聖徳太子建立七大寺とは?(まとめ)
2015/09/06
聖徳太子建立七大寺(しょうとくたいしこんりゅうしちだいじ)とは、聖徳太子が建立したという伝承のある7つの寺院を指します。
このことは、最古の聖徳太子伝記である『上宮聖徳法王帝説(じょうぐう しょうとく ほうおう ていせつ)』に「太子、七寺を起す。四天皇寺、法隆寺、中宮寺、橘寺、蜂丘寺〔彼の宮を并せて川勝秦公(かわかつのはたのきみ)に賜う〕、池後寺、葛木寺〔葛木臣(かつらぎのおみ)に賜う〕。」とあり、おおむね これに由来しているものと思われます。
なお、寺院それぞれの創建縁起を調べてみると、太子の死後に建立された寺院なども含まれており、解釈が恣意的なものもあります。そのため、七大寺とするのは不自然であるという意見もあるようです。
これは、そうまでして太子建立にしなけらばならない理由があったのか?それとも、世に知られていない真の縁起があるのか?それについてはよく分かりません。
以下、聖徳太子建立七大寺のそれぞれを紹介したいと思います。
聖徳太子建立七大寺一覧
聖徳太子建立七大寺は聖徳太子に創建された7つの寺院である |
・四天王寺(四天皇寺)
・法隆寺(斑鳩寺)
・中宮寺(尼寺)
・橘寺(聖徳太子生誕地)
・広隆寺(蜂丘寺)
・法起寺(池後寺、尼寺)
・葛木寺(尼寺)
・法隆寺(斑鳩寺)
・中宮寺(尼寺)
・橘寺(聖徳太子生誕地)
・広隆寺(蜂丘寺)
・法起寺(池後寺、尼寺)
・葛木寺(尼寺)
詳しくは、下記の一覧表を参考にしてください。
四天王寺(四天皇寺)聖徳太子によって創建された日本初の官寺(国立の寺院)である。 現在のものは二代目であり、前身となる「元四天王寺」という神社がある。 ・本尊:救世観世音菩薩(創建時は四天王が本尊とされる) ・住所:大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 ・交通:天王寺駅(徒歩10分)、四天王寺夕陽丘駅(徒歩14分) ・備考:鳥居がある。また、関連施設として元四天王寺、四天王寺七宮がある。 |
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法隆寺(斑鳩寺)聖徳太子によって創建されたと云われている寺院。もとは斑鳩寺と呼ばれた。 しかし、正史に創建の記録がなく、創建伝承と食い違う部分の多い謎多き寺院でもある。 ・本尊:釈迦如来 ・住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 ・交通:法隆寺駅(徒歩21分) ・備考:日本最古の五重塔とされる。歴史の他、伽藍や仏像にも謎が多い。 |
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中宮寺(尼寺)聖徳太子が母・穴穂部間人皇后のために建立したとされる寺院(尼寺)。 しかし、創建の記録が曖昧な謎多き寺院でもある。 ・本尊:(伝)如意輪観音 ・住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 ・交通:法隆寺駅(徒歩21分)※法隆寺からすぐ ・備考:如意輪観音像(弥勒菩薩像)、天寿国曼荼羅繍帳(レプリカ)を所蔵する |
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橘寺(聖徳太子生誕地)聖徳太子が父・用明天皇の別宮を寺に改めたことに始まるとされる寺院である。 聖徳太子が誕生した場所であるという伝承がある。 ・本尊:聖徳太子 ・住所:奈良県高市郡明日香村橘532 ・交通:岡寺駅(徒歩29分、バスまたはレンタサイクル推奨) ・備考:飛鳥の謎の石造物の一つ「二面石」がある |
広隆寺(蜂丘寺)聖徳太子の所有する「尊い仏像」を祀るために、側近の秦河勝が建立した寺院である。 この「尊い仏像」とは、広隆寺所蔵の2体の弥勒菩薩半跏像であるとされる。 ・本尊:聖徳太子(上宮王院本尊) ・住所:京都府京都市右京区太秦蜂岡町32 ・交通:太秦広隆寺駅(徒歩1分)、太秦駅(徒歩13分) ・備考:弥勒菩薩半跏像を2体所蔵している。 |
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法起寺(池後寺、尼寺)聖徳太子の遺言によって、長子とされる山背大兄王によって建立されて寺院である。 もとは岡本宮であり、それを後に寺に改めたことに始まるとされる。 ・本尊:十一面観音菩薩 ・住所:奈良県生駒郡斑鳩町岡本1873 ・交通:大和小泉駅(25分)、法隆寺駅(徒歩34分) ・備考:日本最古の三重塔とされる。 |
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葛木寺(尼寺)聖徳太子建立七大寺の中で、唯一所在が確認されていない寺院である。 諸説ある中で、橿原市の和田廃寺が最も有力な候補地であるとされている。 ・本尊:不詳 ・住所:橿原市和田町378周辺 ・交通:橿原神宮前駅(徒歩18分) ・備考:和田廃寺(橿原市)、尼寺廃寺(香芝市)、朝妻廃寺(御所市)の3ヵ所が候補地。 |
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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