人文研究見聞録:石切劔箭神社上之社(石切神社上之宮) [大阪府]

大阪府東大阪市にある石切劔箭神社上之社(いしきりつるぎやじんじゃうえのしゃ)です。

石切駅からほど近い坂の上に鎮座しており、石切劔箭神社下之社(本社)の奥の院に当たります。

祭神は本社と同様に、饒速日尊(ニギハヤヒ)・可美真手命(ウマシマデ)の二柱の神を祀っており、皇紀2年(神武天皇即位2年)、出雲平定を命じられた可美真手命が、生地である此の地に饒速日尊を祀ったことに始まるとされています。

なお、本社からは距離があり、かつ、勾配のキツイ坂を上って行かなければならないため、辿りつくまでに大分体力を使います。端から上・下之社の両社を参拝するのであれば、石切駅から上之社 → 下之社(本社)の順で参拝するのが楽だと思います(下り坂になるため)。

ちなみに、上・下之社の間には怪しげな珍スポットが多数存在するため、途中で寄り道しながら目的地を目指すと、楽しみながら参拝することができると思います。

石切劔箭神社(本社)や歴史について詳しくはこちらの記事を参照:【石切劔箭神社】【石切劔箭神社の起源神話】


神社概要

由緒・祭神


石切劔箭神社上之社の由緒・祭神は以下の通りです。

【由緒】

皇紀2年(神武天皇即位2年)、出雲平定を命じられた可美真手命(ウマシマデ)が、生地である当地に饒速日尊(ニギハヤヒ)を祀ったことに始まるとされる。

【祭神】

饒速日尊(にぎはやひのみこと)瓊々杵尊(ニニギ)の兄神に当たり、物部氏の祖神とされる
 → 「徳が高く広く活発で勇猛である者」の意とされる
・可美真手命(うましまでのみこと):饒速日尊の子神に当たる
 → 「立派な徳を有している者」の意とされる

両神併せて「石切大明神」と総称される

石切神社上之社の見どころ

鳥居

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石切神社上之社の鳥居です。

坂道の方向指示に従って進むと見えてくる鳥居ですが、この先もさらに坂道が続きます。

参道

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石切神社上之社の参道です。

勾配はやや緩やかになりますが、まだまだ坂道が続きます。

牛の像

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石切神社上之社の牛の像です。

参道の途中にある親子連の牛像であり、これも本社同様「献牛祭」に因むものと思われます。

石階段

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石切神社上之社の石階段です。

この階段を登れば坂道は終わり、目の前には拝殿が控えています。

お百度石

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石切神社上之社のお百度石です。

本社同様、ここでも「お百度参り」がポピュラーなようで、「お百度紐」も用意されています。

上之社は参拝客が少ないため、こちらの方が廻りやすいかもしれませんね。

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拝殿前の石

拝殿

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石切神社上之社の拝殿です。

白石が敷き詰められた境内に鎮座しており、奥の本殿には祭神の二柱が祀られています。

なお、本殿には美しい絵が描かれており、なかなか珍しい光景が拝めます。

ちなみに、上之社には長髄彦(ナガスネヒコ)が祀られているとする伝承もあるんだそうです。

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本殿

授与所

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石切神社上之社の授与所です。

祈祷受付や御守類の授与を行っています

神楽殿

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石切神社上之社の神楽殿です(多分)。

祭礼や神事の際に使用される場所だと思われます。

なお、案内板によれば湯神楽なんかも行われるようです。

石切剣箭神社上之社趾碑

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石切神社上之社の上之社趾碑です。

社伝にある可美真手命が饒速日尊を祀った場所の跡地ということでしょうか?

なお、周囲には数多くの石や石材片が点在しています。

石切の御滝

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石切神社上之社にある石切の御滝です。

多数の巨石を組んで造られており、不動明王の石像が安置されています。

なお、滝と称されるものの、その水量は非常に少ないです。

御礼池

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石切神社上之社の御礼池(おれいいけ)です。

本社にある「祈り亀」に託した願いが叶った際、ここにお礼参りをするという習わしになっているようです。

そのため、上之社には祈り亀に対応した「お礼亀」が授与されています。

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御礼亀を納める社殿

婦道神社

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石切神社上之社の境内社・婦道神社(ふどうじんじゃ)です。

祭神に日本武尊(ヤマトタケル)の妃である弟橘姫命(オトタチバナヒメ)を祀っています。

神話では日本武尊の東征の折、相模の海上に暴風が吹き荒れて船が進まなくなったとされます。

そのとき、弟橘姫命が自らの身を海に投じ、その命を以って暴風を鎮めたと云われています。

そのことから、弟橘姫命を日本の婦道の鏡として此処に祀っているのだそうです。

なお、弟橘姫命の父は物部氏の一統である穂積氏の忍山宿禰(オシヤマノスクネ)です。

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婦道神社の社殿

八代龍王社

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石切神社上之社の境内社・八代龍王社です。

祭神は社名から八代龍王と思われますが、読み方すら分かりません(「やしろ」なのか「はちだい」なのか)。

とりあえず、なんらかの龍蛇神を祀っていることは間違いないと思います。

なお、饒速日尊には龍という属性があるとされることから、饒速日尊にまつわる社であるとも考えられます。

八代龍王社の内部

上記について詳しくはこちらの記事を参照:【大物主(オオモノヌシ)とは?】

石切登美霊社

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石切神社上之社の境内社・石切登美霊社(いしきりとみれいしゃ)です。

祭神に長髄彦の妹であり、饒速日尊の妻である三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)を祀っています。

三炊屋媛は饒速日尊の降臨の折、登美の族長であった長髄彦との間を取り持ち、登美族と天孫族を結び付けました。その後、饒速日尊と結婚して子に可美真手命を儲け、大和地方の発展に貢献したとされています。

そのため、生駒霊峰の守護神であり、石切の御母君として祀られているんだそうです。

なお、この変わった形の社殿は、一説によれば竪穴式住居をイメージして造られていると云われています。また、内部中央には黒い磐座が祀られ、その周辺は多くの幣帛(へいはく)で囲まれています。

人文研究見聞録:石切劔箭神社上之社(石切神社上之宮) [大阪府]
内部の様子

これについては「磐座に自我霊をまつる自己研鑚の鎮魂道場であります」と説明されています。ハッキリ言って意味不明な内容ですが、これは恐らく石切神社を運営する「神道石切教」に関連するものと思われます。

ここからはほとんど憶測となりますが、まず、この登美霊社の入口には合掌の絵が描かれています。また、上之社の鳥居付近にある「石切夢観音」の入口にも同様の絵が描かれています。

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入口の合掌の絵
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石切夢観音(現在閉鎖中)

この「石切夢観音」は神道石切教の信徒による寄付金によって建てられた宗教施設なんだそうです。このことから、登美霊社も同様の経緯で建てられた施設であろうと思われます。

また、登美霊社は石切神社の社殿とは全く異なるコンセプトで造られており、かつ、祭神も登美一族となっています。内部様式も、いわゆる神社のそれとは明らかに異なり、独自の形式で祀られているようにも見えます。

上記のことから、登美霊社は天孫族を除いた登美一族の霊を祀る独自の宗教施設ではないかと考えられます。

というのも、登美の族長である長髄彦は『日本書紀』では饒速日命によって殺されています(『先代旧事本紀』では可美真手命によって殺れる)。これについては、饒速日命(または可美真手命)が神武天皇に帰順した後も戦を続けようとしたため、仕方なく殺したと記されています。

しかし、その真相は不明です。史書の流れから見ても、長髄彦の行動は至極当然であるようにも思えます。よって、神武天皇に大和の政権が移譲される際に、天孫族と登美族の間で確執が生まれたのかもしれません。

仮にそうであれば、こうして登美一族を別に祀る独自の宗教施設を設けたとしても不思議ではないと思います。

なお、これに関連して、青森県には『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』という古史古伝が残っています。それには、長髄彦は大和から東北の津軽に逃げのび、兄の安日彦と共にアラハバキ王国を建国したと記されているようです。

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『東日流外三郡誌』の長髄彦
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アラハバキ神

この書は偽書とされますが、これの他にも長髄彦を東北と結び付ける伝承が数多く残されているとされています。

料金: 無料
住所: 大阪府東大阪市上石切町2丁目(マップ
営業: 終日開放
交通: 石切駅(徒歩10分)、新石切駅(徒歩28分)

公式サイト: http://www.ishikiri.or.jp/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。