人文研究見聞録:粟田神社 [京都府]

京都市東山区粟田口鍛冶町ある粟田神社(あわたじんじゃ)です。

主祭神にスサノオ牛頭天王)とオオナムチを祀っており、厄除け・病除けの神として信仰されています。また、京の七口(京都に繋がる街道)の一つである粟田口に鎮座しているため、古くから旅立ち守護の神としても崇敬を集めているそうです(これに伴って、本殿までの参道は勾配のキツイ坂道となっている)。

平安前期(876年)に創建された神社であり、大祭の「粟田祭」は平安中期(1001年)から続く歴史ある祭礼行事として現在まで受け継がれています。なお、この祭りでは「粟田大燈呂(あわただいとうろ)」と呼ばれる青森ねぶたのような大燈呂が巡行することで知られており、京都市内の祭でも珍しいとされています。

また、境内には数多くの社殿があり、数多くの神々が祀られています。


神社概要

由緒

人文研究見聞録:粟田神社 [京都府]

京都市製作の案内板によれば、旧粟田口村の産土神であり、平安前期(876)に出羽守 藤原興世(ふじわらのおきよ)が勅命によって勧請したことに始まり、平安後期に天台宗の僧である忠尋(ちゅうじん)が再建したものの、応仁の乱の戦禍に巻き込まれて焼失し、戦国中期に吉田兼倶(よしだかねとも)が再興したとされています。

一方、神社側の案内板によれば、上古の頃、第5代孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする粟田氏が、祠を建てて氏神として祀っていたとも記されています。そのため、もしかすると相当古い時代から存在する神社なのかもしれません(ちなみに粟田氏は熱田(現・愛知県)に移ったとされる)。

なお、江戸時代までは「感神院新宮」「粟田天王宮」「粟田八大王子社」などと呼ばれていたそうですが、明治に入って社名を「粟田神社」と改めたとされています。

ちなみに、前者の平安期創建の由緒において興味深い説話が伝承されているので、以下に載せておきます。

粟田神社の創建説話

平安時代の貞観18年(876)春、神祇官並びに陰陽寮より「この年、隣境に兵災あり、秋には疫病が多いに民を悩ます」と清和天皇に奏上しました。すると天皇は直ちに勅命を下し、全国の諸神に供物を捧げて国家と民の安全を祈願しました。その際、出羽守 藤原興世(ふじわらのおきよ)は勅使として感神院祇園社(八坂神社)に七日七晩丹精を込めて祈願しました。

その満願の夜、興世の枕元に一人の老翁が立ち、「汝、すぐ天皇に伝えよ。叡慮を痛められること天に通じたる。我を祀れば、必ず国家と民は安全なり。」と告げられました。興世が「このように云われる神は、如何なる神ですか?」と尋ねられると、老翁は「我は大己貴神(オオナムチ)なり。祇園の東北に清き処あり。其の地は昔、牛頭天王(ゴズテンノウ=スサノオ)に縁ある地である。其処に我を祀れ。」と言って姿を消しました。

興世は夢とは思わず神意なりと朝廷に奏上し、勅命により直ちに此の地に社を建てて御神霊をお祀りしました。それが粟田神社の始まりと伝えられています。

祭神

人文研究見聞録:粟田神社 [京都府]

粟田神社の祭神は以下の通りです。

・主座:建速素盞嗚尊(タケハヤスサノオ)、大己貴命(オオナムチ)
 → 建速素盞嗚尊は牛頭天王(ゴズテンノウ)と同神とされる
 → 大己貴命は大国主の前身となる神名である(『日本書紀』では大物主とも)
・左座:八大王子命(ハチダイオオジ)
 → この八王子は誓約で化成した神では無く、スサノオの子神であるとされる(以下を参照)
  ⇒ 八嶋士奴美神(ヤシマジヌミ):スサノオとクシナダヒメとの子
  ⇒ 五十猛神(イソタケル):『日本書紀』の異伝に登場し、出雲に向かう前に既に存在している
  ⇒ 大屋彦神(オオヤビコ):五十猛神の別名とされるが、異説もある(そもそも別神として祀られる)
  ⇒ 大屋媛神(オオヤツヒメ):五十猛神の妹神であり、出雲に向かう前に既に存在している
  ⇒ 抓津媛神(ツマツヒメ):同上
  ⇒ 須勢理媛神(スセリヒメ):オオナムチの正妻
  ⇒ 大歳神(オオトシノカミ):スサノオとカムオオイチヒメとの子であり、稲荷神の兄神に当たる
  ⇒ 宇迦之御魂神(ウカノミタマ):スサノオとカムオオイチヒメとの子であり、稲荷神とされる
・右座:櫛稲田姫命(クシナダヒメ)、神大市比賣命(カムオオイチヒメ)、佐須良比賣命(サスラヒメ)
 → 櫛稲田姫命、神大市比賣命はスサノオの后妃である
・右座外殿合祀:竹生嶋社、猿田彦社、度会社、天御中主神、加茂社、日吉社、和歌三神、手力雄社、崇徳天皇

粟田祭

人文研究見聞録:粟田神社 [京都府]

粟田祭(あわたまつり)は毎年10月に行われる粟田神社最大の祭礼行事であり、体育の日の3連休に行われる「出御祭(おいでまつり)」「夜渡神事」「神幸祭・還幸祭(しんこうさい・かんこうさい)」と、その翌週の木曜日に行われる「例大祭(れいたいさい)」を指します。

この祭りの見どころは、主に体育の日前日に行われる「夜渡神事」とされ、その神事では煌々と輝く「粟田大燈呂(あわただいとうろ)」が夜の街を練り歩き、ユニークな造形の「大燈呂」の数々が夜の街を照らします。また、この神事は神仏習合の形態で行われるため、その前身となる「れいけん祭」では、知恩院の僧侶がお経を上げ、粟田神社の神職が祝詞を読むというなかなか珍しい光景が拝めます。

ちなみに、現在 祭で使用される「大燈呂」は京都造形芸術大学と連携して製作されており、祭の時期には粟田神社の参道に並べて展示されています(出御祭の夜にはライトアップされて展示される)。

粟田祭について詳しくはこちらの記事を参照:【粟田神社の粟田祭】

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:粟田神社 [京都府]

粟田神社の鳥居です(二の鳥居)。

粟田祭の時期になると、周囲には大燈呂が展示されます。

参道

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粟田神社の参道です。

やや勾配のある坂道を上って本殿を目指します。

なお、社務所付近には神馬像も祀られています。

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参道の神馬像

拝殿

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粟田神社の拝殿です。

粟田祭の時期には神輿が奉納されます。

本殿

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粟田神社の本殿です。

中には随神も祀られ、なかなか豪華な仕様となっています。

舞殿

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粟田神社の舞殿です。

粟田祭の際には石見神楽が奉納されます。

北向稲荷神社

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粟田神社の摂社・北向稲荷神社(きたむきいなりじんじゃ)です。

創建年代は不詳とされますが、江戸時代の地誌には稲荷社が載せられていることから、古くから鎮座されていたと考えられている稲荷社であり、祭神に雪丸稲荷(ゆきまるいなり)他三座(倉稲魂命を含む)を祀っています。

雪丸稲荷は、平安末期の名刀匠である三条宗近(さんじょうむねちか)が一条院の勅命により、剣を打つ際に相槌を打ったお稲荷さんと云われており、宗近は御百稲荷を参拝し、その稲荷の神霊に相槌を打ってもらって剣を打ち上げたそうです。

そのため、打ち上げた剣の表には小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を打ったと云われています。

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北向稲荷神社の社殿

出世恵美須神社

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粟田神社の摂社・出世恵美須神社(しゅっせえびすじんじゃ)です。

創建年代は不詳ですが、もとは三条蹴上の夷谷に奉祀されていたとされ、社名の「出世」は牛若丸(源義経)が奥州下向の時に源家再興を祈願したことに由来するとされています。

祭神に恵美須神(えびす)を祀っており、当時は出世の他に「門出恵美須(かどでえびす)」とも称されていたそうです。

大神宮

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粟田神社の末社・大神宮(だいじんぐう)です。

祭神に天照大神(アマテラス)、豊受媛命(トヨウケビメ)、八幡神、春日神を祀っています。

多賀社・朝日天満宮

人文研究見聞録:粟田神社 [京都府]

粟田神社の末社である多賀社(たがしゃ)朝日天満宮(あさひてんまんぐう)です。

二社がまとめて一つの社殿で祀られています。なお、祭神は以下の通りです。

・多賀社:多賀大社の御分霊を祀る(縁結び・長寿の神)
・朝日天満宮:菅原道真公を祀る(学問の神)

吉兵衛神社

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粟田神社の末社・吉兵衛神社(きちべえじんじゃ)です。

青蓮院の御門の東に奉祀されていた土地の守り神とされ、鳥居の奥には磐座が祀られています。

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吉兵衛神社の磐座

太郎兵衛神社

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粟田神社の末社・太郎兵衛神社(たろうべえじんじゃ)です。

青蓮院の御門の西に奉祀されていた土地の守り神とされています。

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太郎兵衛神社の社殿

鍛冶神社

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粟田神社の末社・鍛冶神社(かじじんじゃ)です。参道入口の脇に鎮座しています。

粟田口の刀工の祖である天目一箇神(アメノマヒトツ)を祀っており、鍛冶の神として信仰されています。

料金: 無料
住所: 京都市東山区粟田口鍛冶町1番地(マップ
営業: 6:00~17:00
交通: 蹴上駅(徒歩6分)、東山駅(徒歩9分)

公式サイト: http://www.awatajinja.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。