首途八幡宮 [京都府]
2015/04/20
京都市上京区にある首途八幡宮(かどではちまんぐう)です。
宇佐神宮から勧請された八幡宮であり、源義経が奥州に向かう際に安全祈願したという伝説があるとされています。
神社概要
由緒
由緒書によれば、宇佐神宮(大分県)から八幡大神を勧請したことに始まり、誉田別尊(応神天皇)、比咩大神、息長帯姫命(神功皇后)を祭神としたとされ、元の名を「内野八幡宮(うちのはちまんぐう)」といい、平安京の大内裏の東北に位置していたため、王城鎮護の神社となったとされています。
なお、平安初期には桃園親王の邸宅だったとされ、当時は桃の木が植えられたと云われています。今でも境内には多くの桃の木が植えられており、春先には綺麗に咲き誇るようです(鬼門に位置するため、桃なのでしょうか?)。
また、当地には奥州から産出する金を京で商う金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったと伝えられ、源義経(牛若丸)が奥州平泉に赴く際、吉次の助けを得て、当社で道中の安全を祈願して出発したと伝えられています。
なお、社名の"道途(かどで)"とは"出発"を意味し、義経の逸話から"道途八幡宮"と呼ばれるようになったとされ、このことから特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めているそうです。
由 緒
王朝 華やかなり頃、桃園親王の旧跡として知られ、境内地も広く、池あり、篠山あり、桃の木多く、花爛漫と咲き、稚児舞の奉納などあり、その情景は絵巻物の底あり、諸人の崇敬厚く神験も広く、及び、古来神威盛んな神社として、神徳を称えられている。
高倉天皇 承安4年(1174年)3月3日、源九朗義経が奥州の道途にあたり、鞍馬山から当社に参拝し、旅の安全と武勇の上達を願い、宇佐八幡宮の神霊を勧請鎮められたのを創祀として八幡宮と称する。
王朝 華やかなり頃、桃園親王の旧跡として知られ、境内地も広く、池あり、篠山あり、桃の木多く、花爛漫と咲き、稚児舞の奉納などあり、その情景は絵巻物の底あり、諸人の崇敬厚く神験も広く、及び、古来神威盛んな神社として、神徳を称えられている。
高倉天皇 承安4年(1174年)3月3日、源九朗義経が奥州の道途にあたり、鞍馬山から当社に参拝し、旅の安全と武勇の上達を願い、宇佐八幡宮の神霊を勧請鎮められたのを創祀として八幡宮と称する。
祭神
首途八幡宮の祭神は以下の通りです。
主祭神
・誉田別尊(ほんだわけ):第15代応神天皇のことであり、八幡大神として全国の八幡宮で祀られている
・比咩大神(ひめおおかみ):八幡三神の一柱として祀られるが、正体は不明
・息長帯姫命(おきながたらしひめ):応神天皇の母であり、三韓征伐を成功させたとされる
・誉田別尊(ほんだわけ):第15代応神天皇のことであり、八幡大神として全国の八幡宮で祀られている
・比咩大神(ひめおおかみ):八幡三神の一柱として祀られるが、正体は不明
・息長帯姫命(おきながたらしひめ):応神天皇の母であり、三韓征伐を成功させたとされる
弁天社
首途八幡宮の境内社である弁天社です。
境内の見どころ
鳥居
首途八幡宮の鳥居です。
参道
首途八幡宮の参道には、多くの樹木が植えられています。
鳩の手水舎
首途八幡宮の手水舎には、神使の鳩の像が安置されています。
石段
首途八幡宮の境内には、やたらと石段があります。
本殿
首途八幡宮の本殿です。
料金: 無料
住所: 京都府京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1(マップ)
営業: 終日開放、無休
交通: 今出川駅(徒歩17分)
公式サイト: http://www.nishijin.net/kadodehachimangu/
住所: 京都府京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1(マップ)
営業: 終日開放、無休
交通: 今出川駅(徒歩17分)
公式サイト: http://www.nishijin.net/kadodehachimangu/
スポンサーリンク
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿