法起寺 [奈良県]
2015/09/06
奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある法起寺(ほうきじ)です。
聖徳太子建立七大寺の一つに数えられており、古くは岡本寺、池後寺(いけじりでら)、池後尼寺とも呼ばれたとされます。また、「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として、世界遺産にも登録されています。
なお、当地は元は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、太子の遺言によって長子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が寺に改めたと伝えられています。
寺院概要
縁起
寺伝によれば、推古天皇30年(622年)2月22日、聖徳太子の遺言により、長子の山背大兄王が岡本宮を寺に改めたことに始まるとされます。
後に福亮僧正や恵施僧正によって伽藍や仏像が造られたとされますが、室町時代あたりから徐々に荒廃していき、江戸時代には三重塔を残すのみという有様だったそうです。
その後は所轄を転々とすることとなったそうですが、昭和25年(1950年)に法隆寺を総本山とする聖徳宗が開宗され、その本山の一つとなることで現在の形にまで再興したとされています。
法起寺の縁起
推古天皇30年(622)2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄王に岡本宮を改めて寺とすることを遺命し、山背大兄王は大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したという。
その後、舒明天皇10年(638)に福亮僧正(ふくりょうそうじょう)が聖徳太子のために弥勒像一体と金堂を造立し、天武天皇14年(685)には恵施僧正(えせそうじょう)が宝塔の構立を発願し、慶雲3年(706)3月に塔の露盤を作ったとしている。
推古天皇30年(622)2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、長子の山背大兄王に岡本宮を改めて寺とすることを遺命し、山背大兄王は大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したという。
その後、舒明天皇10年(638)に福亮僧正(ふくりょうそうじょう)が聖徳太子のために弥勒像一体と金堂を造立し、天武天皇14年(685)には恵施僧正(えせそうじょう)が宝塔の構立を発願し、慶雲3年(706)3月に塔の露盤を作ったとしている。
本尊
・十一面観音菩薩立像(じゅういちめんかんのんぼさつぞう):像高3.5mであり、10世紀後半の作とされる
境内の見どころ
山門
法起寺の山門です。
講堂(本堂・観音堂)
法起寺の講堂(こうどう)です。
講堂の旧跡に建てられ、現在のものは1694年の再建であるとされています。
聖天堂
法起寺の聖天堂(しょうてんどう)です。
金堂の旧跡に建てられ、現在のものは1863年の再建であるとされています。
なお、聖天堂には本尊・歓喜天像を安置されています。
収蔵庫
法起寺の収蔵庫(しゅうぞうこ)です。
本尊・十一面観音菩薩立像などの仏像が安置されています。
三重塔
法起寺の三重塔(さんじゅうのとう)です。
現存する最古の三重塔とされており、縁起によれば、創建は慶雲3年(706)であるとされています。
なお、塔の高さは23.9メートルです。
三重塔旧心礎
法起寺の三重塔旧心礎(さんじゅうのとうしんそ)です。
心礎とは、 塔の心柱(しんばしら)の礎石のことです。
鐘楼跡
法起寺の鐘楼跡(しょうろうあと)です。
鐘楼とは、梵鐘を吊し、時を告げる施設のことを指します。
法起寺の蓮池
法起寺の蓮池です。
法起寺の鬼瓦
法起寺の鬼瓦です。
法隆寺と同様に、伽藍には多数の鬼瓦が使用されています。
謎のオブジェ
法起寺の蓮池付近には家形の謎のオブジェがあります。
料金: 300円
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873(マップ)
営業: 8:30~17:00(冬季16:30)
交通: 大和小泉駅(25分)、法隆寺駅(徒歩34分) ※法隆寺から徒歩22分
公式サイト: http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873(マップ)
営業: 8:30~17:00(冬季16:30)
交通: 大和小泉駅(25分)、法隆寺駅(徒歩34分) ※法隆寺から徒歩22分
公式サイト: http://www.horyuji.or.jp/hokiji.htm
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿