人文研究見聞録:大物主(オオモノヌシ)とは?

三輪山に鎮座する大神神社の祭神・大物主(オオモノヌシ)について解説します。



一般概要

「大物主」の定義


大物主は「日本神話」の説話の中に数多く登場するものの、その定義は文献によってそれぞれ異なります。また、神社の縁起や祝詞における定義も複数あり、様々な性格を持つ神であるとされています。

『古事記』


・神名なし:海を照らしてやってくる神
・三輪の大物主:神武天皇の時代に登場
・大物主大神:崇神天皇の時代に登場

『日本書紀』


大国主の別名:大国主登場時に記載
・神名なし:海を照らしてやってきた大国主の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)
・大物主神:国譲り後に天津神に従った国津神の首長
・大物主神:崇神天皇の時代に登場

『先代旧事本紀』


・神名なし:白装束に天のズイ槍を持ち、海を照らしてやってきた神(神名なし)
 → オオナムチの幸魂・奇魂・術魂(じゅつみたま)の神と名乗る
・大物主神:オオナムチの別名(スサノオの系譜に登場する)

『古語拾遺』


・大物主神:オオナムチの別名(=大国主=大三輪神とされる)

『三輪山縁起』


・三輪大明神:大物主とは記されない

『出雲国造神賀詞』


・大物主櫛甕玉(おおものぬしくしみたま):大穴持(大国主神)の和魂(にぎみたま)

「大神神社」


・倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト):大物主の正式名称とされる
・大物主大神:大物主の祭神名
・三輪明神:大物主の別名とされる

「日本神話」における国造りの際に「海を照らしてやってきた神」は、いずれも「大物主」とは名乗っていません。三輪山に鎮座したとありますが、「海を照らしてやってきた神」は「大物主」なのでしょうか?


「大物主」の神話


正史および、それに準ずる史料には、大物主についての以下のような神話が記されています。

『古事記』


・国造りの際に海を照らしてやってきて、三輪山に祀られることで国造りに協力した
・矢に化けて、セヤダタラヒメという美しい少女を孕ませ、神武天皇の皇后・イスケヨリヒメを儲ける
・崇神天皇の時代、国に疫病を流行らせて祟りをもたらした(子孫を神主にし、自らを祀らせることで収拾する)
・イクタマヨリビメのもとへ通って、大物主を祀ったオオタタネコを儲けた(オオタタネコの出自)

『日本書紀』


・国造りの際に海を照らしてやってきて、三輪山に祀られることで国造りに協力した(異伝のみ)
・国譲りの後、事代主と共に天津神に従った(天津神に従う国津神の首長)
・葦原中国平定後、謀反を危惧したタカミムスビによって娘のミホツヒメを娶らされる
・天孫降臨の後、タカミムスビに八百万の神の族長に任命される
・崇神天皇の時代、国に疫病を流行らせて祟りをもたらした(子孫を神主にし、自らを祀らせることで収拾する)
・ヤマトトトヒメを娶るが、正体である蛇の姿を見せた時に驚かれたため、祟りをもたらして殺す(三輪山神話)
・ヤマトトトヒメの墓とされる箸墓古墳の築造の際、夜にそれを協力したとも

『先代旧事本紀』


・国造りの際、天のズイ槍を持ち 白装束姿で海を照らしてやってきて、三輪山に祀られることで国造りに協力した
・国譲りの後、事代主と共に天津神に従った(天津神に従う国津神の首長)
・葦原中国平定後、謀反を危惧したタカミムスビによって娘のミホツヒメを娶らされる
・天孫降臨(オシホミミの降臨)の後、タカミムスビに八百万の神の族長に任命される

『古語拾遺』


・天孫降臨の後、タカミムスビに八百万の神の族長に任命される


「大物主」の性格


神話や大神神社の伝承によれば、大物主は以下のような性格を持つ神とされています。

・蛇神とされている
水神、雷神としての性格を持つ
稲作豊穣、疫病除け、酒造りなどの神とされる
・国の守護神である(武神とされることもある)
・祟りなす強力な神ともされている
大国主の分霊とされるため、大黒天として祀られることも多い


「大物主」の子孫


大物主の子孫とされる氏族、人物は以下の通りです。

「海を照らしてやってくる神」の子孫


・甘茂君(かものきみ):賀茂氏
・大三輪君(おおみわのきみ):大神氏
・姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメ):神武天皇の皇后(日本書紀)

「大物主」の子孫


・櫛御方命(クシミカタ)大物主の子(古事記)
・飯肩巣見命(イヒカタスミ):大物主の孫(古事記)
・建甕槌命(タケミカヅチ):大物主の曾孫(古事記)
・オオタタネコ:大物主を祀る神主となった
 → 大物主の玄孫(古事記)
 → 大物主の子(日本書紀)
 → 三輪君(三輪氏)の先祖


『ホツマツタヱ』による定義

ヲシテ(神代文字)で記された古文書である『ホツマツタヱ』には『記紀』と似通った神話が記されていますが、オオモノヌシの定義が『記紀』とは全く異なります。また、当文献には「オオモノヌシ」と「オオモノヌシカミ」の2種類の定義があるようです。

オオモノヌシについて


・ソサノヲが出雲を建国した後に生まれたオホナムチは、アマテルより初代の「モノヌシ」に任命される
 → 「モノヌシ」とは、天 (中央政府) の直属の役人である「モノノベ」を統括する役職を指す
 → 「モノヌシ」には、「コトシロヌシ」「ソエモノヌシ」「ムラジ」 という補佐が付く
  ⇒ 「コトシロヌシ」とは「モノヌシ」の業務を代行・補佐する役職であり、オホナムチの子のクシヒコが初代
・オホナムチ以降は その直系の長男が世襲する形で交替し、綏靖朝頃のアタツクシネまで続いたとされる
 → この流れは、『古事記』にあるオオクニヌシの出自とリンクする
  ⇒ ちなみに『古事記』における「オオクニヌシ」は、『ホツマツタヱ』における「クシミカタマ」に相当する
・クシタマホノアカリが大和(春日県)の統治を命じられると、天からアスカ政権が分立する
 → この際、天とは別に「モノヌシ」が立てられたことから、天のモノヌシは「オオモノヌシ」と呼ばれる
  ⇒ ちなみにクシタマホノアカリとはニニキネ(ニニギ)の兄であるが、ニギハヤヒとは別人である
・ニニキネの時代あたりから、オオモノヌシは「ツルギヲミ」と呼ばれて地の政(軍事・秩序)を司るポストとなる
 → この対象に天の政(祭祀・政務)を司る「カガミヲミ」が存在する


オオモノヌシカミについて


・『ホツマツタヱ』におけるオオモノヌシカミとは「ミモロヤマに祀られた神霊の総称」を指す
 → オホナムチの子のクシヒコは、アマテルから授けられたアメノサカホコを持ってミモロヤマの洞で没した
  ⇒ クシヒコは「オオクンヌシ(大国主)」「ヱビス(恵比寿)」「ヤマトオオクニタマ(倭大國魂)」でもある
 → その後、オホナムチの前に「海原から光るもの」が現れて「サキミタマ、クシヰワサタマ」と名乗った
  ⇒ オホナムチの独断でアオカキヤマ(ミモロヤマ)に祀られた
  ⇒ クシヰワサタマはクシミカタマ(5代目オオモノヌシ)として生まれたとされる
・「ミモロカミ」「ミワオオカミ」「オオミワカミ」も同神を指すとされる
・崇神天皇の時代に国民の半数が死ぬと、夢の中に現れてアドバイスを告げる
 → これにより、オオモノヌシカミの後裔であるオオタタネコを祭主として大神神社に祀られることになる

神霊についての補足


『ホツマツタヱ』では「肉体」の他に「霊魂(神霊)」が存在するという概念を前提としており、生者であっても肉体に宿る神霊によって功績を立てられたとするケースが多数ある。

その顕著な例がオホナムチであり、「海原から光るもの」が現れて 自ら「我は汝のサキミタマ、クシヰワサタマである。我あればこその汝である、故に汝は おおよそに成功したのだ」と説明している(『記紀』における「海を照らしてやってくる神」の説話に相当)。

そのため、ミモロヤマで祀られた神とは"オホナムチのサキミタマと名乗る神霊"ということになる。なお、"サキミタマ"も固有名詞ではなく、"人に宿る上位神霊"のことを指すと捉えられる。

ちなみに、ヤマトタケ(日本武尊)は「自らのサキミタマはソサノヲである」とし、これを祀るための氷川神社を創建している。

なお、『ホツマツタヱ』は学術的な研究が進められていないため、一般的には知られていません。よって、この記述は"このような情報もある"という意味合いで載せています。

参考サイト:ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳オオモノヌシ・オオモノヌシカミ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)


仮説・考察

「海を照らしてやってきた神」について(『記紀』と『正統竹内文書』における説)


人文研究見聞録:大物主(オオモノヌシ)とは?

冒頭の「定義」に記した通り、「海を照らしてやってきた神」については どの史書も「大物主」とは記されません。よって、これらの神が同一であるとするには疑問符が残ります。なぜ神名が書かれなかったのでしょうか?

それについて、73世武内宿禰(大臣を担う氏族)こと竹内睦泰氏によれば、以下のように説明されています。

「海を照らしてやってきた神 = 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」説



・スサノオの四男に当たる「大年神(オオドシ)」が「ニギハヤヒ」である
・「ニギハヤヒ」の正式名称は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命」である
・オオドシのアマテラスは「海照(海を照らす)」と表記する
・オオドシは出雲から東遷し、大和を平定したため「国照(くにてらす)」と呼ばれる
・オオドシは、大和を治めていたナガスネヒコ(ヒノモトショウグンとも)を屈服させて従わせた
・三輪山の神は蛇体で現れるとされるが、実は龍体である(モデルとなったのが「千と千尋の神隠し」のハクである)

人文研究見聞録:大物主(オオモノヌシ)とは?
ハク(ニギハヤミコハクヌシ)

上記のことを参考にすれば、『古事記』における以下の謎が解けます。

・国造りにおいて三輪山に鎮座した神が「海を照らしてやってきた神」とされること
・国造りの直後に「大年神」の系譜が記されていること
・この神が「大物主」とは表記されないこと

つまり、この説では「海を照らしてやってきた神 = 大年神 = 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)」ということになります。

そして、「大年神(ニギハヤヒ)」は出雲から出て大和を治め、その後の子孫が「大物主」となって大和に君臨したとも考えられます。

なお、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)」は、丹後の元伊勢・籠神社の祭神の「彦火明命(ホアカリ)」と同神であるとも云われています。

この神社は、紀元前より存在した創祀の古い神社として知られており、境内には「磐座」や「狛龍」が多数安置されており、「古神道」および「龍神信仰」を基調としているということが窺い知れます。

よって、三輪山に鎮座する大年神(ニギハヤヒ)は龍蛇神であり、出雲系の神々が支配する古代日本では、磐座を祀り龍神を尊崇するという「龍神信仰」があったということが言えるのではないでしょうか?


「大物主」の世襲名説(『ホツマツタヱ』における説)


大物主」は多くの性格を持ち、文献においても神代から人代まで長期に渡って登場する神です。「大物主(オオモノヌシ)」という神名は、「称号」もしくは「世襲名」であるという説が唱えられています。

『ホツマツタヱ』によれば、「大物主」とは固有名詞を指す名ではなく「世襲される役職名である」とされていることから、『記紀』において「大物主」が多くの性格を持ち、長期に渡って存在していることにも合点が行きます。

そして、古代に軍事を司ってきた「物部氏」とは「大物主の部下(の後裔)」を指すとも言えると思います。

物部氏についてはこちらの記事を参照:【物部氏とは?】


大神神社と金刀比羅宮で祀られる大物主について(『ホツマツタヱ』における説)


『ホツマツタヱ』によれば、役職名では無いオオモノヌシの定義として「オオモノヌシカミ」が存在し、これは「三諸山(三輪山)に祀られている神の総称」とされています。

なお、当文献には「神武天皇即位前年10月20日、アタツクシネを久米県主に任じて神を祀る社を造らせ、オオミハカンナミ(大三輪神奈備)とした」とあります。

一方、大神神社の主祭神は かつて「倭大物主櫛甕魂命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)」であったとされており、『ホツマツタヱ』でオホナムチのサキミタマの顕現とされる「クシミカタマ(5代目オオモノヌシ)」と神名が一致します。

また、当文献には「クシミカタマは父のツミハ(4代目オオモノヌシ)の死後に阿波県に遺骸を納め、自ら著した文(ホツマツタヱ)を社(金刀比羅宮)に置いた」とあります。

これについても金刀比羅宮の主祭神は「大物主神(オオナムチの和魂)」であり、『金刀比羅宮御由緒略』によれば「大物主大神は天照皇大神の御弟建速盞鳴命の御子に坐して、御母は刺国若姫命(サシクニワカヒメ)と申されます」とあります。

さらに、「金毘羅様(こんぴらさま)は元々はワニの神と言われる」という点が、クシミカタマの斎名(いみな)である「ワニヒコ」と一致し、加えて境外社の事知神社の祭神が「積羽八重事代主神(ツミハヤエコトシロヌシノカミ)」となっていることから、多くの点が『ホツマツタヱ』の記述と一致します。

よって、大神神社金刀比羅宮で祀られる大物主は『ホツマツタヱ』における「クシミカタマ」を指しているものと考えられます。

ちなみに、金刀比羅宮について調べてみれば「金毘羅権現」は「インド神話に登場するクンビーラ(マカラ)というワニを神格化した水神に由来し、日本では蛇型とされる」とも云われているようです。

これに対し、『ホツマツタヱ』には「クシミカタマ」に関して「ワニヒコ」という斎名以外にワニにまつわる属性は無いのですが、「オオモノヌシカミ」については「モモソヒメはオオモノヌシカミの妻になったが昼には見えず、会うのはいつも夜だった。そこでモモソヒメが明るいところで会いたいと乞うとオオモノヌシカミは了承し、朝方に小蛇になって櫛笥の中に入っていた」というような説話が記されています。オオモノヌシカミと蛇神が結びつくのは この点ぐらいしかありません。


上記の説の符合性について


『ホツマツタヱ』には『古事記』の「出雲系の神話」と重複する部分がほとんど無いので、出雲系の神々に関する検証が難しいです。また、「クシタマホノアカリ(天火明命)」「ニギハヤヒ(饒速日命)」「オオトシ(大年神)」を結び付けるような内容も記されていません。

なお、『ホツマツタヱ』より関連性の高い情報をピックアップすると、以下のようになります(時系列順)。

・オホナムチは出雲を譲った後、津軽に国替えされることになった
 → この後、アメノホヒが出雲の祭主となった
 → オホナムチは一族を連れて津軽を開拓し、壮大で絢爛なウモトミヤを築いた
 → オホナムチはカルキミとして臣に復帰することになる
・春日県(大和地方)は元々ヰチチ(アメノコヤネの父)が治めていた
・ヰチチが老年のために春日県の治めを退くと、後任にクシタマホノアカリ(天火明命)が据えられた
 → クシタマホノアカリはニニキネの兄であり、斎名をテルヒコという
・クシタマホノアカリがアスカ央君となると、フトタマ(天太玉命)とカグヤマツミ(天香語山命)が臣に就いた
・クシタマホノアカリの死後、世嗣が無かったためホノアカリ(火明命)の子であるクニテル(国照)が後任に就いた
 → クニテルが選任された際、アマテルより「十種宝」と「アマテラスニギハヤヒキミ」という尊名を賜った
 → ニギハヤヒはフトタマの孫であるミカシヤヒメ(三炊屋媛)を后とした
 → ミカシヤヒメの兄であるナガスネヒコ(長髄彦)と名乗ってカグヤマの臣と名乗った
・オホナムチが自画自賛していると、"海原から光るもの"がやって来た
 → その光は「汝のサキミタマ、クシヰワサタマである」と名乗り、オホナムチの功績を自らの力によるものと告げた
 → オホナムチがサキミタマに対して宮を造ってやろうと提案すると、サキミタマは拒否した
 → そこでオホナムチは独断でアオカキヤマ(三輪山)に住ませることを決め、宮を造って祀った
 → すると、サキミタマはオオモノヌシに世嗣が無くなることを予言し、それを回避するためのアドバイスを告げた
 → これによってツミハの子のクシミカタマ(ワニヒコ)を、オオモノヌシのフキネの養子にして予言を回避した
 → なお、クシミカタマは、オホナムチのサキミタマの顕現であるとされる
・フキネの死後、クシミカタマは5代目オオモノヌシに就任する
 → ヰツセ(神武の兄)が多賀の央君になると、クシミカタマは その剣臣を勤める
 → ナガスネヒコが春日の神庫から代嗣文を盗み写す事件が起こると、ヰツセは恐れて筑紫に避難する
 → この際、クシミカタマが代殿(関白)となり、ネ国を治める
・この後に神武東征が始まる

なお、『古事記』における「オオクニヌシ」はスサノオの六世孫とされますが、『古事記』における系譜を『ホツマツタヱ』に照らし合わせていくと「クシミカタマ」に当たります。

これと上記の流れを鑑みると、上記の「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命説」における時代はウガヤ朝(神武天皇の前)の頃の出来事を指すのではないかと考えられます。

また、「クシミカタマ」の行動は『古事記』における「オオクニヌシ」「オオモノヌシ」の要素の一端を担っていると取れ、『古事記』における「オオクニヌシ」は「サキミタマ」という点で同一視される「オオナムチ」「クシミカタマ」を混同しているようにも取れます(厳密に言えばオオナムチの子のコトシロヌシの要素も含む)。

上記の説の符合性を説くには分からないことが多すぎるため これ以上は何とも言えませんが、少なくとも「オオモノヌシ」という神を紐解くに当たって「クシミカタマ」という神は外せない要素であると言えると思います。

matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。