別宮大山祇神社 [愛媛県]
2015/11/26
愛媛県今治市にある別宮大山祇神社(べっくおおやまづみじんじゃ)です。
伊予国一宮の大山祇神社の別宮であり、四国八十八ヶ所55番札所の南光坊の隣に鎮座しています。
なお、戦時中の今治空襲を免れた拝殿は、戦国時代の建築物として愛媛県の有形文化財に指定されているそうです。
神社概要
歴史
社伝によれば、大宝3年(703年)、越智玉澄が文武天皇の勅命によって大三島の大山祇神社から祭神を勧請し、大山祇神社の別宮(地御前)としたのに始まるとされています。なお、和銅5年(712年)に社殿が造営され、それ以降は大山祇神社の社家・大祝家の分家の別宮氏が神職を勤めたとされます。
鎌倉初期の正治年間(1199~1200年)には、大山祇神社の24の僧坊のうちの8坊が別宮に移されて別当寺・大積山光明寺を称し、それまで四国八十八箇所の55番札所は大三島の大山祇神社であったとされますが、参拝不便のために別宮大山祇神社(光明寺)が札所とされたそうです。
また、戦国時代には、天文20年(1551年)には落雷で社殿が炎上するも天正3年(1575年)に来島通総により再建されたとされます。なお、僧坊8坊は天正年間(1573~1592年)に長宗我部元親の四国平定の際に焼き払われ、後に南光坊のみが再建されたそうです。
近世以降は、藤堂高虎をはじめとする歴代今治藩主の保護を受けて栄え、明治時代の神仏分離令によって南光坊が独立したことから、南光坊が四国八十八ヶ所55番札所となって現在に至るとされています。
祭神
主祭神
・大山積大神(おほやまつみおおかみ):大山祇神社からの勧請であり、社名と祭神の表記が異なる。
・大山積大神(おほやまつみおおかみ):大山祇神社からの勧請であり、社名と祭神の表記が異なる。
大山積大神(由緒書による説明)
祭神の大山積大神は天照大神の兄神であり、山の神々の親神に当たり、和多志大神(わたしのおおかみ)とも云われる。
日本民族の祖神として、また、地神、海神、兼備の大靈神として、海上の安全、交通、産業の守護をはじめ、日本の国土全体の守護神であることから、古代より日本総鎮守と尊称されている。
※概ね『記紀』を引用しているとされるが、『記紀』には天照大神の兄という表現は無い(国産みで先に生まれたとされるのみ)。また、『日本書紀』ではコノハナサクヤヒメの母とされるため、男神と断定することはできない。
祭神の大山積大神は天照大神の兄神であり、山の神々の親神に当たり、和多志大神(わたしのおおかみ)とも云われる。
日本民族の祖神として、また、地神、海神、兼備の大靈神として、海上の安全、交通、産業の守護をはじめ、日本の国土全体の守護神であることから、古代より日本総鎮守と尊称されている。
※概ね『記紀』を引用しているとされるが、『記紀』には天照大神の兄という表現は無い(国産みで先に生まれたとされるのみ)。また、『日本書紀』ではコノハナサクヤヒメの母とされるため、男神と断定することはできない。
関連社
阿奈婆神社
別宮大山祇神社の境内社・阿奈婆神社(あなばじんじゃ)です。
大三島の阿奈波神社から勧請された神社であり、昔から「阿奈婆さん」と呼ばれて親しまれているとされています。
なお、祭神には大山積大神の長女に当たる磐長姫大神(イワナガヒメ)を祀っています(コノハナサクヤヒメの姉神)。
神徳は「延命長寿」や「福徳円満」であり、特に「下の病」に御利益がある神社とされています。
そのため、大三島の本社には男根形の御神体が祀られており、別宮には男根形の巨大な石像が祀られています。
男根形の石像 |
境内社
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別宮大山祇神社の境内社は以下の通りです(阿奈波神社を除く)。
・奈良原神社:楢原山の山頂の奈良原神社分霊を祀る
・清高稲荷神社:稲荷神を祀る
・荒神社:三宝荒神・大穴牟遅神を祀る(社殿は江戸時代に摩利支天宮として建てられたもの)
・清高稲荷神社:稲荷神を祀る
・荒神社:三宝荒神・大穴牟遅神を祀る(社殿は江戸時代に摩利支天宮として建てられたもの)
境内の見どころ
鳥居
別宮大山祇神社の鳥居です。
扁額には創建時の別名「日本総鎮守 三島地御前」と表記されています。
拝殿
別宮大山祇神社の拝殿です。
今治空襲を免れた戦国時代の建造物とされ、愛媛県の有形文化財に指定されているそうです。
本殿
別宮大山祇神社の本殿です。
御神木
別宮大山祇神社の御神木です。
磐境の前に賽銭箱が置いてあります。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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