人文研究見聞録:川辺の出湯跡 [島根県]

島根県松江市の玉造温泉にある川辺の出湯跡(かわべのいでゆあと)です。

奈良時代の『出雲国風土記』にも記されている温泉の跡地であり、明治・大正頃までは露天風呂があったとされています。


概要

人文研究見聞録:川辺の出湯跡 [島根県]

川辺の出湯(かわべのいでゆ)とは、『出雲国風土記』に記されている当地の温泉のことであり、案内板によれば 近年まで川原に石囲いの露天風呂があったとされています(写真で明治・大正頃の様子が見える)。

『出雲国風土記』の記事によれば、奈良時代の当時は毎日のように市が立つほど老若男女で賑わっており、この温泉に入れば 男も女もたちまち容姿が麗しくなったとされ、どんな病気でも治ってしまうことから、神の湯と呼ばれたそうです。

現在は露天風呂は見られず、その石囲いも失われていますが、湯船に利用したと思われる岩肌や古い石灯籠などが見られます。ちなみに、流れている褐色の川水は温泉ではなく、普通に冷たかったです。

なお、案内板による説明は以下の通りです。

【川辺の出湯跡】

玉造温泉は、わが国最古の温泉の一つ。

奈良時代に完成した『出雲国風土記』忌部神戸の条に「川辺の出湯」として登場し、近年まで右手前方の川原に石囲いの露天風呂があり、その名残をとどめていた。その記事の要約は次のとおり。

「川辺にお湯が湧いている。毎日のように市が立ち、老若男女で賑わい、人々は酒宴を楽しんでいる。この お湯に入れば みんなが美男美女になり、あらゆる病気も治ってしまう。人はみな神の湯と呼んでいる。」

『出雲国風土記』の記述

人文研究見聞録:川辺の出湯跡 [島根県]

『出雲国風土記』には以下のように記されています。

忌部神戸(いんべかんべ)

郡家の正西21里260歩の所にある。国造(こくぞう)が神吉詞(かんよごと)を唱えに朝廷に参上する時に、潔斎に用いる清浄な玉を作る地である。だから、忌部という。

此処の川のほとりに温泉(ゆ)が湧いている。

それで男も女も老人も子供も、あるいは道路を行き交い、あるいは海中を浜辺に沿って行き、毎日集まり市がたったような賑わいで、入り乱れて宴をして楽しむ。

一度温泉を浴びればたちまち姿も麗しくなり、再び浴びればどんな病気もすべて治る。昔から今に至るまで、効き目が無いということはない。だから、土地の人は神の湯と言っている。

料金: 無料
住所: 島根県松江市玉湯町玉造(マップ)
営業: 終日開放
交通: 玉造温泉駅(徒歩28分)
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。