祭りが行われるそうです。
牛像
石上神宮の牛像です。
牛といえば、菅原道真公を祀る天満宮に奉納されていることが多いのですが、この石上神宮にもあります。
物部氏と牛には、何か繋がりがあるのでしょうか?
鶏像
石上神宮の鶏像です。
石上神宮には多くの鶏が放し飼いにされていることが知られていますが、鶏の像もあります。
鶏
石上神宮の鶏(にわとり)です。
日本神話では常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)とも呼ばれ、アマテラスの岩戸隠れの際の儀式にも登場しています。
石上神宮に生息している鶏は、今から40年程前に奉納されたものが自然繁殖したそうです。
そのため、境内には数種類の鶏が自由気ままに闊歩している光景が目に入ります(近寄っても逃げません)。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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