中宮寺 [奈良県]
2015/09/06
奈良県生駒郡斑鳩町にある中宮寺(ちゅうぐうじ)です。
法隆寺と隣接する尼寺であり、聖徳太子建立七大寺の一つに数えられています。
また、国宝の木造菩薩半跏像と天寿国繍帳を所蔵していることで有名です。
寺院概要
歴史
創建については諸説あり、『聖徳太子伝暦』によれば「中宮寺は聖徳太子が母・穴穂部間人皇后の宮殿を寺とした」と記されています。また、後に間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれたとされ、『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』によれば、聖徳太子建立七大寺の一つであるとされています。
創建年代についても不詳とされ、通説では7世紀前半、そのほか推古天皇15年(607)という説もあるようです。
なお、創建当初は現在地よりも500メートルほど東にあったとされ、現在地に移転したのは16世紀末頃と推定されています。現在の本堂は高松宮妃の発願で昭和43年(1968)に建立されたものとされています。
本尊
・木造菩薩半跏像:寺伝では如意輪観音菩薩像と伝わるが、弥勒菩薩像と推定されている
→ 弥勒菩薩:釈迦の次に現れる未来仏とされる
→ 弥勒菩薩:釈迦の次に現れる未来仏とされる
文化財
如意輪観音菩薩像(弥勒菩薩像)
|
|
|
中宮寺の本尊である如意輪観音菩薩像(にょいりんかんのんぼさつぞう)です。
飛鳥時代に造られたクスノキ製の木造仏像であり、当初は多彩に色が塗られていたそうです。その後、時代が下るにつれて色が剥げ落ち、現在は漆黒の仏像となっています(個人的には現在の漆黒の仏像が好きですね)。
なお、如意輪観音というのは平安時代以降の名称であり、当初は弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)として造立されたものとされています。これは既存の如意輪観音菩薩像と弥勒菩薩像を比較してみても明らかですね。
ちなみに、この仏像は「エジプトのスフィンクス」と「ダ・ヴィンチのモナリザ」と並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれており、「東洋のモナリザ」という異称も付いているんだそうです。
天寿国曼荼羅繍帳
中宮寺に収蔵されている天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)です。
これは、聖徳太子の妃・橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の死を悼んで作らせたものであり、非常に貴重な飛鳥時代の染織工芸品とされています。ちなみに中宮寺が所蔵しているものはレプリカであり、本物は奈良国立博物館にて保存されているそうです。
なお、「天寿国」とは「阿弥陀如来の住する西方の極楽浄土を指すもの」と考えられており、「天寿国繍帳」とは「聖徳太子が往生した天寿国のありさまを刺繍で表した帳(とばり)」の意であるとされています。
また、繍帳自体に製作の事情を記した銘文が刺繍で表されており、それを解読すると以下のような内容になるそうです。
天寿国曼荼羅繍帳の銘文
辛巳の年(621年)12月21日、聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が亡くなり、翌年2月22日には太子自身も亡くなってしまった。
これを悲しみ嘆いた太子の妃・橘大郎女は、推古天皇(祖母にあたる)にこう申し上げた。
「太子と母の穴穂部間人皇后とは、申し合わせたかのように相次いで逝ってしまった。太子は天寿国に往生したのだが、その国の様子は目に見えない。せめて、図像(かた)によって太子の往生の様子を見たい」と。
これを聞いた推古天皇は最もな事と感じ、采女(女官)らに命じて繍帷二帳(ぬいもののかたびらふたはり)を作らせた。
画者(ゑがけるもの、図柄を描いた者)は東漢末賢(やまとのあやのまけん)、高麗加西溢(こまのかせい)、漢奴加己利(あやのぬかこり)であり、令者(つかさどれるもの、制作を指揮した者)は椋部秦久麻(くらべのはたくま)である。
辛巳の年(621年)12月21日、聖徳太子の母・穴穂部間人皇后が亡くなり、翌年2月22日には太子自身も亡くなってしまった。
これを悲しみ嘆いた太子の妃・橘大郎女は、推古天皇(祖母にあたる)にこう申し上げた。
「太子と母の穴穂部間人皇后とは、申し合わせたかのように相次いで逝ってしまった。太子は天寿国に往生したのだが、その国の様子は目に見えない。せめて、図像(かた)によって太子の往生の様子を見たい」と。
これを聞いた推古天皇は最もな事と感じ、采女(女官)らに命じて繍帷二帳(ぬいもののかたびらふたはり)を作らせた。
画者(ゑがけるもの、図柄を描いた者)は東漢末賢(やまとのあやのまけん)、高麗加西溢(こまのかせい)、漢奴加己利(あやのぬかこり)であり、令者(つかさどれるもの、制作を指揮した者)は椋部秦久麻(くらべのはたくま)である。
要約すると、太子の死を悲しんだ妃の橘大郎女が、太子が死後に旅立った「天寿国」の様子を直接見ることができないため、せめて図像で見たいと天皇に申し出て、それを聞き入れた天皇が画師や女官に製作を命じて作らせたものであるとのことです。
なお、天寿国曼荼羅繍帳には、多くの天人のほか、亀、鳳凰、そして月の中に兎が描かれています。
ちなみに月に兎がいるという伝説はインドのジャータカ(釈迦の前世の物語)が起源とされており、繍帳の兎も これに由来するものであると考えられます(法隆寺の玉虫厨子にもジャータカをモチーフにした図が描かれている)。
境内の見どころ
本堂
中宮寺の本堂です。
池の上に建立されており、まるで広島の厳島神社を彷彿とさせるような外観となっています。
法隆寺とは別の美しさがありますね。
本堂の池
|
|
|
中宮寺の本堂の足下は池になっています。
池の水は非常に澄んでおり、池内の石が何かの模様のように整えられています(何か意味があるのでしょうか?)。
また、池の中をよく見てみると たくさんの亀とアメンボが棲んでます。
菊家紋章の瓦
中宮寺の紋瓦は法隆寺とは異なり、菊家紋章で統一されています。
謎の社
中宮寺の境内には小さな社があります。
榊が供えられているため、神道形式で祀られた社であると考えられますが、なぜ寺院に社があるのでしょうか?
なお、一般の参拝者が気軽に参拝できるようにはなっておらず、社についての説明もありません。
これについて調べてみたのですが具体的な情報はありませんでした。
この社には一体どのような神が祀られているのでしょうか?まったく謎です。
料金: 大人600円・中学生450円・小学生300円(法隆寺参拝の場合は100円割引)
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2(マップ)
営業: 9:00~16:30(冬季16:00)
交通: 法隆寺駅(徒歩21分)※法隆寺からすぐ
公式サイト: http://www.chuguji.jp/
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2(マップ)
営業: 9:00~16:30(冬季16:00)
交通: 法隆寺駅(徒歩21分)※法隆寺からすぐ
公式サイト: http://www.chuguji.jp/
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿