淡嶋神社(加太淡嶋神社・加太神社) [和歌山県]
2017/08/21
和歌山県和歌山市加太にある淡嶋神社(あわしまじんじゃ)です。
神功皇后の神話を創祀とする古社であり、祭神に少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)を祀っています。
また、全国の淡島神社・淡嶋神社・粟島神社・淡路神社の総本社であり、式内社「加太神社」にも比定されています。
なお、当社は「雛祭り発祥の地」と言われており、3月3日には「ひな流し」が行われることで知られています。
また、人形供養も有名であり、境内には全国から送られてきた約2万体の人形が並べられています。
このほか、針供養や婦人病祈願も有名で、末社には病気平癒を願う女性の下着などが奉納されています。
神社概要
由緒
公式サイトによれば、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐の帰途、瀬戸の海上で激しい嵐に遭って船が沈みそうになった際、船中で神に祈ると「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ」との神託を得たので、その通りに船を進めると やがて友ヶ島に辿り着き、そこに少彦名命(スクナヒコナ)と大己貴命(オオナムチ)が祀られていたため、皇后は二神に感謝して三韓から持ち帰った宝物を供えたとされます。
その後、第16代 仁徳天皇の御代になり、天皇が友ヶ島に狩りにやって来たときに神功皇后の逸話を聞き、島ではなにかと不便であろうと考えた天皇は二神の社を加太に遷し、社殿を建てて 二神を崇敬した神功皇后も共に祀ったとされ、これが加太淡嶋神社の起源であるとされています。
祭神
淡嶋神社の祭神は以下の通りです。
・少彦名命(スクナヒコナ):オオナムチと共に国造りを成した神とされる
→ 当社では、医薬の神であり、特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかと説明されている
→ スクナヒコナは淡島信仰における淡島神とされる
⇒ 『日本書紀』異伝に「淡嶋へ行き、粟の茎に昇ったら弾かれて常世の国に行った」という説話がある
⇒ 『伯耆国風土記』に「粟に乗って常世國に弾かれて渡ったことから、粟島という」という説話がある
⇒ 『ホツマツタヱ』に「諸国を巡って雛祭の由来を広め、最期に加太に到って淡島神となる」という説話がある
・大己貴命(オオナムチ):オオクニヌシの名で知られる出雲大社の主祭神
→ 「日本神話」ではスクナヒコナと共に諸国を巡って国造りを成したとされる
⇒ このため、各国の『風土記』にも登場する機会が多い
・息長足姫命(オキナガタラシヒメ):仲哀天皇の皇后(神功皇后)であり、応神天皇の母に当たる
→ 「日本神話」では、仲哀天皇の没後に皇子を身ごもった身体で三韓征伐を成したとされる
→ 応神天皇(八幡大神)と共に全国の八幡神社で祀られていることが多い
→ 当社では、医薬の神であり、特に女性の病気回復や安産・子授けなどに霊験あらたかと説明されている
→ スクナヒコナは淡島信仰における淡島神とされる
⇒ 『日本書紀』異伝に「淡嶋へ行き、粟の茎に昇ったら弾かれて常世の国に行った」という説話がある
⇒ 『伯耆国風土記』に「粟に乗って常世國に弾かれて渡ったことから、粟島という」という説話がある
⇒ 『ホツマツタヱ』に「諸国を巡って雛祭の由来を広め、最期に加太に到って淡島神となる」という説話がある
・大己貴命(オオナムチ):オオクニヌシの名で知られる出雲大社の主祭神
→ 「日本神話」ではスクナヒコナと共に諸国を巡って国造りを成したとされる
⇒ このため、各国の『風土記』にも登場する機会が多い
・息長足姫命(オキナガタラシヒメ):仲哀天皇の皇后(神功皇后)であり、応神天皇の母に当たる
→ 「日本神話」では、仲哀天皇の没後に皇子を身ごもった身体で三韓征伐を成したとされる
→ 応神天皇(八幡大神)と共に全国の八幡神社で祀られていることが多い
境内社
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淡嶋神社の境内社は以下の通りです。
・紀文稲荷社(きぶんいなりしゃ):稲荷神を祀る
→ 当社付近で生まれて巨万の富を築いた紀国屋文左衛門が、江戸に移り住む前に当社に奉納した稲荷社
・大国主社:大己貴命(大国主命)を祀る
・末社:当社祭神と八百万の神を祀る
→ 安産・子請授・婦人病など女性の願いが叶うところとされ、男根形や下着などが奉納される
→ 当社付近で生まれて巨万の富を築いた紀国屋文左衛門が、江戸に移り住む前に当社に奉納した稲荷社
・大国主社:大己貴命(大国主命)を祀る
・末社:当社祭神と八百万の神を祀る
→ 安産・子請授・婦人病など女性の願いが叶うところとされ、男根形や下着などが奉納される
関連知識
人形供養
加太淡嶋神社は、人形供養の神社としても有名であり、境内には供養のために納められた無数の人形が並べられています。
この理由として、当社は「雛祭りの発祥の地」と言われており、公式サイトによれば、男雛・女雛は 当社の祭神である少彦名命と神功皇后を表した神像であると言われています。また、雛祭りが3月3日に行われる理由も、仁徳天皇が友ヶ島から祭神の社を加太に遷したのが3月3日であり、「ひなまつり」という呼称も「スクナヒコナまつり」が略されたからだそうです(諸説あり)。
なお、上記の説の由来として、江戸時代に淡島願人(あわしまがんにん)と呼ばれる人々(遊行僧侶、乞食坊主とも)が、淡島明神の人形を祀った厨子を背負って各地を巡り、「淡島の神は天照大神の六番目の姫宮として生まれ、16歳のとき住吉明神の一の后となったが、うるさい病(白血・長血などの下の病)にかかったので、綾の巻物と十二の神楽と共にうつろ船(中が空になった船)に乗せられて堺の七度の浜から流された。すると、翌3月3日に淡島に着いたので、巻物を取り出してひな形を切り出した。これがひな遊びのはじまりである(以下省略)」と、淡島明神の神徳を説いたことから 淡島信仰が全国に広がったと云われています。
ちなみに、瀬戸内海に浮かぶ小島である岡山県笠岡市の北木島では、重要無形民俗文化財に指定されている「北木島の流し雛」が行われていますが、これも上記の淡島願人が伝えた淡島信仰に由来しているとされ、かつては婦人病祈願の目的であったとされます。ただし、現在では家庭内の一切の災厄を払い流すという意味合いで行われているそうです。また、当社で行われる「針供養」も、淡島願人が伝えたとされています。
こうしたことから、当社には日本全国から集められた人形(雛人形・市松人形・フランス人形のほか、仏像からフィギュアまで)が境内の至る所に並べられており、一説には 宝物殿の地下倉庫に"髪の毛の伸びる人形"も納めているそうです(事前予約することで見学可能とされる)。
このため、心霊スポットとしてマスコミに取り上げられることもありますが、公式サイトのQ&Aによれば「髪の毛が伸びる人形は本当にあります。人形は人に遊んでもらうために生まれてきているため、注目を集めるために奇怪な事を起こすことがあります。しかし、悪い事を起こす人形は まず、ありません」と説明されています。
参考サイト:淡嶋神社(公式)、淡島信仰と流し雛
婦人病祈願
加太淡嶋神社は、婦人病をはじめ安産や子授けなど、女性のあらゆる下の病に霊験あらたかな神社であるとされています。
この理由として、当社では主祭神の少彦名命(スクナヒコナ)が医薬の神であるからとしていますが、一説によれば 江戸時代に淡島願人と呼ばれる人々が伝えた「淡島の神は住吉神の妃神であり、婦人病にかかったことから淡島に流され、そこで婦人病を治す誓いを立てたため」という伝承に基づくともいわれています(上記の「人形供養」参照)。
このことから、境内奧の末社には 婦人病の祈願のための"男根形の彫像"や"自身の髪の毛"のほか、"自身の履いていた下着(ブラジャー・パンティー)"などが奉納されています(ちなみに浮気防止祈願の男根形も存在する)。
『ホツマツタヱ』の記述
神代文字で記された『ホツマツタヱ』という文献には、当社祭神のスクナヒコナ(少彦名命)の来歴に関して、以下のような説話が記されています(当社の祭礼の由来と一致する部分が多く、なかなか興味深いです)。
クシキネ(大己貴命)がアワ国のササザキに居るときのこと、カカミノフネ(鏡の船)に乗ってくる者が居た。そこで、その者に素性を尋ねて見たが、答える様子が無かった。
そのとき、クヱヒコ(久延彦)は「あの者はカンミムスビ(神皇産霊神)の1500の子のうち、落ちこぼれたスクナヒコナ(少彦名命)でしょう」と言ったので、クシキネはスクナヒコナを手厚くもてなした。
そして、共に協力してウツシクニ(現し地)の病を癒し、田畑の害獣・害虫の類を駆逐した。
(この後)スクナヒコナは、アワシマのカダカキ(三弦琴とされる)を習い、ヒナマツリ※(の由来)を教え伝えて、(最期に)カダノウラ(加太浦)のアワシマカミ(淡島神)となった。
※『ホツマツタヱ』では、ヒナマツリは初めて夫婦になったウヒチニとスヒチの故事にちなむ
そのとき、クヱヒコ(久延彦)は「あの者はカンミムスビ(神皇産霊神)の1500の子のうち、落ちこぼれたスクナヒコナ(少彦名命)でしょう」と言ったので、クシキネはスクナヒコナを手厚くもてなした。
そして、共に協力してウツシクニ(現し地)の病を癒し、田畑の害獣・害虫の類を駆逐した。
(この後)スクナヒコナは、アワシマのカダカキ(三弦琴とされる)を習い、ヒナマツリ※(の由来)を教え伝えて、(最期に)カダノウラ(加太浦)のアワシマカミ(淡島神)となった。
※『ホツマツタヱ』では、ヒナマツリは初めて夫婦になったウヒチニとスヒチの故事にちなむ
参考サイト:ホツマツタヱ9文、スクナヒコナ、ヒナマツリ(ホツマツタヱ解読ガイド)
境内の見どころ
鳥居
淡嶋神社の鳥居です。
土産屋・食堂
淡嶋神社の鳥居を抜けた先には土産屋があり、海産物を使った商品が販売されています。
また、店舗の中には食堂もあり、海産物を使った料理を食べることもできます。
浄火
淡嶋神社の浄火です。
お祓いした人形を焼却する場所とされています。
蛙の手水舎
淡嶋神社の手水舎です。
当社の手水舎は、カエルの口から水が出る仕様になっています。
針塚
淡嶋神社の針塚です。
毎年2月8日に行われる針供養の後に針を納める塚とされています。
本殿
淡嶋神社の本殿です。
豊臣秀吉の紀州征伐で焼失した後、紀州徳川家によって再建・修復・造営が行われてきたとされています。
紀文の帆柱
淡嶋神社にある紀文の帆柱(きぶんのほばしら)です。
紀国屋文左衛門のみかん船の帆柱で、願い事を唱えながら柱の穴をくぐり抜けると願いが叶うとされています。
本殿の人形
淡嶋神社の本殿には多くの人形が並べられています。
境内の人形
淡嶋神社の境内にも多くの人形が並べられています。
ダルマ
淡嶋神社の境内の一角には、ダルマコーナーがあります。
象の像
淡嶋神社に並べられた象の像です。
境内の人形はカテゴリー別に区分けされています。
塩壷
淡嶋神社の塩壷(しおつぼ)です。
通称「お歯黒石」と呼ばれ、この水を歯に付けると歯痛が消えたと言われているそうです。
このため、現在では身体の痛い部分に水を付けると治るとされています。
御神水
淡嶋神社の御神水です。
水鉢に水が貯められており、「沸騰させてからお飲みください」と書かれています。
遷使殿
淡嶋神社の遷使殿(せんしでん)です。
スクナヒコナの神使であるカエルを祀っており、本殿で祈願したことを祭神にしっかり伝えてくれるそうです。
遷使殿の蛙像
遷使殿の中には、大量のカエル像が祀られています。
神輿倉
淡嶋神社の神輿倉(みこしぐら)です。
江戸時代の出開帳に使われた神輿が保管されています。
姿社
淡嶋神社の姿社(すがたしゃ)です。
社殿の中には仏像や男根形などが祀られています。
姿社内の男根形
姿社内の男根形です。
男根の横には女陰のような像も飾られています。
末社
淡嶋神社の末社(まっしゃ)です。
安産・子請授・婦人病など女性の願いが叶うところとされ、男根形や下着などが奉納されています。
末社内の男根形
末社内の男根形です。
新しいものから古いものまで、多種多様なものが祀られています。
絵馬
淡嶋神社の絵馬には、男雛と女雛がデザインされています。
宝物殿
淡嶋神社の宝物殿です。
有料で入ることができ、中には徳川家より奉納された雛人形や宝物の類が展示されています。
料金: 無料(宝物館 300円)
住所: 和歌山県和歌山市加太116(マップ)
営業: 明朝~21:00(授与所9:00~17:00)
交通: 加太駅(徒歩19分)
公式サイト: http://www.kada.jp/awashima/index.html
住所: 和歌山県和歌山市加太116(マップ)
営業: 明朝~21:00(授与所9:00~17:00)
交通: 加太駅(徒歩19分)
公式サイト: http://www.kada.jp/awashima/index.html
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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