東雲神社 [愛媛県]
2015/11/21
愛媛県松山市にある東雲神社(しののめじんじゃ)です。
松山城の東に位置しており、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社の一つとされています。
なお、神社には能面、狂言面、能衣装などが保存されており、近年では例大祭で「東雲能」が披露されるようです。
神社概要
由緒
江戸時代後期(1823年)、松山藩11代藩主の松平定通が仮宮を造営し、藩祖・松平定勝の神霊を仮勧請して息長福玉命と称えたことに始まるとされています。
その後、藩祖・松平定勝の嫡男・松平定吉の神霊を境内の祠へ勧請し、12代藩主・松平勝善の時代に東雲大明神の神号授与を受けて神霊を正式に勧請したことから、藩崇敬の神社となったそうです。
しかし、昭和20年(1945年)7月の松山大空襲によって社殿の多くを焼失したとされています。
それによって、戦後は松山城の西堀端にあった松山大神宮(伊勢神宮の分社)を東雲神社の社殿跡地に奉遷し、昭和48年(1973年)に神明造りの社殿が完成した後、松山大神宮と東雲神社の神霊を合祀奉斎する神社となったそうです。
祭神
東雲神社の祭神は以下の通りです。
・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ):伊勢神宮内宮の主祭神(かつての松山大神宮の祭神)
・豊受大神(とようけのおおかみ):伊勢神宮外宮の主祭神(かつての松山大神宮の祭神)
・天穂日命(アメノホヒ):久松松平家の家祖神
・菅原道真(すがわらのみちざね):久松松平家の家祖とされ、天満大自在天神とも
・息長福玉命(おきなかさきたまのみこと):藩祖・松平定勝の神霊であり、東雲大明神とも
・奇足玉命(くしたるたまのみこと):伊予松山藩11代藩主・松平定通
・真都栄命(まつさきのみこと):伊予松山藩16代藩主・松平定昭
・稚国玉命(わかくにだまのみこと):藩祖松平定勝の嫡男・松平定吉
・豊受大神(とようけのおおかみ):伊勢神宮外宮の主祭神(かつての松山大神宮の祭神)
・天穂日命(アメノホヒ):久松松平家の家祖神
・菅原道真(すがわらのみちざね):久松松平家の家祖とされ、天満大自在天神とも
・息長福玉命(おきなかさきたまのみこと):藩祖・松平定勝の神霊であり、東雲大明神とも
・奇足玉命(くしたるたまのみこと):伊予松山藩11代藩主・松平定通
・真都栄命(まつさきのみこと):伊予松山藩16代藩主・松平定昭
・稚国玉命(わかくにだまのみこと):藩祖松平定勝の嫡男・松平定吉
境内の見どころ
一の鳥居
東雲神社の一の鳥居です。
神門
東雲神社の神門です。
二の鳥居
東雲神社の二の鳥居です。
拝殿
東雲神社の拝殿です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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