人文研究見聞録:安倍晴明墓所(陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所) [京都府]

京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町にある安倍晴明墓所(あべのせいめいのぼしょ)です。

平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)の墓所とされており、全国に幾つか存在する晴明の墓所の一つとされています(他は長野県木曽郡や岡山県浅口市など)。

角倉稲荷神社」の境内に位置しており、付近には「長慶天皇嵯峨東陵」があります。

そのため、マップで探す際は上記のスポットの位置を頼りに探すのが分かりやすいと思います。


鳥居

人文研究見聞録:安倍晴明墓所(陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所) [京都府]

安倍晴明墓所の入口には鳥居が設けられています。

どうやら神道形式で埋葬されており、神として祀られているようです。

石碑

人文研究見聞録:安倍晴明墓所(陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所) [京都府]

安倍晴明墓所の入口にある石碑です。以下のような文章が刻まれています。

陰陽博士安倍晴明公は本邦易占天文暦学の開創にして、平安朝の中期朱雀帝より一條帝に到るまで六代の帝に仕へ、移り行く星雲を見て宮中の変事を豫知し、遠國の動静掌中にあるが如く、神道自在の妙術を得られ、朝野の信望極めて篤し斯くて寛弘二年九月二十六日尊齢八十五にて歸幽さるを以て、翠嵐の嵯峨の地を永延の奥城として神鎮り奉ふ。

後世に到るも、奇しき尊き御遺徳を鑚仰する者数多あり、茲に崇敬者相寄り荒廃せる墓域の改修を行ひ、永年の宿願を建成す。

要約すると、「安倍晴明は易占天文暦学の開創であり、平安期の朱雀天皇から一条天皇の6代の天皇に仕え、星の動きを見て変事を察知し、また神道自在の妙術(陰陽道の術)を得た人物であり、朝廷や民間からの信望も篤かった。寛弘2年(1005)9月26日に85歳でこの世を去ったため、この嵯峨の地に神鎮る(祀られている)。」と記されています。

五芒星

人文研究見聞録:安倍晴明墓所(陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所) [京都府]

安倍晴明墓所は五芒星(ごぼうせい)が刻まれた石で囲まれています。

陰陽道では、五芒星には魔除けの意味があるとされていますが、それに因んでのことなのでしょうか?

人文研究見聞録:安倍晴明墓所(陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所) [京都府]
五芒星の刻まれた石

角倉稲荷神社

人文研究見聞録:安倍晴明墓所(陰陽博士安倍晴明公嵯峨御墓所) [京都府]

安倍晴明墓所の真横に鎮座している角倉稲荷神社(すみのくらいなりじんじゃ)です。

戦国時代の京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)を祀っており、この地は その角倉了以の邸宅跡だったとされています。なお、この社は もともとその邸内社だったそうです。

安倍晴明墓所を発見するための目印となる場所なので、ここに記載しておきます。

料金: 無料
住所: 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺角倉町12
営業: 終日開放
交通: 嵐電嵯峨駅(徒歩4分)、嵯峨嵐山駅(徒歩6分)、嵐電嵐山駅(徒歩8分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。