別宮神社 [福井県]
2018/03/09
福井県敦賀市にある別宮神社(べつぐうじんじゃ)です。
気比の松原の付近に位置する神社であり、氣比神宮の別宮であると言われています。
神社概要
由緒
ネットで調べたところ、当社は氣比神宮の別宮であり、周辺からは古代遺跡が発掘され、平安期に渤海使を迎えるために設置された宿泊施設である松原客館の比定地でもあると言われているそうです。
また、『敦賀郡神社誌』によれば、詳しい由緒は不明なものの、当社の創建以前は氏神として山神社を奉斎していたと考えられており、天平20年(748年)に蒙古が襲来した際に様々な神秘現象が起こって蒙古の侵攻を妨げたので、氣比神宮の神官がこの事を朝廷に奏上したことから、別宮神社の創建に至ったという伝説があると説明されています。
参考:神社探訪、敦賀の式内社、別宮神社
祭神
別宮神社の祭神は以下の通りです(※2つの説がある)。
【祭神説1】
・伊奢沙別命(イザサワケ):氣比神宮の主祭神であり、衣食住・海上安全・農漁業・交通安全の神とされる
【祭神説2】
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇であり、八幡宮で祀られることが多い(后・神功皇后、子・応神天皇)
・神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる
・伊奢沙別命(イザサワケ):氣比神宮の主祭神であり、衣食住・海上安全・農漁業・交通安全の神とされる
【祭神説2】
・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう):第14代天皇であり、八幡宮で祀られることが多い(后・神功皇后、子・応神天皇)
・神功皇后(じんぐうこうごう):仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母に当たる
※氣比神宮の別宮ということなら、氣比神宮と同じく、この3神が祀られているのかも知れない
境内社
別宮神社の境内社は以下の通りです。
・不詳社(愛宕社?):火産霊命を祀る
・不詳社(恵比須社?):事代主命を祀る
・不詳社:天八百萬比咩神を祀る
・不詳社(恵比須社?):事代主命を祀る
・不詳社:天八百萬比咩神を祀る
関連知識
蒙古襲来の伝説
由緒で触れた蒙古襲来の伝説の詳細は以下の通りです。
天平20年(748年)11月11日、蒙古の賊徒が西浦海岸に至り、敦賀に襲来した。
その日の夜のこと、敦賀の天地が轟々と震動し、久志川の浜辺に数千株の緑松が一夜のうちに忽然と生い茂り、これに数万の白鷺(しらさぎ)が集まって あたかも樹上に白旗が翻っているように見せ、西浦海岸の立石付近に数丈の巨岩が海中から突然そびえ立って船の進路を妨げた。
この様を見た蒙古の賊徒は畏怖し、一戦を交えることも無く、船はことごとく海中に転覆し、多くの溺死者が出たと伝えられており、この神瑞霊異の事実を氣比宮の神官が聞いて朝廷に奏上したことで、氣比宮の造営の宣旨があり、この櫛川の松原にも神社を創立したと云われている。
その日の夜のこと、敦賀の天地が轟々と震動し、久志川の浜辺に数千株の緑松が一夜のうちに忽然と生い茂り、これに数万の白鷺(しらさぎ)が集まって あたかも樹上に白旗が翻っているように見せ、西浦海岸の立石付近に数丈の巨岩が海中から突然そびえ立って船の進路を妨げた。
この様を見た蒙古の賊徒は畏怖し、一戦を交えることも無く、船はことごとく海中に転覆し、多くの溺死者が出たと伝えられており、この神瑞霊異の事実を氣比宮の神官が聞いて朝廷に奏上したことで、氣比宮の造営の宣旨があり、この櫛川の松原にも神社を創立したと云われている。
境内の見どころ
鳥居
別宮神社の鳥居です。
舞殿
別宮神社の舞殿だと思われます。
社殿
別宮神社の社殿です。
赤く塗られた比較的 小さな社殿となっています。
夫婦杉
別宮神社の夫婦杉です。
松林
別宮神社の境内には松林が広がっています。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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