人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

東京都新宿区歌舞伎町にある稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ) です。

全国唯一の鬼の福授けの神社として信仰を集めており、病気平癒の「撫で守り」の授与でも有名とされています。

また、「鬼王」の名は平将門公の幼名である「鬼王丸(外都鬼王とも)」から名前を取ったという伝承もあるそうです。

そのため、将門公ゆかりの神社としても知られています。

平将門についてはこちらの記事を参照:【平将門とは?】


神社概要

由緒

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

社伝によれば、古来より大久保村の聖地とされた当地に、承応2年(1653年)に当所の氏神として稲荷神社が建てられてことに始まるとされています。

そして、宝暦2年(1752年)に当地の百姓・田中清右衛門が旅先での病気平癒の感謝から、紀州熊野より鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を勧請し、天保2年(1831年)に稲荷神社と合祀して「稲荷鬼王神社」となったとされます。

そのため、社紋が「稲荷紋」と「巴紋」の2つになっているそうです。

また、熊野の鬼王権現は現存していないため、現在では「鬼王」の名を持つ日本唯一の神社となっており、大祭で担がれる宮御輿には「鬼面」が彫られた珍しいものとなっています。

なお、江戸時代に特異とされた「鬼王」という社名を掲げる際、地元では全く抵抗感がなかったとされています。これについては平将門公の幼名・鬼王丸に所縁があったためと云われているそうです。

ちなみに、境内入口にある水鉢(水盥台石)とともに寄進されたという名刀は、将門公の幼名と同じく「鬼王丸」という名だったとされています(盗まれてしまったとされる)。

祭神

稲荷鬼王神社の祭神は以下の通りです。

稲荷神

・宇迦之御魂神(ウカノミタマ):食糧と五穀豊穣の司る神
 → 稲荷鬼王神社では、新宿の厄除稲荷とされる

鬼王権現(鬼王様)

・月夜見命(ツクヨミ):三貴子の一柱
 → 稲荷鬼王神社では、人の運勢を司り、ツキを与えてくれる神とされる
・大物主命(オオモノヌシ):大神神社の主祭神
 → 稲荷鬼王神社では「大黒天」とも呼ばれている
・天手力男命(アメノタヂカラオ):天岩戸にまつわる神
 → 稲荷鬼王神社では、開運・武運長久の神とされる

合祀

・大久保村が土俗の神:火産霊神、盗難除けの神ほか

※「鬼王」とは「鬼王権現」を指すため、「鬼」を祀るわけではないとされる

授与品(特殊授与品)

稲荷鬼王神社には「撫で守り」や「鬼王の御神札」など、独自の授与品があります。

特殊授与品のリスト

・全国唯一の鬼王の御神札・御守:多岐にわたる御神徳があるとされる御神札と御守
・撫で守り(なでまもり):病気ゆえに「豆腐断ち」ができる人のみ授与される病気平癒の護符(社頭での展示なし)
・加富良矢(かぶらや):「破魔矢」ではなく、稲荷鬼王神社・恵比寿神社の御名を戴いた「富を加える良き矢」とされる
・福寄せ恵比寿:福を寄せ、運を運ぶ恵比寿神の御守
・干支の縁起物:稲荷鬼王神社に江戸時代から伝承される独自の干支の縁起物とされる

境内社

三島神社(恵比寿神社・開運恵比寿)

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の境内社・三島神社です。

別名「開運恵比寿」とも呼ばれ、祭神に事代主命(コトシロヌシ)を祀っています。また、恵比寿として新宿山ノ手七福神の恵比寿にもなっているそうです。

なお、御神体は文化年間(1804~1818年)に松平出雲守邸内から出現した神像であり、後に松平氏によって、その祈願所である二尊院(東大久保)に奉納されたそうです。

この二尊院は、当時 大久保村の多くの社寺を管理していた稲荷鬼王神社の社家である大久保家によって管理下にあったとされますが、嘉永6年10月に二尊院が火災で焼失してしまったため、その恵比須神像を境内に遷座したのが三島神社とされています。

また、毎年10月19・20日には「新宿えびす祭」が行われ、境内では「べったら店」が出店されるそうです。なお、そこで販売される「べったら漬」を買うと金運が付くと云われているそうです。

浅間神社(西大久保の厄除富士)

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の境内社・浅間神社(せんげんじんじゃ)です。

別名「西大久保の厄除富士」とも呼ばれ、祭神に木花開夜昆賣命(コノハナサクヤヒメ)を祀っています(浅間大社の主祭神)。

なお、浅間神社は明治27年(1894年)に合祀された神社であり、昭和5年(1930年)には、霊峰不二(富士山)をはじめ、全国の銘石を取り寄せて富士塚が築かれ「西大久保の厄除富士」として再建されたそうです。

また、浅間神社は富士信仰に基づく神社とされるため、富士山に参拝するのと同じ御利益があるとされています。

境内の見どころ

鳥居

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の鳥居です。

石造の神名鳥居になっています。

境内

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の境内です。

入口には巨大な狛犬が配されていますが、最近は掲示板が設置されて見辛くなっています。

拝殿前の狛犬

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]
人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の拝殿前の狛犬です。

明治35年に奉納されたものであり、子供を抱いているという珍しい形をしています。

なお、阿形は「親子の情愛」を表し、吽形の子の持つ玉は「運と子孫への福徳」を与えるものとされています。

拝殿

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の拝殿です。

「稲荷紋」と「巴紋」を配し、周辺には数多くの掲示物が貼られています。

稲荷鬼王神社の水琴窟

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の水琴窟(すいきんくつ)です。

平成16年(2004年)に造られたものであり、耳を近づけると弦を弾くような音が聞こえます。

本殿

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の本殿です。

恵比寿神社の水琴窟

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

境内社・恵比寿神社の水琴窟(すいきんくつ)です。

平成16年(2004年)に造られたものであり、周りに水を撒いて耳を近づけると弦を弾くような音が聞こえます。

恵比寿神社のかえる石

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

境内社・恵比寿神社のかえる石です。

この石に水を掛け、恵比寿神社に参拝してから石を擦ると、金運が返る、良縁が返ると云われているそうです。

水盥台石(力様)

人文研究見聞録:稲荷鬼王神社 [東京都]

稲荷鬼王神社の水盥台石(みずだらいだいいし)です。別名「力様(りきさま)」と呼ばれています。

この台石は、相撲の力士が四段を踏んで病や苦しみを与える邪鬼を追い払っている様子を表しているとされます。

また、以下の様な伝説が伝えられているそうです。

水盥台石の伝説

伝えによれば、この盥石は元は加賀美某の庭池の水際にあった。

文政3年(1820年)の頃、この盥石は奇異を現し、連夜 庭で水を浴びるような音を発した。加賀美某は大いに怪しみ、家宝の名刀を抜いて斬りつけたが折れてしまった。

その後、盥石の奇変は無くなったが、家人に病や災厄が降りかかるようになったため、恐怖を覚えた。そのため、天保4年(1833年)に盥石を斬りつけた名刀・鬼王丸と共に盥石を稲荷鬼王神社に寄進したという。

この伝説の通り、今も鬼形の肩あたりに刀傷がある。また、参拝者が盥石に水を注ぐと、熱病、子供の夜泣きなどが たちまち平癒すると云い伝えられ、今でも信者が多いという。

ちなみに、名刀・鬼王丸は寄進の翌年 天保5年(1834年)に盗みとられてしまった。

神社独自の伝承

鬼について

稲荷鬼王神社では、鬼について「『鬼』というと私達はとかく悪いイメージを持ちがちですが、古来、『鬼』『神』であり、『力の象徴』でもありました。また、『鬼は悪慮を祓う』といわれ、すべての災禍を祓う力があります。」と説明しています。

また、古くから日本の建築物に用いられる「鬼瓦」に「魔除け・厄除け」の意味があるように、江戸時代から「鬼王」の名には悪しきことから人や家を守る力があるとも云われているそうです。

なお、古くは「鬼」を「神」を表すという説は他でも云われており、その痕跡として「鬼」の字を「かみ」と読むケースも存在します。ちなみに、このことに関連することで、以下の様な説話があります(神社とは無関係です)。

南北朝時代、「薬師丸(堀田隆真)」という武人が折れた薙刀の柄だけで足利尊氏の軍勢と戦って、敵を片っ端から打倒した。薬師丸の働きに喜んだ後醍醐天皇は「汝の働き鬼の如く」と称賛し、薬師丸に「九鬼」という名を与えた。また、「九鬼」と書いて「くかみ」と読ませた。

※この「薬師丸」は、遠方の敵を倒す際に「九字」という陰陽道の呪術を使ったとされ、後醍醐天皇から授かった「九鬼」という名は「九字を切る鬼」というところから来ているのではないかという説もあります。

節分について

稲荷鬼王神社では鬼を祀っているワケではないとされますが、年中行事の節分の際には、全国唯一の「鬼王」の名にちなんで「福は内、鬼は内」と唱えるとされています。

なお、この場合の「」は「春の神」を指すと昔から云われ、「福よ来い・春よ来い」という意味であるとされています。

撫で守り

稲荷鬼王神社では、特に皮膚病に効くとされる病気平癒の「撫で守り」という護符の授与が行われています。

「撫で守り」とは、特定の信仰に基づく病気平癒の護符であり、患部に護符を当て、撫でながら回復を祈願するといったものとなっています。関西では「石切劔箭神社(石切さん)」で授与されることで有名です。

稲荷鬼王神社の場合は、病気の本人もしくは代理で参拝した人が病が治るまで「豆腐断ち」をする必要があるとされています。これは、江戸中期より続く風習とされているようです。

なお、修験道では「穀断ち」という修行があり、五穀または十穀を食べないことで身を清めることを意味したとされています。これは、穀物を人間の穢れにまみれた俗世の物と考えているためなんだそうです。

また、神道でも「物忌み」という穢れを避ける慣習があり、重要な祭礼の前などに肉食や匂いの強い野菜の摂取を避け、穢れた身を清めるといったものとなっています。これは『日本書紀』などをはじめとする古い時代の歴史書にも登場しており、相当古い時代から存在しているものとされています。

こうしたことから、稲荷鬼王神社の「豆腐断ち」は身を清めることを意味しているものと思われます。

干支由来

稲荷鬼王神社には「干支由来」という独自の干支占いがあり、案内板には以下のように記されています。

江戸時代から伝わる稲荷鬼王神社の干支由来

残念な事に多くの社寺は明治時代に、江戸時代各社に伝わっていたハズの独自の干支由来を迷信として廃止した為、干支の縁起物がお土産屋で販売されているのと変わらない授与のされ方をしています。

当社に伝わる干支由来は、江戸時代に当社が寺小屋を開いていた事や神仏習合の関係から神道・仏教・儒教・陰陽道に関わる話や学問的な話、道徳的な話、言葉遊びの様な話で構成されています。

☆社殿ゆえ本などに書かれている干支の話と違う事もあります。
☆代々の宮司が、その時々に付け足してきた為、矛盾や話の整理がされていない部分もあります。
☆稲荷鬼王神社では江戸時代より当社に伝わる干支の御神徳、御利益を干支の縁起物は無論の事、御神札やお守り等の全ての授与品に込めております。

なお、確認した限りの干支由来は以下の通りです。

巳の干支由来

「巳(み)」の字は「止(や)む」を表わす字と言われています。物事がいったん終わりを迎えるとともに新たに始まるという意味だと当社では伝わっています。「巳」は昔の時刻では一日のなかばである正午に当たることから、午前と午後がかわるように、変革や物事の盛りでありながら終わりと始まりを表わす年といわれ、何が起きるか判らないからこそ、何事も動じない心構え、不動心をもって臨めば良き年と、当社では言われています。

『 己(おのれ) 』の字を一画増やすと『 巳 』の字になる事から自分自身を知り、自分の長所を伸ばす事が実(み)、成果に成る年です。『 巳 』に一画増やすと『 巴(ともえ) 』になります。『 巴 』の文字は、弓を射る時に弓を持つ左手の内側につけ、弦が他の物に触れるのを防ぐ弓具『 鞆(とも) 』に側面と形が似ている事が字の原点です。

当社・稲荷鬼王神社の門塀に向かって左側の社紋が『 巴(ともえ)紋 』と言われるのは『 鞆 』に描かれた渦巻状のもんようを『 鞆絵(ともえ) 』に称したことからです。『 鞆絵 』の渦巻のもんようの意味は色々な説があります。雷の稲妻の光をかたどった説、水の流れの様子という説、雲をあらわしたという説、神秘な力をもつという勾玉をあらわすという説、蛇がとぐろを巻いている姿という説があります。『 巴 』に対するこれらの説と『 巳 』の関係から、一画加える、つまり今年得る新たな知識や経験、資格に自分が増長すると、『 蛇足(だそく) 』、余計なものになってしまうので謙虚さが必要です。

「 巳年 」の干支の霊獣は『 蛇 』です。『 蛇 』は脱皮します。昔の人は、脱皮は若返りをあらわしたものと考え、抜け殻は金運を呼ぶお守として尊ばれました。『 蛇 』は旱魃(かんばつ)を呼ぶともいわれていますが、池や沼の水の神ともいわれ、その場合は龍蛇といわれます。家の敷地に蛇がいると金運を呼ぶと言われています。蛇のとぐろを巻いている姿は家運、金運をはじめとする良き運を守る姿でもあります。蛇のとぐろの形を蛇の目(じゃのめ)と呼び、魔除けの形として古来尊ばれてきました。

『 蛇 』のくねりが『 蛇行(だこう) 』といわれるように、寄り道が多く目的にまっすぐに行きにくい年ですが、その寄り道を『 実 』につなげる努力が求められる年です。

蛇がくねっている姿は先ほど書きました『 巴紋 』と同じく稲妻や水の流れと同じといわれ、神威の強い年と言えます。当社のような『 巴紋 』のある神社は『 巳年 』に関わりが強く、巳年に当社・稲荷鬼王神社で祈る事で、より多くの実(み)を得ることが出来ます。

『 巳年 』の人は冷静なようで情熱的な人が多く魅力がありながら、反面、猜疑心や執着心が強い人が多い、とも言われています。情熱は長所ですが、真の冷静さと己を知る事が『 吉 』に繋がります。

未の干支由来

「未(ひつじ)」は五行説では「土」を表し、「土」は「万物(金など)」を産み出す力があると言われています。

「未」の字は「一」と「木」の字で成り立ちます。「一」は「木」の上部、つまり「枝葉」の繁りを表します。適度な「枝葉」は森の生命を育み、明るい「未来」の「未」に繋がります。しかし、「枝葉」が過度に伸びると、暗くなりすぎてしまい、字は「未」ではなく、「末(すえ)」という字になっていしまいます。また、「枝葉」が必要に満たなければ「木」の字の変形でしかなく、森を作れない木、孤独な「木」の字になります。

つまり、枝葉を広げすぎると「末」になり、枝葉をとりすぎると「木」となるため、目的達成が困難になります。中庸をいかせば「未」本来の未来・生命・物(金運等)を生み出す力を得られます。

この「枝葉」は人の態度を表す場合、枝葉を広げることは横柄な態度をいい、枝葉をとりすぎるというのは、自分に自信がなかったり、遠慮しすぎる態度です。あるいは「枝葉」を人の装飾と考えても良いかもしれません。適度の見栄は必要ですが、見栄が過ぎても見栄がないのも、社会性を失います。

今年の干支『未』の霊獣『羊(ひつじ)』は古来、中国では神に捧げた動物です。「神」の字の「しめすへん」を「羊」につけると、めでたさを表す「吉祥」の「祥」の字になります。また「羊」はヨウとも読み、すべてのものに恵みを与えてくれる太陽(たいよう)の「陽」に通じます。

当社の干支由来における『羊』は、江戸時代においては髭のある『山羊(やぎ)』を表していたようです。当社では『羊=「やぎ」』の丸い角と髭の姿は、『仁者』の徳と『賢者』の叡智を表し、健康長寿と富貴の象徴でもあると伝えられています。また仙術を使う仙人と同じ姿と力がありながら、仙人と違い、孤独ではないとも云われています。

ただし、昭和中期の宮司の講話から『羊』を「やぎ」ではなく「ひつじ」としても捉えられ、「羊(ひつじ)」の徳性として羊毛が洋服などになることから、自らを犠牲にしても他者を助ける仁者の心を持ち、姿は豊かさの象徴でもあると云われます。また、集団を作ることから、家内安全、平和の象徴とも云われました。

今年注意すべき点は『羊頭狗肉(「飾りの頭」と「本来の肉」を違って売られる商品のたとえ)』という言葉があるように、物事に騙されないためには全体を見る冷静さが求められます。また「未」に「口」がつくと「味」になり、言葉の力が加わると食物の力、滋養の溢れる年、豊かな年になると言います。ただし、言葉の力は善き言の葉をつむぐ事が大事です。

なお、俗に『未年』の人は品があり慎重な人と評されます。ただし、慎重さが優柔不断になったり、ことわざ『亡羊の嘆(本来は学問の難しさをあらわす言葉ですが、色々な選択肢があることから迷いを生じるという意味もあります)』のように迷い人となる恐れがあるので、信念を持った慎重さが必要です。

なかなか興味深い内容ですね。こうした独自の伝承には、何か重要な秘密が隠されているように思います。

料金: 無料
住所: 東京都新宿区歌舞伎町2丁目17-5
営業: 終日開放、無休
交通: 東新宿駅(徒歩3分)、西武新宿駅(徒歩5分)ほか
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。