人文研究見聞録:四国八十八ヶ所51番札所 熊野山石手寺 [愛媛県]

愛媛県松山市石手にある石手寺(いしてじ)です。

四国八十八箇所霊場の第五十一番札所であり、本尊に薬師如来を祀る真言宗豊山派の寺院となっています。

道後温泉の温泉街から東へ徒歩20分ほど歩いた場所に位置しており、その道中には多様な仏像が立ち並んでいます。なお、伊佐爾波神社から石手寺までの小道は「風土記の丘」と呼ばれ、飛鳥・奈良時代の史跡とされています。

境内には様々な仏像や仏堂などが犇めき合うように乱立しており、多様な御利益を謳う諸仏が祀られています。そのほか、暗闇の洞窟を潜り抜ける「マントラ洞窟」や、珍妙な仏像群が見られる「奥の院」など、アトラクション的な要素を含む見どころも多数あります。

さらに僧が読み上げる経文が延々とスピーカーで流され続ける(時期にもよる?)という稀代の珍スポットとなっています。そのため、参拝目的を幅広く定めることができる見どころ満載な寺院と言えるでしょう。

お遍路の基礎知識についてはこちらの記事を参照:【お遍路とは?】


寺院概要

縁起

寺伝によれば、神亀5年(728年)、伊予国の太守・越智玉純(おちのたまずみ)が夢の中でこの地を霊地と悟り、熊野十二社権現を祀ったとされ、後に聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基(ぎょうき)が薬師如来刻み、それを本尊として開基したとされています。

なお、創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったとされますが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされているそうです。

また、寛平4年(892年)に河野氏に生まれた子供が石を握っていという「衛門三郎再来の伝説」によって寺名を石手寺と改められ、河野氏の庇護を受けて、平安時代から室町時代まで最盛を迎えたとされています。

本尊

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・薬師如来(やくしにょらい):東方の浄瑠璃世界の主で、12の誓願を起こし、生ある全てのものを救う仏
 → 真言:オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
 → 本地垂迹説において、スサノオの本地とされた

衛門三郎再来の伝説

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衛門三郎(えもんさぶろう)とは四国霊場にまつわる伝説上の人物であり、遍路の元祖とされています。その伝説は、石手寺の寺名にまつわる内容となっているため、それを以下に紹介したいと思います。

平安時代の天長年間の頃、伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷の豪農の衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。

あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じてその僧を追い返した。しかし、翌日も その翌日も何度も僧は現れた。8日目、怒った三郎が僧が捧げていた鉢を竹箒で叩き落とすと、鉢は8つに割れてしまった。すると僧も姿を消した。だが、実はこの僧は弘法大師であった。

僧が姿を消すと、その時から8人いた三郎の子が毎年1人ずつ亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。子を全て亡くして、悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れると、三郎は僧が大師であったことに気付き、恐ろしいことをしてしまった後悔した。そして、懺悔の気持ちから、田畑を売り払って家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出た。

しかし、二十回巡礼を重ねたが大師には出会えず、何としても巡り合いたいという気持ちから、今度は逆に巡礼すると、その途中で阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまった。

死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことである。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。

その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めた。また、その石は「玉の石」と呼ばれて寺宝となったという。

境内の見どころ

石手寺の境内には色々ありすぎて、非常に雑然としています。一言で言えばカオスです。

そのため、確認した場所を掻い摘んで紹介していきたいと思います。

仏像群

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石手寺の仏像群です。

参道および、境内のあらゆる場所に様々な仏像が安置されています。

山門(二王門)

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石手寺の山門(二王門)です。

鎌倉後期(1318年)の建立とされ、国宝に指定されています。

なお、門の左右には仁王像が配され、門の裏側には巨大なわらじが飾られています。

本堂

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石手寺の本堂です。

本尊に薬師如来を祀っており、国の重要文化財に指定されています(鎌倉末期建立)。

堂宇の前には、密教の法具である「金剛杵(こんごうしょ)」の巨大オブジェが安置されています。

なお、毎年10月下旬から11月上旬までは内部が公開され、本尊を拝顔することができます。

大師堂(落書堂)

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石手寺の大師堂です。

本尊の弘法大師像は、間近で拝顔できるようになっています。

なお、堂宇の裏の壁には、かつて正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されていたそうです。

しかし、戦時中に塗り直され、現在は参拝者の落書きで溢れています。

三重塔

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石手寺の三重塔です。

鎌倉末期の建立とされ、国の重要文化財に指定されています。

なお、この周りでは、四国八十八箇所のお砂踏みができるようになっています。

※お砂踏み:各霊場札所それぞれの「お砂」を札所と捉えて、その「お砂」を踏みながら参拝すること

訶梨帝母天堂

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石手寺の訶梨帝母天堂(かりていもどう)です。

訶梨帝母尊(鬼子母神)を祀る御堂であり、安産に霊験あらたかとされています。

なお、妊婦は御堂の周りの石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返すという風習があるそうです。

阿弥陀堂

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石手寺の阿弥陀堂です。

阿弥陀如来を祀る御堂となっています。

護摩堂

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石手寺の護摩堂です。

室町初期の建立とされ、国の重要文化財に指定されています。

十二社権現

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石手寺の十二社権現です。

寺伝に登場する熊野十二社権現とされています。

弥勒堂

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石手寺の弥勒堂です。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)を祀る御堂となっています。

マントラ洞窟

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石手寺のマントラ洞窟です。

密教における金剛界と胎蔵界をモチーフにした簡単な修行道場とされています。

中は真っ暗闇であり、洞内を巡礼して仏の心を発見することを目的としたものとされています。

なお、拝観料は100円となっています。

詳しくはこちらの記事を参照:【石手寺のマントラ洞窟】

奥の院(五百羅漢)

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石手寺の奥の院です。

マントラ洞窟を抜けた先に位置しており、大小無数の仏像を安置する仏教(密教)のテーマパークとなっています。

拝観料は無料であり、中では怪しい諸仏の数々を拝むことができます。

詳しくはこちらの記事を参照:【石手寺の奥の院(五百羅漢)】

料金: 無料
住所: 愛媛県松山市石手2丁目9-21(マップ
営業: 7:00~17:00
交通: 道後温泉駅(徒歩19分)、伊予鉄バス「石手寺前」下車

公式サイト: http://nehan.net/
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。