サムハラ神社 [大阪府]
2015/04/18
大阪市西区にあるサムハラ神社です。
昭和期に大阪に創建された神社であり、岡山県の金刀比羅神社境内にある"サムハラ様の祠"に端を発するとされます。
なお、社名の"サムハラ"は"身を護る不思議な神字"とされており、これによって助かったという事例が多数あるようです。
そのため、当社で授与される"サムハラの御守"は密かな人気を集めているとされています。
神社概要
由緒
サムハラと読む |
元々、岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)の金刀比羅神社の境内にある古祠で"サムハラ大神(当社祭神)"が祀られており、昭和10年(1935年)に当地出身の商人・田中富三郎が"サムハラ様の祠"の荒廃を嘆き、私財を投じて再興したことに始まるとされます。
しかし、再興した翌年に岡山県特高課から"無許可神社で商品広告している"として自主撤去を求められたため、一時的に撤去したそうです。
その後は、戦後の昭和21年(1946年)に岡山県苫田郡加茂町に再建し、昭和25年(1950年)に大阪市中之島の豊国神社の隣接地に自費でサムハラ神社を建立し、昭和36年(1961年)に大阪市役所の増設によって現在地へ移築遷宮となり、現在に至るとされています。
なお、当社を創建した田中富三郎は、日本で万年筆を製造・販売する田中大元堂の経営者であり、万年筆の普及に努めた万年筆業界の先駆者として知られています。
この富三郎は岡山県の美作加茂で生まれ、出身地で祀られていた"サムハラ大神"の霊威に守られながら育ったとされ、陸軍御用商人として日清・日露戦争に従軍した際に数々の危機に遭遇したものの、"サムハラ大神の霊徳"によって危機を免れて無事に生還できたことから、"サムハラ大神の霊徳"を世に分かつためにサムハラ神社を建立したとされています。
また、当社の起源となった"金刀比羅神社(岡山県津山市)のサムハラ様の祠"は現在は"当社の奥の宮"となっており、金刀比羅神社の裏手にある小さな社殿にて"サムハラ大神"が祀られています。
祭神
サムハラ神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・サムハラ大神:神道における造化三神を指すとされる(以下、造化三神の紹介)
→ 天御中主大神(アメノミナカヌシ):天地開闢(世界の始まり)に関わった別天津神(ことあまつかみ)の一柱
⇒ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に最初に出現した神であるとされる
⇒ 当社の案内板では「天御中主大神サムハラ神霊」と表記されている
→ 高皇霊産大神(タカミムスビ):別天津神の一柱
⇒ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に二番目に出現した神であるとされる
→ 神皇霊産大神(カミムスビ):別天津神の一柱
⇒ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に三番目に出現した神であるとされる
・サムハラ大神:神道における造化三神を指すとされる(以下、造化三神の紹介)
→ 天御中主大神(アメノミナカヌシ):天地開闢(世界の始まり)に関わった別天津神(ことあまつかみ)の一柱
⇒ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に最初に出現した神であるとされる
⇒ 当社の案内板では「天御中主大神サムハラ神霊」と表記されている
→ 高皇霊産大神(タカミムスビ):別天津神の一柱
⇒ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に二番目に出現した神であるとされる
→ 神皇霊産大神(カミムスビ):別天津神の一柱
⇒ 『古事記』では、天地開闢の後に高天原に三番目に出現した神であるとされる
サムハラとは?
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サムハラとは、"身を守る不思議な4文字"であり、漢字ではなく"神字"であるとされ、当社の他にも東大寺、雷山千如寺大悲王院などの各地の寺社のお守りの呪文として用いられているそうです。
また、このサムハラの意味や語源についての詳細は謎に包まれており、いくつかの説が唱えられています。
一説には、サムハラは "造化三神(物の成育造化を司るムスビの神)"を意味し、この三神は"全ての神々の親神、人類の大祖先に当たる無初無終全知全能で造物主"であり、また"力の集合集積を表す" とされます。
また、語源については梵語(サンスクリット語)のsaṃvara(三跋羅、さんばら、シャンバラ)に由来し、チベットの伝説にあるシャンバラ(『時輪タントラ』に説かれる伝説上の仏教王国)にも関係があると言われており、チベット語では「幸福の源」を意味するとされています。
また、東洋思想における"気"と呼ばれるエネルギーにも関わるとされ、「宇宙森羅万象の気を整えて、世の歪みを正道にもどす」という意味合いから、"合気道の守護神"であるとも云われています(境内には合気道の道場がある)。
このように、サムハラの文字には不思議な意味が込められているとされることから、厭勝銭(銭型の護符)の一種にサムハラ銭があったり、特攻隊員の短刀にサムハラの文字が彫られていたなど、サムハラに関わる様々な逸話も残されています。
サムハラにまつわる故事
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古くから"サムハラによって救われた"という故事がいくつかあるようなので、ここで紹介したいと思います。
『孝経』の記述
孔子の弟子「曾子(そうし)」が、病に罹って臨終の際に、弟子に体の全部を調べさせ、一つの傷痕もないのを見て安心し「父母に体を受けて生まれて幸いにも一つの傷痕もなくお返しする事ができるのは孝を尽くしたことだ」と言い、生命の守護神であるサムハラ大神に深く感謝したという。
中国の経書『孝経』より
孔子の弟子「曾子(そうし)」が、病に罹って臨終の際に、弟子に体の全部を調べさせ、一つの傷痕もないのを見て安心し「父母に体を受けて生まれて幸いにも一つの傷痕もなくお返しする事ができるのは孝を尽くしたことだ」と言い、生命の守護神であるサムハラ大神に深く感謝したという。
中国の経書『孝経』より
福岡城の鶴
筑前福岡城の封内にて鶴を捕らえたところ、その翅(つばさ)に小碑を抱えていた。そこで小碑に刻まれた四文字を書き留めたという。なお、この鶴は源頼朝が放った鶴であろうと伝えられ、四文字は長寿の符であると云われた。
また、"この符を帯びれば転倒することが無い"とも云われることから、近世には専ら符に この四文字を記して帯びるようになったという。
筑前福岡城の封内にて鶴を捕らえたところ、その翅(つばさ)に小碑を抱えていた。そこで小碑に刻まれた四文字を書き留めたという。なお、この鶴は源頼朝が放った鶴であろうと伝えられ、四文字は長寿の符であると云われた。
また、"この符を帯びれば転倒することが無い"とも云われることから、近世には専ら符に この四文字を記して帯びるようになったという。
加藤清正の例
加藤清正は文禄・慶長の役の時、サムハラを武器の刃に彫りつけて信じていたために万死に一生を得たという。
加藤清正は文禄・慶長の役の時、サムハラを武器の刃に彫りつけて信じていたために万死に一生を得たという。
徳川光貞の例
紀州藩主・徳川光貞が鷹狩の際に日銃で雉の子を射ったところ、命中したのに絶命しなかった。そこで、その雉の子を捕えて身体を調べさせると、風切羽に"サムハラ"の金札が結び付けてあった。
そこで これを記録し、この出来事を以って近臣にサムハラの金札を与えると、この噂が広まってサムハラの四字について問合せが殺到した。そのため、徳川光貞は近臣に悉くサムハラの金札を与えるようになったという。
紀州藩主・徳川光貞が鷹狩の際に日銃で雉の子を射ったところ、命中したのに絶命しなかった。そこで、その雉の子を捕えて身体を調べさせると、風切羽に"サムハラ"の金札が結び付けてあった。
そこで これを記録し、この出来事を以って近臣にサムハラの金札を与えると、この噂が広まってサムハラの四字について問合せが殺到した。そのため、徳川光貞は近臣に悉くサムハラの金札を与えるようになったという。
『耳嚢』の奇談
天明2年(1782年)、新見愛之助という小姓が登城の時に馬ごと坂の下に落ちたが怪我がなかった。
他の者に理由を聞かれると領民から送られた守護札を見せ「領民が野においてキジを矢で射たが当たらず、逃げようともしない。弓がうまい者たちが競ったが駄目であった。
このキジを捕まえたところ背中にサムハラの4文字が書いてあった。『この文字を書いた札を懐に入れておくと良いことがある』と流行った。」と語った
江戸時代の珍談・奇談集「耳嚢(みみぶくろ)」巻2より
天明2年(1782年)、新見愛之助という小姓が登城の時に馬ごと坂の下に落ちたが怪我がなかった。
他の者に理由を聞かれると領民から送られた守護札を見せ「領民が野においてキジを矢で射たが当たらず、逃げようともしない。弓がうまい者たちが競ったが駄目であった。
このキジを捕まえたところ背中にサムハラの4文字が書いてあった。『この文字を書いた札を懐に入れておくと良いことがある』と流行った。」と語った
江戸時代の珍談・奇談集「耳嚢(みみぶくろ)」巻2より
『仙境異聞』の記述
慶長年間に大樹公が狩で発見した鶴の羽にあった文字(サムハラの文字)が怪我避けとして広まり、寅吉が仙骨の人の符字のようなものに見たが、「ジヤク、コウ、ジヤウ、カウ」というように聞いたがよく知らないと言ったという記述がある
平田篤胤の神道書「仙境異聞(せんきょういぶん)」(上)三之巻より
慶長年間に大樹公が狩で発見した鶴の羽にあった文字(サムハラの文字)が怪我避けとして広まり、寅吉が仙骨の人の符字のようなものに見たが、「ジヤク、コウ、ジヤウ、カウ」というように聞いたがよく知らないと言ったという記述がある
平田篤胤の神道書「仙境異聞(せんきょういぶん)」(上)三之巻より
『秉穂録』の記述
「福岡で鶴を捕ったところ、鶴の翼に「さむはら」という四文字の符字があった。長命の符字であるだろうと人々はこれを写し取って帯びた。
また斎藤実盛の位牌が淡路のある寺にあり、位牌の背にこの四文字がある。最近、江戸でこの符字を帯びた人が落馬したが怪我が無かったので、これを帯びることが流行した。」という記述がある。
岡田挺之の随筆「秉穂録(へいすいろく)」より
「福岡で鶴を捕ったところ、鶴の翼に「さむはら」という四文字の符字があった。長命の符字であるだろうと人々はこれを写し取って帯びた。
また斎藤実盛の位牌が淡路のある寺にあり、位牌の背にこの四文字がある。最近、江戸でこの符字を帯びた人が落馬したが怪我が無かったので、これを帯びることが流行した。」という記述がある。
岡田挺之の随筆「秉穂録(へいすいろく)」より
國安仙人の例
日本最後の仙人とされる國安仙人が、信者に与えたタク字びよる霊符の最初の4文字がサムハラの文字(読みは「けん しょう けん ご」)であったという。
日本最後の仙人とされる國安仙人が、信者に与えたタク字びよる霊符の最初の4文字がサムハラの文字(読みは「けん しょう けん ご」)であったという。
近年の報告
・南川幾治:大東亜戦争時、自分の隊の待機濠が空襲に遭ったが、偶然 待機濠を離れていたために九死に一生を得た
・浜木綿子:昭和39年2月、梅田コマ劇場で公演中に事故に遭ったが、サムハラの御守によって怪我を免れた
・山本利助:昭和39年6月、カナダで交通事故に遭ったが、サムハラの御守によって奇跡的に怪我を免れた
・桃井忠雄:山陽新幹線六甲山トンネル工事現場にて、出血多量の事故に遭った従業員が一命を取り留めた
・右近義隆:昭和57年4月、自動車接触事故に遭ったが助かった
・松本武夫:昭和57年10月、クリーニングハンガー製造機で指を落としそうになったが、神環が支えになって助かった
・宇野豊蔵:昭和61年1月、自動車が石垣塀に激突して潰れたが、自分と運転手は無傷であった
・南川幾治:大東亜戦争時、自分の隊の待機濠が空襲に遭ったが、偶然 待機濠を離れていたために九死に一生を得た
・浜木綿子:昭和39年2月、梅田コマ劇場で公演中に事故に遭ったが、サムハラの御守によって怪我を免れた
・山本利助:昭和39年6月、カナダで交通事故に遭ったが、サムハラの御守によって奇跡的に怪我を免れた
・桃井忠雄:山陽新幹線六甲山トンネル工事現場にて、出血多量の事故に遭った従業員が一命を取り留めた
・右近義隆:昭和57年4月、自動車接触事故に遭ったが助かった
・松本武夫:昭和57年10月、クリーニングハンガー製造機で指を落としそうになったが、神環が支えになって助かった
・宇野豊蔵:昭和61年1月、自動車が石垣塀に激突して潰れたが、自分と運転手は無傷であった
その他
・淡路の寺にある斎藤実盛の位牌の背にはサムハラの文字が書かれているが、経緯は地元の人も知らない
・雷山千如寺(福岡県)は"サムハラの身代の御守"の授与所として大衆の信仰を集めている
・特攻隊員が所持していた短刀にはサムハラの文字が刻印され、守り刀とされたいた例がある
・民間で作られた厭勝銭にサムハラ銭があり、弾除けのお守り(祈念銭)として出征兵士に持たせたものであるとされる
・水屋神社(三重県)の御朱印にはサムハラと璽していたが、宮司も読み方や意味を知らなかったという
・合気道の創始者・植芝盛平は旧綾部藩主・九鬼隆治と出合い、「九鬼武産」をサムハラと読むと教わったという
・小説家・飯尾憲士は『さむはら』という本を著している
・淡路の寺にある斎藤実盛の位牌の背にはサムハラの文字が書かれているが、経緯は地元の人も知らない
・雷山千如寺(福岡県)は"サムハラの身代の御守"の授与所として大衆の信仰を集めている
・特攻隊員が所持していた短刀にはサムハラの文字が刻印され、守り刀とされたいた例がある
・民間で作られた厭勝銭にサムハラ銭があり、弾除けのお守り(祈念銭)として出征兵士に持たせたものであるとされる
・水屋神社(三重県)の御朱印にはサムハラと璽していたが、宮司も読み方や意味を知らなかったという
・合気道の創始者・植芝盛平は旧綾部藩主・九鬼隆治と出合い、「九鬼武産」をサムハラと読むと教わったという
・小説家・飯尾憲士は『さむはら』という本を著している
参考資料:ウィキペディア「サムハラ神社」、神奈備にようこそ「サムハラ神社」、サムハラ神社資料
境内の見どころ
鳥居
サムハラ神社の鳥居です。
石碑
サムハラ神社の石碑には"サムハラ"の文字が刻まれています。
崇敬者の体験談
サムハラ神社の石垣には、崇敬者の体験談が貼り付けられています。
拝殿
サムハラ神社の拝殿です。
神紋
サムハラ神社の神紋です。
社務所
サムハラ神社の社務所です。
入口に御神環(指輪御守)の在庫状況が貼られています。
合気道道場
サムハラ神社の境内には合気道の道場があります。
門柱
サムハラ神社の門柱です。
"サムハラ神社"と刻まれています。
銭形肌守
サムハラ神社で授与される肌守です。
"サムハラ"の四字が刻まれた銭形の御守であり、1000円で受けることができます。
なお、この肌守は"身に付けると護身の神徳が得られる"とされています。
御神環
サムハラ神社で授与される御神環です。
サムハラの文字が刻まれた銀製の護身の指輪であり、3000円で受けることができます。
人気が高く、なかなか手に入らないそうです(予約や号数指定もできないとされる)。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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