人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]

長野県長野市松代の皆神山の山頂にある熊野出速雄神社(くまのいづはやおじんじゃ)です。皆神山に鎮座する神社として一般的には皆神神社(みなかみじんじゃ)と呼ばれています。

古来より聖山とされてきた皆神山に鎮座することから、国内でも有数のパワースポットとして知られており、この山には通常では知りえない多様な言い伝えが残されていることでも特徴です。

なお、皆神山は「太古に作られた世界最大のピラミッド」という説があり、山内にある案内板には『古事記』に登場する神の乗物は「宇宙船」であり、神々は「宇宙を航行していた高度な知識を持つ人々である」とハッキリと記されています。

また、それを裏付けるように、周辺ではUFOと思われる発光物体の目撃情報が数多く報告されているようです。


神社概要

由緒

熊野出速雄神社皆神神社の本社であり、奈良時代の養老2年(718年)に出速雄神社を勧請したこと始まるとされています。創建以後、修験道が盛んになったことから、熊野権現を勧請して大日如来・弥勒菩薩・阿弥陀如来の三仏像を安置し、「熊野三社大権現」と称したそうです。

その後は長い間「北は戸隠、南は皆神山」と云われるほど修験道が栄え、その先達である和合院は朱印二百石、皆神山八合目から上全部を領地とし、聖護院(本山派山伏の本山)より、川中島四郡(埴科・更科・水内・高井)の年行事職を命ぜられ、さらに信濃のほぼ全域の本山派山伏の支配権を得ていたとされます。

そして、明治期の神仏分離令、廃藩置県により山伏は全て還俗して一切を上知し、和合院も廃寺になったことから、社名を「熊野出速雄神社」と改称して、現在に至るとされています。

祭神

主祭神

・出速雄命(イズモハヤオ):諏訪大神の御子神で、当地方の開拓の祖神として祀られた農耕の神とされる
 → 熊野出速雄命とも表記されるが、本来は「熊野」と無関係な諏訪の御子神であるため、付けないものとされる
・伊邪那岐命(イザナギ):国産み・神産みの男神(熊野十二所権現の一柱)
・伊邪那美命(イザナミ):国産み・神産みの女神(熊野十二所権現の一柱)
・速玉男命(ハヤタマオ):熊野十二所権現の一柱
・豫母都事解男命(ヨモツコトサカノオ):熊野十二所権現の一柱

脇座

・舒明天皇(じょめいてんのう):第34代天皇
・古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ):舒明天皇の第一皇子、皆神山の小丸山古墳の被葬者とされる

境内社

人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]

・侍従神社:皆神山の修験を完成させた侍従大神(侍従天狗坊こと内山満顕)を祀る
・天地カゴメ之宮:皆神山の守護社とされ、元津御祖皇大神、国常立大神を祀っていると思われる
・諏訪社:諏訪大神を祀っていると思われる
・弁天社:弁財天を祀っていると思われる
・天満宮:菅原道真を祀っていると思われる
・富士浅間神社:木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を祀る

侍従神社

人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]
侍従神社

境内の侍従神社に鎮座する「侍従大神(じじゅうおおかみ)」は、信濃國佐久の内山城主・内山満久の三男・内山満顕であり、13歳の時に鞍馬山に入山して密教を厳修し、その後も各霊山を巡って修行し、内山氏滅亡の際に皆神山に登って「大日寺和合院宥賢」と称した修験者であるとされます。その後「侍従天狗坊」と名乗り、皆神山の修験を完成させたそうです。

そして、弘治2年(1556年)7月14日の侍従坊入定の時に「吾は是大聖不動明王の化現なり、吾を念ずれば即ち諸々願を叶え如意満足ならしめん、中にも火災剣難をば万里の雲外に踏み退け、安産子育寿命を延ぶべし」と三度発したと云われ、それによって御影を木造に写して「侍従坊大天狗明王」として奉斎したとされています。

なお、侍従大神は「児育て・寿命・火鎮の神」として崇敬され、この地方では古くから「子供を侍従坊の弟子にすれば無病息災に育つ」と言われているため、子供が生まれれば一度は参拝するんだそうです。

天地カゴメ之宮

人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]
天地カゴメの宮の紋章

境内の天地カゴメ之宮は、神宮一二三という女性祈祷師によって建立されたものと云われています。

石碑によれば、昭和49年1月23日(旧暦1月元旦)に国常立大神(クニノトコタチ)の神示があり、諏訪大神(タケミナカタ、もしくは諏訪の祖神とも)から「2月5日節分から信州神業に発(た)て」という神示を受けて、2月6日に大雪の聖山神社に向かったそうです。

また「皆神山へ行け。元の元の大元の大神様のお立ち上りと成りた。コトの大事の秘められし、その頂上なる神の御出現じゃ。」と神示もあり、加えて戸隠中社にて「この信洲、神の洲と書いて、神洲と読むことを知っているか、皆神山へ参れよ。」との神示もあったことから、翌2月7日に積雪の皆神山に初登山したとされています。

そして、皆神神社の神前で入神状態となり、大勢の神々参集する中、神業は新しい大神様が地上神界の天降りを出産の型で示し、戴冠式の形となって全ての神儀を終了したとされます(専門用語が多いため詳しくは不明です)。

また「この皆神山は古代より神界で選ばれた地球上で唯一の聖地であり、宮もまた同じなり」とも説明されています。

なお、天地カゴメ之宮は「上に元津御祖大神、また、ヒマラヤから国常立大神の元津神霊を宮の御大将と迎え、日之出大神はじめとする天地八百万の神々、龍神眷属、モーゼ、キリスト、ギリシャ神話の神々に至るまで参集し、現在は伊都能売神業にあり、このたび神々より皆神山守護のため宮の建立を許された」と説明されていることから、「聖地・皆神山守護のために諸神の許しを得て建立された神社である」とされているようです。

石碑の内容は、ほぼ専門用語だらけなので非常に理解し辛い内容ですが、どうやら「大本」という宗教団体に関連するものであると思われます。なお、皆神山には天地カゴメ之宮の他にも大本関係の石碑が多数あり、宮の台や石碑には菊花紋章六芒星を併せたような奇妙な紋章が刻まれています。

これについての詳しい説明はされていませんが、菊花紋章は皇室のシンボルとして知られ、六芒星はイスラエルのシンボルとして知られていることから「日ユ同祖論」と結び付ける説などが盛んに唱えられています(なお、菊花紋章と六芒星は伊勢神宮の石燈籠にも刻まれている)。

狐の詫び証文

皆神神社には「狐の詫び証文」が残されているとされています。その由来には諸説あるとされ、一説には 神仏分離後の熊野出速雄神社の初代宮司・水上雄風(おかぜ)が、狐憑きの女性の手を取って書かせたものと言われているそうです。

また、この由来にちなむ、次のような昔話もあるとされています。

ある年、皆神山の麓にある平林村の村人達の畑が夜な夜な荒らされ、農作物が根こそぎ盗まれるという日々が続いた。そこで、村人達は夜番を立てて畑を見張っていると、皆神山から降りてきて畑を荒らし、再び皆神山に逃げていく影を目撃した。

そのため、名主を先頭に山に上って山伏の頭領に掛け合うと「それは皆神山に住み着いている狐の仕業に違いない、狐をキツく叱りつけ、詫証文を取ってやるから勘弁してやってくれ」と言われた。

しかし、実は不心得な修行僧が野荒しており、それを大先達が狐の仕業として処理したのだという。

皆神山について

皆神山とは?

人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]
皆神山

皆神山(みなかみやま)は、長野市松代町の東南に位置する標高679m、周囲約8kmの溶岩ドームであり、形状が円錐形の独立山のため、古来より霊山として信仰の対象とされ、最近では世界最大最古のピラミッドであるとも言われています。そのため、毎年5月5日には地元自治会によって「皆神山ピラミッド祭り」が開催されています。

なお、呼称は「みなかみやま」と一貫されているそうですが、表記については中古は「群神山」、天正の頃には「水上山」、慶長以後は「皆神山」と変化していったそうです。

また、皆神山に鎮座する熊野出速雄神社・侍従神社をはじめ、木花咲耶姫命を祀る富士浅間神社、少彦名命を祀る嘉佐八郎社など、皆神山に鎮座する神々の尊称として「皆神神社」と通称されています。加えて、皆神山の中腹にある古墳は天照皇大神を祀る「岩戸神社」と呼ばれており、その石室はピラミッドへの入口ではないかとも云われています。

そのほか、皆神山については以下の様な諸説が唱えられています。

皆神山の諸説

・俗にUFO発着地と言われている(UFOの目撃多発地帯であるため)
・山田久延彦によれば、世界最大最古のピラミッドとされる
・諏訪に勢力拡大した三輪氏は、奈良県の三輪山の代わりとして信仰していた
・山根キクによれば、キリストの修行地であり、釈迦の誕生地であるという
・太平洋戦争末期、日本政府は東京から皆神山・象山に中枢機能を移転しようとも

皆神山についてはこちらの記事も参照:【皆神山】

案内板による皆神山の説明

案内板によれば、皆神山について以下のように説明されています。

世界最大で最古の皆神山ピラミッド

皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく、初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動の抑圧)により、当時 長野盆地が遊水湖沼(最後のウルム氷期の終末期で東・南信の氷解水による)となっており、その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮場させ、空間移動させるといったダイナミックな方法でした(従って現在でも皆神山 山塊だけが非常に軽く負の重力異常塊となっております)。

この皆神山の盛土的山塊が自重によって、不均衡凝縮=ねじれ摩擦現象=起電=電流発生といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ、この磁力と重力制御(反重力)によって物質になったのです。古文書に出てくる天の羅摩舟(アメノカガミブネ)等がこの飛行体です。

謎の皆神山ピラミッド物語

皆神山は古い古墳時代や弥生時代、さらに遡っての縄文時代やエジプト・インダス・黄河・シュメール各文明よりずっと古い、今から約2~3万年前(浅間山、焼岳ができたころ。飯綱・妙高・富士は約九万年前)の超太古ともいうべき遠い旧石器の時代に造られました(人工造山=ピラミッド、ピラミッドはギリシャ語源で三角型のパンの意)。

この皆神山を造った人間は、『古事記』に出てくる須佐之男命(スサノオノミコト、自然主義的な科学技術者の集団の総称)で現代科学とは全く異質で遥かに優れた高い知的能力を持つ人類でした(旧ネアンデルタール人系)。

では、何のために造ったのかというと、墳墓ではなく地球上の各地や、宇宙空間への航行基地として造られたのです。

皆神山ピラミッドの祭神は知力・体力の神

超太古の宇宙航行基地である皆神山の祭神は高度の知的能力集団で、皆 宇宙航行や宇宙基地に関係する次の四神です。

・熊野出速雄命(クマノイズハヤオノミコト)
 → 宇宙船「天の羅摩舟(アメノカガミブネ)」等の航行の技術・管理を引き継いだ最後の集団で、北信地方の開拓祖神
・少名毘古那神(スクナビコナノカミ)
 → 宇宙船で皆神山航行基地を離着した大国主命の参謀集団
・泉津事解男神(ヨモツコトサカノオ)
 → 皆神山航行基地をはじめ、全宇宙基地を管理した集団
・速玉男神(ハヤタマオノカミ)
 → 地球周回軌道の人工衛星(宇宙航行の中継基地)の技術者の集団

このように皆神山は、神々が活躍した基地であり、宇宙船で現れたり、姿を消したりしたので、自然人たちは神聖な山=高天原(たかまがはら)として崇め、後世に伝えたものです。

皆神山の伝説

人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]
岩戸神社(天岩戸伝説がある)

皆神山には以下の様な伝説があるそうです。


・天岩戸神話
・慶長3年(1598年)の田丸の殿様の鷹狩りの際に大天狗が現れて、皆神山での殺生は許さないと叱った話
・侍従坊(内山満顕)の着物を無理に借用したため、城下の大火を引き起こしたという話
・修行僧たちの野荒らしを狐の仕業にしてしまい、狐の詫証文をとった話

大本との関係

大本(おおもと)とは、明治期に開祖・出口なおに降臨した国祖・国常立尊の神示に基づく教派神道系の教団です。

明治25年(1892年)に出口なおに「艮の金神(うしとらのこんじん)」が神懸かったことに始まるとされ、当初は全く相手にされなかったとされますが、予言や病気治療などによって注目を集めたとされます。

その後、霊能者・出口王仁三郎の審神者によって「艮の金神」が「国祖・国常立尊」であると告げられ、この神によって「世の立替え・立直し」が表明されたことから教団組織を作ることとなったそうです。

そして、戦前の日本において有数の巨大教団へと発展したとされています。ただし、「立替え・立直し」が政府によって革命思想と捉えられ、大正と昭和の2度にわたって弾圧されたそうです。

なお、出口王仁三郎によれば、富士山を「天教山」、皆神山を「地教山」とし、世界の中心地であるとされており、皆神山にある石碑には「地質学上 世界の中心山脈の 十字形せる 珍の神山 天霊の 聖地に些しも 遠はざる 尊き神山 皆神の山」と刻まれています。

フィクション

人文研究見聞録:熊野出速雄神社(皆神神社) [長野県]
世紀末オカルト学園

皆神山は以下のフィクション作品に登場しています。

・世紀末オカルト学院:皆神山の山頂に学園があるという設定
・強殖装甲ガイバー:作中に登場する「魅奈神山」のモデル
・新世紀エヴァンゲリオン:作中の設定で松代にNERVの第2実験場が置かれている(関連性が指摘される)

料金: 無料
住所: 長野県長野市松代町豊栄5464-2(マップ
営業: 終日開放
交通: 自動車推奨、長野駅からバス「桑根井入口」もしくは「松代高校」下車(松代駅は廃線)

公式サイト: http://www.minakami-jinja.jp/index.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。