お首地蔵尊 [京都府]
2017/11/15
京都市北区にある お首地蔵尊(おくびじぞうそん)です。
江戸時代に辻斬り被害者の弔いと安全のために祀られた地蔵尊であり、当時は身替地蔵として崇められてとされます。
現在は首から上の病気平癒に霊験あらたかとされているそうです。
由緒
由緒書によれば、江戸末期 当地が衣笠村と呼ばれていた頃、夜になると辻斬りが現れて多くの被害が出ていたとされ、これに困った村人たちが、被害者の弔いと安全を願って3対の地蔵尊を祀ったことに始まるとされます。
その後、辻斬りの被害が無くなったため、地蔵尊に御礼参りに来ると、祀られていた地蔵尊の首が斬り落とされていたことから、村人は畏れ敬って身替地蔵として崇めるようになったとされ、現在では首から上の病気平癒に霊験あらたかとされているようです。
なお、由緒書による説明は以下の通りです。
【お首地蔵尊 由来】
お首地蔵尊奉祀の年月は不詳であるが、古老の語り伝えるところによると、江戸末期、この地域が衣笠村と呼ばれていた頃という。金閣寺と竜安寺との分かれ道に当たる この一帯は当時 竹藪で人通りもなく、夜ごと現れる辻斬に村人に怯え、寄り合っては思案にくれていた。
誰某か、不幸にも辻斬りに遭い、命を落とした人々の菩提を弔い、併せて村人の安全を願って お地蔵さんを祀ってはいかがかと建議した。村人は皆これに賛同し、三体の お地蔵さんを祀り、辻斬除を祈願した。
その後、不思議な事に辻斬りは跡絶え、御礼参りにと村人が訪れた所、そこには お地蔵さんの お首が三体とも一刀のもとに斬り落とされていた。このことから、村人は お地蔵さんを畏れ敬って、身替地蔵と崇めるようになった。いつの程にか誰言うとなく、お地蔵尊と呼ばれるようになったという。
現在は二体しか残っていない。人々の厚い信仰を集め、とりわけ首から上の病気に霊験あらたかといわれ、親しまれている。
お首地蔵尊奉祀の年月は不詳であるが、古老の語り伝えるところによると、江戸末期、この地域が衣笠村と呼ばれていた頃という。金閣寺と竜安寺との分かれ道に当たる この一帯は当時 竹藪で人通りもなく、夜ごと現れる辻斬に村人に怯え、寄り合っては思案にくれていた。
誰某か、不幸にも辻斬りに遭い、命を落とした人々の菩提を弔い、併せて村人の安全を願って お地蔵さんを祀ってはいかがかと建議した。村人は皆これに賛同し、三体の お地蔵さんを祀り、辻斬除を祈願した。
その後、不思議な事に辻斬りは跡絶え、御礼参りにと村人が訪れた所、そこには お地蔵さんの お首が三体とも一刀のもとに斬り落とされていた。このことから、村人は お地蔵さんを畏れ敬って、身替地蔵と崇めるようになった。いつの程にか誰言うとなく、お地蔵尊と呼ばれるようになったという。
現在は二体しか残っていない。人々の厚い信仰を集め、とりわけ首から上の病気に霊験あらたかといわれ、親しまれている。
堂内の様子
お首地蔵尊の堂内には、複数体の首のない地蔵尊が祀られています。
案内書によれば、古くは野ざらしに祀られており、昭和28年に地蔵堂が建てられ、平成28年に新造されたそうです。
地蔵尊は33体祀られており、2体の立像は宝暦11年(1761年)のものであるとされています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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