手向山八幡宮(手向山神社) [奈良県]
2017/08/01
奈良県奈良市にある手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)です。
奈良時代の大仏造営の際に宇佐神宮から勧請された古社であり、祭神に応神天皇をはじめとする5柱の神を祀っています。
東大寺の敷地内に鎮座しており、境内には「菅公の腰掛石」や「源頼光の鬼退治の絵」など珍しいものがあります。
神社概要
由緒
由緒書によれば、天平感宝元年(749年)に大仏造営に伴い、宇佐神宮(大分県)より東大寺の鎮守として勧請されたことに始まるとされます。また、wikipediaによれば、宇佐神宮からの分社では第一号とされています。
当初は東大寺大仏殿南方の鏡池付近に鎮座していたとされますが、治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失してしまったため、建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建したそうです(wikipediaでは、創建当初は平城宮の南の梨原宮に鎮座していたとされる)。
なお、由緒書による解説は以下の通りです。
【手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)】
この手向山八幡宮は、奈良時代 聖武天皇が大仏の造営をされたとき、これに協力のため、天平感宝元年(749年)に宇佐から八幡宮を迎え、大仏殿の近く、鏡池(八幡池)の東側に鎮座したのに始まる。そして以後、東大寺の鎮守としたのである。
鎌倉時代の建長2年(1250年)に北条時頼によって現在地に遷座した。
この手向山八幡宮は、奈良時代 聖武天皇が大仏の造営をされたとき、これに協力のため、天平感宝元年(749年)に宇佐から八幡宮を迎え、大仏殿の近く、鏡池(八幡池)の東側に鎮座したのに始まる。そして以後、東大寺の鎮守としたのである。
鎌倉時代の建長2年(1250年)に北条時頼によって現在地に遷座した。
祭神
手向山八幡宮の祭神は以下の通りです。
・応神天皇(おうじんてんのう):第15代天皇で、八幡神として信仰される(品陀別命とも)
・姫大神(ひめおおかみ):八幡三神の一柱で、その正体には諸説ある
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇で応神天皇の父に当たる(足仲彦命とも)
・神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后、応神天皇の母に当たり、八幡三神の一柱に数えられる
・仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇で、応神天皇の子に当たる(大鷦鷯命とも)
・姫大神(ひめおおかみ):八幡三神の一柱で、その正体には諸説ある
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇で応神天皇の父に当たる(足仲彦命とも)
・神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后、応神天皇の母に当たり、八幡三神の一柱に数えられる
・仁徳天皇(にんとくてんのう):第16代天皇で、応神天皇の子に当たる(大鷦鷯命とも)
境内社
手向山八幡宮の境内社は以下の通りです。
・住吉社
・若宮社
・東照宮
・末社
・若宮社
・東照宮
・末社
境内の見どころ
鳥居
手向山八幡宮の鳥居です。
手水舎
手向山八幡宮の手水舎です。
神門(楼門)
手向山八幡宮の神門です。
拝殿
手向山八幡宮の拝殿です。
本殿
手向山八幡宮の本殿です。
宝庫
手向山八幡宮の宝庫です。
奈良時代のもので重要文化財に指定されています。
菅公の腰掛石
手向山八幡宮にある菅公の腰掛石(すがこうのこしかけいし)です。
菅原道真公が「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」と詠んだ際に腰掛けた石とされています。
燈籠の鳩
手向山八幡宮の燈籠には、八幡宮の神使である鳩が描かれています。
源頼光の鬼退治の絵
手向山八幡宮の神楽所には、源頼光が大江山の鬼退治した様子を描いた壁画があります。
料金: 無料
住所: 奈良県奈良市雑司町434(マップ)
営業: 不明(東大寺営業中は開放)
交通: 近鉄奈良駅(徒歩23分)
公式サイト: https://narashikanko.or.jp/spot/shrine/tamukeyama-hachimangu/
住所: 奈良県奈良市雑司町434(マップ)
営業: 不明(東大寺営業中は開放)
交通: 近鉄奈良駅(徒歩23分)
公式サイト: https://narashikanko.or.jp/spot/shrine/tamukeyama-hachimangu/
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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