人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

福井県敦賀市にある金崎宮(かねがさきぐう)です。

南北朝時代の金ヶ崎の戦いの舞台になった地であり、祭神に尊良親王・恒良新王を祀っています。

境内には約1000本のソメイヨシノが植えられており、桜の名所としても知られています。


神社概要

由緒


由緒書によれば、当地は「南北朝時代の金ヶ崎の戦い」の舞台となった地であり、当社は この戦に由来するそうです。

延元元年(1336年)5月、湊川の戦いで足利尊氏率いる北朝方に敗北した南朝の後醍醐天皇は比叡山に逃れ、南朝方の新田義貞は後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王を奉じて北陸を目指し、氣比神宮の宮司・気比氏治に迎えられて敦賀に入り、同年10月13日に金ヶ崎城に入城したとされます。

その直後、金ヶ崎城は斯波高経率いる北朝方によって包囲され、延元2年(1337年)3月に落城し、尊良親王と新田義顕(義貞の嫡子)は当地で自害し、恒良親王は北朝方に捕縛された後に京都で幽閉され、延元3年(1338年)に毒殺されたそうです。

こうした経緯によって明治入ってから敦賀の人々の請願があり、明治23年(1890年)9月に尊良親王を祀る官幣中社金崎宮が金ヶ崎城址に創立され、明治25年(1892年)11月に恒良親王を本宮に合祀し、明治26年(1893年)に勅使参向および鎮座祭・奉告祭などが行われたとされます。

その後、明治36年(1903年)3月に町内の出火によって本殿以下3棟を焼失したことから、明治39年(1906年)4月に正還宮が再建され、この時に本殿が現在地に遷されたそうです。そして、昭和57年に本殿などを改築して現在に至るとされています。

祭神


金崎宮の祭神は以下の通りです。

・尊良新王(たかよししんのう):後醍醐天皇の第一皇子
・恒良新王(つねよししんのう):後醍醐天皇の皇太子

境内社


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]
愛宕神社
人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]
朝倉神社
人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]
絹掛神社

金崎宮の境内社は以下の通りです。

・愛宕神社:主祭神を火産靈大神とし、伊弉諾命・天熊大人命を配祀する
・朝倉神社:朝倉氏六代と一子の御霊を祀る(朝倉氏ゆかりの社)
・絹掛神社:金ヶ崎城落城の際に尊良新王と共に自害した新田義顕以下321名の武士を祀る

境内の見どころ

参道


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の参道です。

なかなか長い石段が続きますが、春には桜が見られるそうです。

鳥居


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の鳥居です。

拝殿


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の拝殿です。

本殿


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の本殿です。

花換の小道


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の花換の小道です。

桜の小枝を交換した男女が将来を確かめあったといわれる場所で、しあわせの小道と紹介されています。

なお、この先を進んでいけば、市街地や気比の松原などを見渡すことができます。

尊良親王御墓所見込地


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の尊良親王御墓所見込地です。

金ヶ崎城の落城時に尊良親王が自刃した場所ではないかといわれています。

金崎古戦場


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の金崎古戦場です。

金ヶ崎の戦いの史跡として石碑が建てられています。

月見御殿


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の月見御殿です。

南北朝時代に金ヶ崎城の本丸があった場所とされ、戦国時代には武将たちが月見をしたと伝えられています。

敦賀港の眺望


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

月見御殿からは敦賀港が一望できます。

古墳


人文研究見聞録:金崎宮 [福井県]

金崎宮の古墳です。

明治42年6月に発見された円墳で、竪穴式石室があり、副葬品も発掘されたそうです。

料金: 無料
住所: 福井県敦賀市金ケ崎町1-4(マップ
営業: 終日開放
交通: 敦賀駅(徒歩30分)、コミュニティバス「金ヶ崎宮」下車(徒歩10分)

公式サイト: http://kanegasakigu.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。