人文研究見聞録:牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?

牛頭天王(ゴズテンノウ)は、かつての八坂神社の主祭神として有名であり、仏教の聖地「祇園精舎」の守護神とされています。

スサノオの本地(本来の姿)とされ、現在では牛頭天王を祀る社のほとんどがスサノオを祭神とするようになりました。これは、明治時代に発布された神仏分離令という神道と仏教を区分する政策の影響によるものとされています。

しかし、その起源については不明瞭な点も多く、正体がハッキリしていないとも云われます。そこで、謎も多いこの牛頭天王の正体について迫ってみたいと思います。


概要


牛頭天王は、京都祇園社(現八坂神社)では『祇園牛頭天王御縁起』に基づく尊像で語られるようです。

『祇園牛頭天王御縁起(ぎおんごずてんのうごえんぎ)』


本地仏は東方浄瑠璃界の教主薬師如来であるが、かれは12の大願を発し、須弥山中腹にある「豊饒国」(日本のことか)の武答天王の一人息子として垂迹し、すがたを現した。

太子は、7歳にして身長が7尺5寸あり、3尺の牛頭をもち、また、3尺の赤い角もあった。

太子は王位を継承して牛頭天王を名乗るが、后をむかえようとするものの、その姿かたちの怖ろしさのために近寄ろうとする女人さえいない。牛頭天王は酒びたりの毎日を送るようになった。

3人の公卿が天王の気持ちを慰安しようと山野に狩りに連れ出すが、そのとき一羽の鳩があらわれた。山鳩は人間のことばを話すことができ、大海に住む沙竭羅龍王の娘のもとへ案内すると言う。牛頭天王は娘を娶りに出かける。

旅の途次、長者である弟の古単将来に宿所を求めたが、慳貪な古単(古端、巨端)はこれを断った。それに対し、貧乏な兄の蘇民将来は歓待して宿を貸し、粟飯をふるまった。蘇民の親切に感じ入った牛頭天王は、願いごとがすべてかなう牛玉を蘇民にさずけ、蘇民は富貴の人となった。

龍宮へ赴いた牛頭天王は、沙竭羅の三女の婆利采女を娶り、8年をそこで過ごすあいだに七男一女の王子(八王子)をもうけた。

豊饒国への帰路、牛頭天王は八万四千の眷属をさしむけ、古単への復讐を図った。古端は千人もの僧を集め、大般若経を七日七晩にわたって読誦させたが法師のひとりが居眠りしたために失敗し、古単の眷属五千余はことごとく蹴り殺されたという。

この殺戮のなかで、牛頭天王は古単の妻だけを蘇民将来の娘であるために助命して、「茅の輪をつくって、赤絹の房を下げ、『蘇民将来之子孫なり』との護符を付ければ末代までも災難を逃れることができる」と除災の法を教示した。

参考文献:牛頭天王 - Wikipedia

上記と類似する蘇民将来の伝説に、武塔神(スサノオ)が登場する説話があります(『備後国風土記逸文』)。

詳しくはこちらの記事を参照:【蘇民将来とは?】

歴史


牛頭天王のおおまかな歴史についてまとめました(定説)。

・もともとはインド北方の九相国・吉祥園の王で武塔天神とも呼ばれた(『伊呂波字類抄』など)
・インド仏教で、インドラ神の化身が仏教に取り入れられて天部となり、祇園精舎の守護神とされた
・中国に伝わると、4世紀頃に神農大帝と習合して盛んに信仰されるようになるが、唐以降は次第に衰えた
・日本では奈良時代に伝わり、蘇民将来伝説の武塔天神と同一視されるようになった(『備後国風土記』など)
・神仏習合・本地垂迹説によって、スサノオの本地(本来の姿)であり薬師如来の垂迹(仮の姿)とされるようになる
・平安時代には祇園社(現・八坂神社)で疫病退治に魔神的な霊力を持つとして信仰を集めるようになった
・一説には、奈良時代の公卿・吉備真備が唐から祇園信仰を持ち込んだとも

まとめると、少なくともインドから中国を渡り、朝鮮半島を経由して日本に伝わってきたと考えられます。

ちなみに八坂神社の社伝によれば、飛鳥時代に高句麗から渡来した伊利之(いりし)によって祀られたとされています。

スサノオとの関係


人文研究見聞録:牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?

牛頭天王はスサノオの本地(本来の姿)とされますが、その由縁として以下の類似点があります。

・日本への進入ルート
 → 『日本書紀』によれば、高天原を追放されたスサノオは新羅の曽尸茂利(ソシモリ)に降臨し、そこから出雲へ入った
  ⇒ 『日本書紀』巻第一神代上第八段一書(異文)に登場する説話であり、本文ではない
 → 牛頭天王の名は新羅の牛頭山(ソシモリ山)に由来すると云われている
  ⇒ ソシモリは、朝鮮語で牛頭または牛首を意味するとも
・蘇民将来の伝説
 → 『備後国風土記』に記される蘇民将来伝説では、蘇民将来を災難から救った武塔神は自ら「スサノオ」と名乗る
  ⇒ 武塔神として登場するスサノオは、日本神話において高天原を追放されたときの状態であると考えられる
 → 『祇園牛頭天王御縁起』に記される蘇民将来伝説では、蘇民将来を災難から救った神は牛頭天王とされる
 → 日本の民話(三重県など)における蘇民将来伝説では、蘇民将来を災難から救った神は牛頭天王とされる
・武塔神と武塔天神
 → スサノオの別名は、武塔神である(『備後国風土記』による)
 → 牛頭天王の別名は、武塔天神である(『伊呂波字類抄』による)
・王子の数
 → 八坂神社では、スサノオの子として八柱御子神(8柱の子)が祀られる(『古事記』による)
 → 牛頭天王には、八王子とういう8人の王子がいる

特に蘇民将来の伝説にまつわる一致点が、非常に多いです。

インドラとの関係


人文研究見聞録:牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?

牛頭天王はインド神話のインドラ神の化身が、仏教に取り入れられた神であると云われています。

インドラ神は、古代インドでは絶大な人気を誇ったとされる神であり、後にインド仏教にも取り入れられたとされています。

このインドラ神は、神話における性格がスサノオと酷似しています。以下、その点についてまとめたいと思います。

・神性が一致する
 → インドラは、軍神であり降雨や嵐を司る雷神である
 → スサノオは、主に嵐を神格化した神であるという見方がある
・性格が一致する
 → インドラは勇敢であり寛大な神とされる一方、他人の持ち物を壊したり 無理難題を押し付ける粗暴な性格である
 → スサノオは勇敢さや寛大さを持ち合わせる一方、他人の持ち物を壊したり 無理難題を押し付ける粗暴な性格である
・天界を追放される
 → インドラは、アスラ王マハーバリには敗北して天界追放の憂き目にあっている
 → スサノオは、アマテラスを天岩戸に隠れさせた罪を以って高天原を追放されている
・異なる性質の神を娶る
 → インドラはデーヴァ神族であるが、アスラ神族の王の娘・シャチーを強奪した後に結ばれた
 → スサノオは天津神であるが、ヤマタノオロチの退治を条件に国津神のクシナダヒメを娶った
・大蛇を倒す
 → インドラは、大蛇ヴリトラを倒した
 → スサノオは、ヤマタノオロチを倒した

ざっとまとめると、上記のような類似点が見られます。

しかし、神話における情報量が大きく異なるため完全に一致するとは言い難い面もあります。

ちなみに、インド神話のインドラは、山の上に住む天界の王であり、ヴァジュラ(金剛杵)を以ってヴリトラ(大蛇)を倒したという性格が、ギリシア神話のゼウスと酷似していることから、この二神にも類似性が指摘できます。

また、インドラは中国では、帝釈天・天帝釈・天主帝釈・天帝・天皇などと漢訳され、仏教の天部として尊崇されたそうです。

なお、帝釈天は、東西南北のそれぞれに持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)が仕えることから、四天王天とも呼ばれています。

薬師如来との関係


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薬師如来は、本地垂迹説において牛頭天王の垂迹(仮の姿)に割り当てられたとされています。それは『祇園牛頭天王御縁起』の冒頭に記されていますが、具体的な経緯についての説明まではされていません。

牛頭天王とスサノオはともに行疫神(疫病を流行らせる神)とされますが、反面、薬師如来は医薬の仏として信仰されています。これについて、疾病を流行らせることもできれば 治すこともできる、つまり、疾病を司る神であると解釈することができます。

そう考えると、薬師如来にも牛頭天王との繋がりが見えてきます。

難波八坂神社の祭神


人文研究見聞録:牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?

大阪府にある難波八坂神社は、現在は八坂神社と同様にスサノオを祭神としていますが、平安時代には「難波村の牛頭天王社」として牛頭天王を祀っていたとされます。

なお、江戸時代の地誌である「摂津名所図会」には「本尊は深沙大王を祭る。これ多聞天の化現なり。」と紹介されていることから、多聞天の化身を祀る社でもあったと考えられ、この記述から牛頭天王(スサノオ)と四天王の多聞天の関連性を窺い知ることができます。

詳しくはこちらの記事も参照:【難波八坂神社】

牛頭天王とフィクション


人文研究見聞録:牛頭天王(ゴズテンノウ)とは?

少年ジャンプのマンガ「NARUTO」に登場する「うちは一族」の特殊能力に「須佐能乎(スサノオ)」というものがあります。この「スサノオ」のデザインが「二本角のもの」から始まりますが、これは「牛頭天王」の様相と一致します。

また、マンガ上の設定で、六道仙人から優劣を分かつ兄弟が誕生します。兄は優秀な「インドラ」、弟は劣った「アシュラ」です。これはインド神話の「インドラ(デーヴァ神族)」と「アスラ神族」の関係性と一致します。

このマンガの設定に見られる神仏の関係性は、上記で説明した牛頭天王の縁起と見事に一致します。これらのことから「NARUTO」は、神話や歴史における事実を、引用して再現している作品なのかもしれませんね。
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。