人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

京都市西京区松室山添町にある月読神社(つきよみじんじゃ)です(月讀神社とも表記)。

第23代顕宗天皇3年(5世紀)に創建されたと伝わる古社であり、祭神に月読尊(ツクヨミ)を祀っています。

なお、現在は松尾大社の摂社であり、松尾七社の一社に数えられています。


神社概要

由緒

由緒書によれば、今から約1500年前に当たる顕宗3年(487年)に朝鮮半島への使者・阿閉臣事代(あべのおみことしろ)に月読尊から神託が下ったことから、天皇より山代国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したことに始まり、斎衡三年(856年)に松尾山南麓の現在地に移ったとされています。

これは、国史である『日本書紀』の「顕宗天皇記」および『日本文徳天皇実録』に記述されている内容であると思われます(『日本文徳天皇実録』によれば、水害の危険を避けるために遷座したとされる)。

なお、『日本書紀』および「由緒書」の詳しい内容は以下の通りです。

日本書紀(顕宗天皇記)

顕宗天皇3年2月1日、阿閉臣事代(あへのおみ ことしろ)は天皇の命を受けて任那(みまな)に赴任した。

この時、月神(つきのかみ)が依り憑き「我が祖、高皇産霊(たかみむすひのみこと)は天地を創造された。人の地を我が月神に奉納せよ。もし献上すれば良いことが起こるだろう」と仰せられた。

事代は京に戻って天皇に奉上し、歌荒樔田(うたあらすだ)を奉納した。歌荒樔田は山背國葛野郡にある。壹伎縣主(いきのあがたぬし)の先祖の押見宿禰(おしみのすくね)が祠をお祀りした。

由緒書

月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。

文献によれば、顕宗三年(487年)阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊(ツクヨミ)が依り憑いて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山代国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したとされ、斎衡三年(856年)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。

境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成されています。

月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山代国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代教徒の神祇信仰や、また渡来文化を考える上で重要な意味を持つ神社であるといえます。

祭神

月読神社の祭神は以下の通りです。

主祭神

・月読尊(ツクヨミ):国産み・神産みを成したイザナギ・イザナミの御子神であり、月を神格化した神とされる
 → 『記紀』によって誕生の様子が異なる
  ⇒ 『古事記』ではイザナギの右眼から化成したとされる
  ⇒ 『日本書紀』ではイザナギ・イザナミの御子神とされる
 → 『日本書紀』における創建伝承では、祖を高皇産霊(タカミムスビ)としている
 → 当社では授福の神・安産の神として信仰される

相殿

・高皇産霊尊(タカミムスビ):『古事記』における造化三神の一柱
 → 『日本書紀』による創建伝承によれば、月神自らが祖であると言っている神
 → 由緒書に表記は無く、文献によって相殿に祀られると書かれることがある

境内社

聖徳太子社

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読神社の聖徳太子社(しょうとくたいししゃ)です。

社伝によれば、月読尊を崇敬したとされる聖徳太子の霊を祀っています。

また、「学問の神」としても祀られているそうです。

御船社

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読神社の御船社(おふねしゃ)です。

祭神に天鳥舟命(アメノトリフネ)を祀っており、松尾大社の末社にも属しているそうです。

なお、「航海安全」、「交通安全」の神であるとされています。

関連知識

月読尊について

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読尊 (ツクヨミ)とは、アマテラス、スサノオの兄弟神で月を神格化した神であり、『古事記』において、イザナギの右眼から生まれ、蒼海原の統治(もしくは夜食国、天)を命じられた後、食糧神・ウケモチを斬り殺したとされていますが、それ以外に全く記載されない謎の神であるとされています。

なお、月読神社の祭神である月読尊は「記紀神話とは別の伝承で伝えられた月神である」と考えられており、『日本書紀』によれば高皇産霊(タカミムスビ)を祖とする「月神」を指し、九州の壱岐県主(いきのあがたぬし)によって奉斎されたと伝えられているそうです。

また、この月神は、『旧事紀』において「天月神命」の神名で壱岐県主の祖と記されていることから、月読神社の祭神である月読尊は、海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定されています(由緒書においても海上の神として紹介されています)。

また別説として、壱岐氏が卜部を輩出したことから亀卜の神(占いをする神)とする説もあるようです。

なお、『日本書紀』における三貴子(日神・月神・素戔嗚)は別パターンで複数回誕生しており、その際の神名もそれぞれ異なります(日神・天照大神・大日孁貴、月神・月読尊・月弓尊・月夜見尊などがあり、素戔嗚尊だけ共通している)。

また、「顕宗天皇記」に登場する日神・月神は、イザナギではなく高皇産霊(タカミムスビ)を祖とするとされていることから、この記述はイザナギから誕生した三貴子とは異なる日月の神が複数存在するということを示唆しているとも考えられます。

月読尊と桂

当地の風土記であり『山代国風土記』には「月読尊と桂」にまつわる以下のような説話があります。

桂里(山代国風土記)

【原文】

山城の風土記に曰はく、月讀尊、天照大神の勅を受けて、豐葦原の中國に降りて、保食(うけもち)の神の許に到りましき。時に、一つの湯津桂の樹あり、月讀尊、乃ち其の樹に倚(よ)りて立たしましき。其の樹の有る所、今、桂の里と號く。

【日本語訳】

山城の風土記によれば、月読尊は天照大神の勅命を受けて豊葦原の中国(とよあしはらのなかつくに)に天降り、保食神のもとを訪れた際、その地にあった湯津桂の樹に憑りついたので、その樹があるところ「桂(の里)」と呼ぶようになった。

境内の見どころ

鳥居

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月読神社の鳥居です。

扁額には「月讀大神」と刻まれています。

舞殿


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月読神社の舞殿です。

拝殿

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読神社の拝殿(はいでん)です。

月延石

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]
人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読神社の月延石(つきのべいし)です(真中の石)。

安産祈願のための霊石であり、妊婦の守護神とされています。

そのため、石を撫でると その神威を受けることができるとされているようです。

なお、周辺にある安産守りの祈願石は、授与所にて受付を行っています。

解穢の水

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読神社の解穢の水(かいわいのみず)です。

山から絶えることなく湧いている霊水とされ、読んで字のごとく、穢れを解く清めの水とされています。

ただし、あくまで手水用の水であるため、飲用ではありません

願掛け陰陽石

人文研究見聞録:月読神社 [京都府]

月読神社の願掛け陰陽石(がんかけいんようせき)です。

左右の石を撫でながら祈願すると、願いが叶うとされています。

料金: 無料
住所: 京都府京都市西京区松室山添町15(マップ
営業: 終日開放
交通: 松尾大社駅(徒歩8分)

公式サイト: http://www.matsunoo.or.jp/shaden/keigai/pr3-1.shaden.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。