大鳥大社(大鳥神社) [大阪府]
2017/08/11
大阪府堺市にある大鳥大社(おおとりたいしゃ)です。
白鳥となった日本武尊が留まったことに始まるとされる古社であり、祭神に日本武尊・大鳥連祖神を祀っています。
また、全国各地にある大鳥神社の総本社であり、大鳥信仰の総本社にもなっています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、日本武尊(ヤマトタケル)が勅命によって東国の蝦夷を征討し、その帰りに向かった伊吹山で病に掛かって伊勢国の能褒野で薨去した後、御陵に納められた遺骸が白鳥に変わって大和国琴引原から河内国古市に飛び、最後に当地に留まったことで社を創建し、これが当社の起源と伝えられているそうです。
また、聖武天皇の御代に勅命を受けた僧・行基が、神宮寺として当地に勧学院神鳳寺を建立したとされますが、明治の神仏分離によって廃寺になってしまったとされています。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【大鳥大社 由緒】
当社は その起源古く、古来 大鳥大明神と称せられ、延喜式名神大社であり 和泉国一の宮である。
日本武尊(ヤマトタケル)は景行天皇の皇子にして、勅を奉じ、熊襲並に東国を平定、帰途、伊吹山の賊を平らげた時、病を得て伊勢国能褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と化し、御陵を出て大和国琴引原、次に河内国古市にとび、最後にこの地に留まり坐したので、社を創建、これが当社の起源と伝える。
また、大鳥連祖神は大中臣と元を一にし、祖先は天の岩戸開きに功を立てた天児屋根命(アメノコヤネ)である。
聖武天皇の御世には僧・行基が勅願により、神宮寺として この地に勧学院神鳳寺を建立したが明治の神仏分離により廃寺となり、当社は明治4年(1871年)5月 官幣大社に列格、社殿は大鳥造と称して神社建築史上 貴重な様式を今に伝える。
当社は その起源古く、古来 大鳥大明神と称せられ、延喜式名神大社であり 和泉国一の宮である。
日本武尊(ヤマトタケル)は景行天皇の皇子にして、勅を奉じ、熊襲並に東国を平定、帰途、伊吹山の賊を平らげた時、病を得て伊勢国能褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と化し、御陵を出て大和国琴引原、次に河内国古市にとび、最後にこの地に留まり坐したので、社を創建、これが当社の起源と伝える。
また、大鳥連祖神は大中臣と元を一にし、祖先は天の岩戸開きに功を立てた天児屋根命(アメノコヤネ)である。
聖武天皇の御世には僧・行基が勅願により、神宮寺として この地に勧学院神鳳寺を建立したが明治の神仏分離により廃寺となり、当社は明治4年(1871年)5月 官幣大社に列格、社殿は大鳥造と称して神社建築史上 貴重な様式を今に伝える。
祭神
ヤマトタケル |
大鳥大社の祭神は以下の通りです。
・日本武尊(ヤマトタケル):第12代景行天皇の皇子であり、九州の熊襲と東北の蝦夷を征伐したとされる
→ 一時期、天照大神が祭神とされていたことがあるとも
・大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ):大鳥連の祖神で、天児屋根命(アメノコヤネ)であるとされる
→ 元来の祭神であったともいわれている
→ 一時期、天照大神が祭神とされていたことがあるとも
・大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ):大鳥連の祖神で、天児屋根命(アメノコヤネ)であるとされる
→ 元来の祭神であったともいわれている
関連社
大鳥大社の関連社は以下の通りです。
【境内摂社】
・大鳥美波比神社:天照大神・菅原道真・押別命を祀る
【境外摂社】
・大鳥北濱神社:吉備穴戸武媛命を祀る(堺市西区浜寺元町3丁)
・大鳥井瀬神社:弟橘媛命を祀る(堺市堺区宿院町東2丁)
・大鳥羽衣濱神社:両道入姫命・井戸守稲荷大明神を祀る(高石市羽衣5丁目)
・大鳥美波比神社:天照大神・菅原道真・押別命を祀る
【境外摂社】
・大鳥北濱神社:吉備穴戸武媛命を祀る(堺市西区浜寺元町3丁)
・大鳥井瀬神社:弟橘媛命を祀る(堺市堺区宿院町東2丁)
・大鳥羽衣濱神社:両道入姫命・井戸守稲荷大明神を祀る(高石市羽衣5丁目)
境内の見どころ
鳥居
大鳥大社の鳥居です。
神馬像
大鳥大社にある神馬像です。
日本武尊像
大鳥大社にある日本武尊像です。
拝殿前 鳥居
大鳥大社の拝殿前の鳥居です。
拝殿
大鳥大社の拝殿です。
本殿
大鳥大社の本殿です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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大鳥神社
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