柿本神社(明石市) [兵庫県]
2015/09/17
兵庫県明石市人丸町にある柿本神社(かきのもとじんじゃ)です。
奈良時代に創建された古社であり、歌聖と称えられる歌人・柿本人麻呂を祀っています。
なお、古くは「人丸神社」と称されており、地元では「人丸さん」の愛称で親しまれているそうです。
神社概要
由緒
柿本神社の創建・創祀の由緒については諸説あります。
wikipedia(社伝としている)によれば、平安前期(887年)に明石の岡(明石城跡)にあった楊柳寺(後の月照寺)に、覚証(かくしょう)という僧侶がおり、夢の中で柿本人麻呂の神霊がこの地に留まっていることを知ったそうです。そして、寺の裏の古塚が「人麻呂が鎮まる塚」であることが分かったため、塚上に人麻呂を祀る祠を建てて寺の鎮守としたことに始まるとされています。
由緒書によれば、江戸時代初期、当時の明石城主であった小笠原忠真(おがさわらただざね)が、人麻呂公を歌聖として篤く尊崇していたため、縁深いこの地に祀ったとされています。
これらについては、もともと明石の岡にあった楊柳寺の古塚に人麻呂の神霊を祀られており、後にその場所に明石城が建てられた際、当時の明石城主・小笠原忠真によって現在地に遷座されたと考えられているようです。
また別説では、人麻呂が水死させられたという説があることから、本来は非業の死を遂げた人麻呂の怨霊を慰めるために祀られたという説や、『古今和歌集』の「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」という詠み人しらずの歌の作者を人麻呂に比定して、この地に祀ったという説があります。
なお、神社では別説の後者の説を、縁起として重要視していたそうです。
上記をまとめると、人麻呂公が明石に祀られたことについては謎が多く、具体的には分かっていないようです。しかし、「人丸町」という地名にもなっていることから、その影響力は周辺にも及んでいたものと考えられます。
祭神
柿本神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・柿本人麻呂朝臣(かきのもとひとまろ あそん):飛鳥末期~奈良時代にかけて活躍した宮廷歌人
→ 柿本大明神とも称される
→ 歌聖と仰がれることから歌道の神としての信仰を集める
⇒ 転じて学問文芸の神としても崇められる
→ 「人麿(ひとまる)」を「人生まる(ひとうまる)」と解釈し、安産の神として信仰される
→ 「人麿(ひとまる)」を「火止まる(ひとまる)」と解釈し、火防の神として信仰される
→ 『人丸縁起』によると本地仏は十一面観音とされる
⇒ 十一面観音は旧別当寺として隣接する月照寺に祀られる
・柿本人麻呂朝臣(かきのもとひとまろ あそん):飛鳥末期~奈良時代にかけて活躍した宮廷歌人
→ 柿本大明神とも称される
→ 歌聖と仰がれることから歌道の神としての信仰を集める
⇒ 転じて学問文芸の神としても崇められる
→ 「人麿(ひとまる)」を「人生まる(ひとうまる)」と解釈し、安産の神として信仰される
→ 「人麿(ひとまる)」を「火止まる(ひとまる)」と解釈し、火防の神として信仰される
→ 『人丸縁起』によると本地仏は十一面観音とされる
⇒ 十一面観音は旧別当寺として隣接する月照寺に祀られる
柿本人麻呂について
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とは、飛鳥~奈良時代の宮廷歌人であり、和歌集『万葉集』における代表的な歌人として、後世には歌聖(かせい)と呼ばれ称えられています。
しかし、正史には名前が登場しないため、その人物像については詳しくは分かっていない謎多き人物です。江戸時代には、国学者によって草壁皇子の舎人として仕えたと推定されています。
通説では、天武朝に歌人として仕え、天皇を神格化するために和歌を詠んでいたと考えられているようです(持統天皇の御代に活躍したとみられている)。
また、人麻呂の生没には諸説ありますが、島根県の西部(益田市・浜田市・江津市など)には生没に関する伝説的な伝承が残っています。
なお、人麻呂は明石において以下のような歌を遺したとされます。
明石にまつわる人麻呂の歌
・天離る 夷の長通ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ
・留火の 明石大門に 入る日にか 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず
・天離る 夷の長通ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ
・留火の 明石大門に 入る日にか 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず
詳しくはこちらの記事を参照:【柿本人麻呂とは?】
境内社
五社稲荷神社
柿本神社の五社稲荷神社(ごしゃいなりじんじゃ)です。
祭神に稲荷大神(お稲荷さん)を祀っています。
天神社・三宝荒神社
柿本神社の天神社(てんじんしゃ)・三宝荒神社(さんぽうこうじんじゃ)です。
天神社に菅原道真公、三宝荒神社に竈神(かまどがみ)を祀っています。
境内の見どころ
鳥居
柿本神社の鳥居です。
神門
柿本神社の神門です。
門の左右には随神(ずいしん)が安置されています。
拝殿
柿本神社の拝殿です。
水平日時計
柿本神社の神門前には水平日時計があります。
亀の水(亀齢水)
柿本神社の「亀の水」です。西鳥居付近にあり、蛇口には亀像が設置されています。
柿本神社や月照寺への参拝者用の手水舎とされ、江戸中期(1699年)に設けられたものとされています。
また、亀の水は「亀齢水」と呼ばれる地下の湧水であり「延命長寿の水」としての信仰があるんだそうです。
亀の碑(播州明石浦柿本大夫祠堂碑)
柿本神社の「亀の碑」です。
これは柿本人麻呂を敬仰し、歌道の隆盛を願ったとされる明石藩主・松平信之(まつだいらのぶゆき)によって、江戸中期(1664年)に建てられた人麻呂の顕彰碑です。人麻呂公の伝記が1712文字の漢文で記されているとされています。
この碑文の全てを一息で読むと、台座の亀が動くと伝えられているそうです。ちなみに台座の亀は、「贔屓(ひいき)」と呼ばれる中国の伝説上の生物であり、石碑の台になっている場合は、「亀趺(きふ)」と呼ばれるそうです。
なお、同様の「亀の碑」は、柿本神社(人丸社)の総本社である島根県益田市の高津柿本神社にも安置されています。
【贔屓(ひいき・びし)】
贔屓は、中国で伝説上の生物とされる龍の一種である(亀では無い)。中国の伝説によると贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つであり、その姿は亀に似ている。
「重きを負うことを好む」とされるため、古来より石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多い。なお、いわゆる贔屓(ひいき)という言葉の語源にもなっているとされる。
贔屓は、中国で伝説上の生物とされる龍の一種である(亀では無い)。中国の伝説によると贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つであり、その姿は亀に似ている。
「重きを負うことを好む」とされるため、古来より石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多い。なお、いわゆる贔屓(ひいき)という言葉の語源にもなっているとされる。
亀の手水舎
柿本神社の手水舎も「亀の水」と同様に亀像が設置されています。
人麻呂公は亀にゆかりがあるのでしょうか?
また、上記の贔屓が龍であることから、実は龍を指すとも考えられますね。
なお、付近に鎮座する稲爪神社の手水舎にも亀像が設置されています。
地域的な共通性を持っているような気がしますが、何か関連性はあるのでしょうか?
神木筆柿
柿本神社の神木・筆柿(ふでがき)です。
これは、人麻呂公が石見国からの帰京の際に、石見から持参して この地に植樹したと伝えられている柿の木です。
筆の穂先程の実が成ることから「筆柿」と名付けられたとされています。
神木として祀られており、婦人がその実を持っていれば安産が保証されると信仰されているそうです。
なお、境内には盲杖桜や箭房梅という名木も植えられています。
大砲
柿本神社にある大砲です。
元明石藩士、現梶本氏所有の大砲であり西南戦争で使用されたものなんだそうです。
天神社・三宝荒神社の脇に安置されています。
料金: 無料
住所: 兵庫県明石市人丸町1-26(マップ)
営業: 終日開放
交通: 人丸前駅(徒歩4分)、明石駅(徒歩15分)
公式サイト: http://www.kakinomoto-jinja.or.jp/
住所: 兵庫県明石市人丸町1-26(マップ)
営業: 終日開放
交通: 人丸前駅(徒歩4分)、明石駅(徒歩15分)
公式サイト: http://www.kakinomoto-jinja.or.jp/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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