八大龍王・経塚遺跡(吉備の中山) [岡山県]
2020/05/13
岡山県岡山市の吉備の中山にある八大龍王(はちだいりゅうおう)・経塚遺跡(きょうづかいせき)です。
元宮磐座の付近にあり、八大龍王では雨乞いの祈祷が行われていたとされます。
八大龍王(龍神社)
吉備の中山の中で最も高い峰である龍王山の山頂には、八大龍王を祀る龍神社(龍王神社)があります。
案内板によれば、龍神社は吉備津彦神社の末社であり、祭神は龍王神(八大龍王)とされます。古代は日照りが続くと その地方の最も高い山の神聖で清らかな場所を選んで雨乞い行っていたとされ、各地にある「龍王山」と呼ばれる山は昔 雨乞いが行われていた山だといわれています。なお、この龍王山は古くは権現山と呼ばれていたそうです。
この祠は岡山の商人である常磐屋(ときわや)が天明の大飢饉の際に奉献したと伝えられ、祠に祀らている龍神は仏法を守護する神で、雲を呼び雨を降らせる力を持っており、農耕社会では大切に崇められてきたとされます。なお、八大龍王とは難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)という八龍の総称です。
経塚遺跡
八大龍王(龍神社)の両側には経塚が配置されています。
案内板によれば、経塚とは末法思想に基づくもので、仏教の再興を願って経典を永く後世に伝えるために築かれた塚で、経典の保存を目的に平安中期から造られるようになり、鎌倉時代には死後に極楽浄土に行けることへの願いや、現世利益を目的として築かれるようになったといわれています。
この経塚からは、鋳銅製で長さ約22センチ・直径約10センチの経筒が発掘されたと伝えられ、最初に2本あった経筒は雨乞い祈祷の時に経塚から取り出されて龍神に水を供えるための祭器として用いられ、使用後に元通りに埋葬されていたとされますが、このうち1本は明治10年に盗まれてしまい、残りの1本は岡山県立博物館に保存されているそうです。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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