宮ヶ島 衣毘須神社(小浜衣毘須神社) [島根県]
2017/11/16
島根県益田市にある宮ヶ島 衣毘須神社(みやがしま えびすじんじゃ)です。
江戸時代に創建された神社であり、事代主命と他4柱の神を祀っています。
歩いて行ける小島の上に建てられた珍しい神社であり、知る人ぞ知る絶景スポットとされています。
神社概要
由緒
参考サイトによれば、かつて当地の住民は農業を営んでいたものの、人口の増加と飢餓によって住みづらくなり、多くの住人が肥前国平戸(長崎県)に出ていったそうです。そこで、当時の村の支配者が平戸に赴いて元住民を説得し、帰ってきた住人は網を持ち帰って漁業を始めたとされます。
その後、宝永6年(1710年)、出雲国の美保神社の分霊を勧請し、海龍山に小祠を建てて事代主命を祀ったことに始まるとされています。そして、夏に海に船を浮かべて提灯に点火し、社前を巡る事代御船神事(御管絃)を始めたそうです。
なお、境内の案内板では以下のように説明されています。
【宮ヶ島と衣毘須神社】
-出雲の国 美保神社 事代主命が分祀-
海が穏やかな平時には砂浜と繋がり、眺望を求めて人が訪れる。海が荒れると島と化し、打ち上げる波の勇壮さが勇猛果敢な気質を育て上げている。
島に建つ社を衣毘須神社と言い、豊漁と海上安全の守護神である事代主命を主催人とし、ほかに4柱が祀られている。例大祭は7月の第3日曜日、敬神の念 篤い氏子によって厳粛に行われている。
-出雲の国 美保神社 事代主命が分祀-
海が穏やかな平時には砂浜と繋がり、眺望を求めて人が訪れる。海が荒れると島と化し、打ち上げる波の勇壮さが勇猛果敢な気質を育て上げている。
島に建つ社を衣毘須神社と言い、豊漁と海上安全の守護神である事代主命を主催人とし、ほかに4柱が祀られている。例大祭は7月の第3日曜日、敬神の念 篤い氏子によって厳粛に行われている。
参考サイト:神代出雲邂逅記(小浜衣毘須神社、謎の四柱の正体)
祭神
衣毘須神社の祭神は以下の通りです。
【主祭神】
・事代主命(コトシロヌシ):大己貴命(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される
【合祀神】
・大歳大明神(おおとしだいみょうじん):大年神の別名と思われる
→ 大年神(オオトシノカミ):スサノオの子神で、『古事記』によればオオヤマクイの父神に当たる
【合 殿】
・和田津見神社:和田津見神(ワダツミ)を祀る
・大己貴神社:大己貴神(オオナムチ)を祀る
・御崎神社:綿津見神(ワダツミ)を祀る
・金刀比羅神社:大物主神(オオモノヌシ)、崇徳天皇(すとくてんのう)を祀る
・事代主命(コトシロヌシ):大己貴命(大国主、大物主)の子であり、恵比須神として信仰される
【合祀神】
・大歳大明神(おおとしだいみょうじん):大年神の別名と思われる
→ 大年神(オオトシノカミ):スサノオの子神で、『古事記』によればオオヤマクイの父神に当たる
【合 殿】
・和田津見神社:和田津見神(ワダツミ)を祀る
・大己貴神社:大己貴神(オオナムチ)を祀る
・御崎神社:綿津見神(ワダツミ)を祀る
・金刀比羅神社:大物主神(オオモノヌシ)、崇徳天皇(すとくてんのう)を祀る
境内の見どころ
宮ヶ島
衣毘須神社の建つ宮ヶ島(みやがしま)です。
海辺沿いの神々しい島であり、干潮の時に砂浜を通じて登ることができます。
なお、昭和期に日本絵画・東山魁夷が宮内庁から障壁画の依頼を受けた際にモデルにした場所とされています。
海辺
宮ヶ島周辺の海辺の様子です。
夏場には海水浴客で賑わっています。
階段
宮ヶ島には神社に参拝するための階段が設けられています。
鳥居
衣毘須神社の鳥居です。
社殿までに2基の鳥居が設けられています。
社殿
衣毘須神社の社殿です。
出雲の美保神社から勧請された事代主命が祀られています。
宮ヶ島からの眺望
宮ヶ島からの眺望です。
島上からは青い海原を眺めることができます。
アクセス案内
衣毘須神社は、マップに載っているものの、やや分かりづらい道になっています。
最寄りの戸田小浜駅の周辺には写真のような案内板があります。
また、周辺には具体的な駐車スペースが無いので注意が必要です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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