道後温泉 [愛媛県]
2015/11/22
愛媛県松山市にある道後温泉(どうごおんせん)です。
愛媛県の代表的な観光名所であり、『日本書紀』や『風土記』などにもその名が登場する古い歴史を持っています。そのため、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)と合わせて日本三古湯の一つに数えられています。
温泉街は道後温泉本館を中心に飲食店やお土産屋が軒を連ねる商店街となっており、飲食には まず不自由しません。また、駅周辺には各種観光スポットや神社仏閣、史跡、博物館など、数多くの見どころが点在しています。
なお、歴史が古いことから神代より様々な伝説が残されており、そのいくつかは国史にも登場しています。そこで、温泉街の見どころと歴史に残る伝説を中心に道後温泉についてまとめてみたいと思います。
共同浴場
道後温泉本館
道後温泉の道後温泉本館です。
道後温泉の中心にある温泉(共同浴場)であり、温泉街のシンボル的な存在として親しまれています。
また、夏目漱石の小説『坊つちやん』に登場し、『千と千尋の神隠し』の「油屋」のモデルになったことでも有名です。
そのほか、施設周辺には神話や伝説にちなむ石や石碑などが安置されています。
なお、浴場のコースは4種類で、料金によってサービスが異なります(その内訳は以下の通りです)。
・神の湯階下(410円):神の湯の入浴のみ(一般的な銭湯と同じ)
・神の湯二階(840円):神の湯の入浴。2階の大広間で休憩(浴衣、煎餅が付く)
・霊の湯二階(1250円):霊の湯、神の湯の入浴。新殿の見学。2階の広間で休憩(浴衣、煎餅が付く)
・霊の湯三階個室(1550円):霊の湯、神の湯の入浴。新殿を見学。3階の個室で休憩(浴衣、団子が付く)
・神の湯二階(840円):神の湯の入浴。2階の大広間で休憩(浴衣、煎餅が付く)
・霊の湯二階(1250円):霊の湯、神の湯の入浴。新殿の見学。2階の広間で休憩(浴衣、煎餅が付く)
・霊の湯三階個室(1550円):霊の湯、神の湯の入浴。新殿を見学。3階の個室で休憩(浴衣、団子が付く)
上記のとおり、一般的な日帰り温泉と比べても比較的安価でサービスも良い方だと思われます。
料金: 410円、840円、1250円、1550円(コースによる)※子供は半額以下
住所: 愛媛県松山市道後湯之町5番6号
営業: 6:00~23:00(休止時間は異なる)
交通: 道後温泉駅(徒歩4分)
公式サイト: http://www.dogo.or.jp/pc/time/
住所: 愛媛県松山市道後湯之町5番6号
営業: 6:00~23:00(休止時間は異なる)
交通: 道後温泉駅(徒歩4分)
公式サイト: http://www.dogo.or.jp/pc/time/
椿の湯
道後温泉の椿の湯です。
道後温泉本館の付近にあり、道後温泉の2大共同浴場として知られています(地元客の利用が多いとされる)。
ちなみに、湯名は聖徳太子が行啓した際、椿が枝が差し交すように生い茂る様子を讃えたことに由来するとされます。
そのため、太子は記念に碑文を遺したとされ、温泉の前にはそれに因む石碑が立てられています。
なお、利用料金は大人400円、小人150円であり、入浴用品も比較的安価で販売されています。
料金: 大人400円、小人150円
住所: 愛媛県松山市道後湯之町19-22
営業: 6:30~23:00(休止22:30)
交通: 道後温泉駅(徒歩3分)
公式サイト: https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/dogoonsen/honkan/tubaki.html
住所: 愛媛県松山市道後湯之町19-22
営業: 6:30~23:00(休止22:30)
交通: 道後温泉駅(徒歩3分)
公式サイト: https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/kankomeisho/dogoonsen/honkan/tubaki.html
温泉街の見どころ
道後温泉商店街
道後温泉の商店街です。
道後温泉駅から道後温泉本館にかけて広がるアーケード街であり、お土産屋や飲食店が軒を連ねています。
なお、道後温泉本館が明治時代の建造物であることから、明治のロマンをテーマにした雰囲気になっています。
そのため、愛称も「道後ハイカラ通り」としており、人力車で観光することもできます。
放生園
道後温泉の放生園です。
商店街の入口にある小公園であり、からくり時計、足湯、湯釜のほか、伝説を記した案内板などがあります。
からくり時計
道後温泉のからくり時計です。
道後温泉本館の振鷺閣をモチーフにした時計であり、時間が来ると時計台が稼働して音楽が流れます。
この時計の稼働時に登場する人形は、夏目漱石の小説『坊っちゃん』の登場人物なんだそうです。
なお、時計の稼働時間は8:00~22:00の1時間毎とされています(特別期間は30分ごと)。
足湯
道後温泉の足湯です。
からくり時計の隣にあり、無料で浸かることができます。
なお、道後温泉本館の北東に広がるホテル旅館街にも、無料で浸かれる手湯や足湯がいくつかあります。
道後温泉駅
道後温泉最寄りの道後温泉駅です。
道後温泉街へ続く路面電車の駅であり、明治時代の駅舎を復元した明治洋風建築となっています。
なお、夜間はライトアップされて、観光地の雰囲気を盛り上げる仕様になっています。
坊っちゃん列車
道後温泉駅の坊っちゃん列車です。
夏目漱石の小説『坊つちやん』の中に登場する列車を復元したものであり、松山の観光シンボルとされています。
なお、小説の主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになったそうです。
道後温泉の歴史・伝説
道後温泉の歴史
道後温泉の冠山(かんむりやま)からは、約3000年前の縄文中期の土器・石鏃(せきぞく)が出土していることから、日本国内でも一際古い3000年もの歴史を持つといわれており、日本最古級の歴史を持つ温泉とされています。
また、史実においては、645年の大化改新以後、現在の今治市の辺りに伊予国の国府が置かれ、京から見て国府よりも遠い地域は「道後」と呼ばれたことから、後世に温泉を中心とする一帯が「道後温泉」と呼ばれるようになったとされています。
なお、『日本書紀』には、白村江の戦いの前に斉明天皇が泊まったことや、天武天皇の時代に白鳳地震によって出湯が停止したことなどが記されています。
白鷺伝説
道後温泉は一羽の白鷺(しらさぎ)が発見したと伝えられる。
昔、足に傷を負って苦しんでいた一羽の白鷺が、谷間の岩間から湧き出る温泉を見つけ、毎日飛んできて足を浸していたところ、傷は完全に癒えて勇ましくに飛び去った。
これを見た人々は大変不思議に思い、入浴してみると疲労は回復し、病人もいつの間にか全快したという。以来、人々はこの温泉を盛んに利用されるようになった。
そして、そのとき白鷺が休んでいたとされる石を鷺石(さぎいし)と呼び、温泉の湧き出た谷を鷺谷(さぎたに)と呼ぶようになった。
昔、足に傷を負って苦しんでいた一羽の白鷺が、谷間の岩間から湧き出る温泉を見つけ、毎日飛んできて足を浸していたところ、傷は完全に癒えて勇ましくに飛び去った。
これを見た人々は大変不思議に思い、入浴してみると疲労は回復し、病人もいつの間にか全快したという。以来、人々はこの温泉を盛んに利用されるようになった。
そして、そのとき白鷺が休んでいたとされる石を鷺石(さぎいし)と呼び、温泉の湧き出た谷を鷺谷(さぎたに)と呼ぶようになった。
なお、後世の人達は道後温泉の伝説を記念するために鷺谷に鷺石を置いたとされますが、現在は放生園に移されて保存されています。
大穴持命と宿奈比古那命(伊予国風土記逸文)
神代の昔、オオナムチ(大国主神)とスクナヒコナが伊予の国を旅していたところ、少彦名命が急病に苦しんだ。
オオナムチは大分の「速見の湯(別府温泉)」を海底に管を通して道後と引き、スクナヒコナを温泉に浸して温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだスクナヒコナは石の上で踊りだしたという。
以来、この湯は神代の時のみならず、後世も病に苦しむ人々を癒す薬の湯とされた。
オオナムチは大分の「速見の湯(別府温泉)」を海底に管を通して道後と引き、スクナヒコナを温泉に浸して温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだスクナヒコナは石の上で踊りだしたという。
以来、この湯は神代の時のみならず、後世も病に苦しむ人々を癒す薬の湯とされた。
なお、スクナヒコナが上に乗って舞ったという石は、道後温泉本館の北側に「玉の石」として安置されています。また、道後温泉本館の湯釜には、この伝説をモチーフとして二柱の神が彫り込まれています。
聖徳太子来湯(伊予国風土記逸文)
聖徳太子は恵慈法師と葛城臣を連れて伊予の温泉に訪れた。
そのとき、温泉の岡側に碑文を立て、その場所を伊社邇波(いさには)の岡と名付けた。伊社邇波という名の由来は、この国の人々がその碑文を見て願えばいざなひ(誘われて)来る。よって伊社邇波という。
法興※6年10月、伊予の村に3人で遊びに来た聖徳太子は、神井(不思議な井戸)を見て、その霊妙な温泉を絶賛して碑文一首を作ったという(以下がその碑文とされています)。
そのとき、温泉の岡側に碑文を立て、その場所を伊社邇波(いさには)の岡と名付けた。伊社邇波という名の由来は、この国の人々がその碑文を見て願えばいざなひ(誘われて)来る。よって伊社邇波という。
法興※6年10月、伊予の村に3人で遊びに来た聖徳太子は、神井(不思議な井戸)を見て、その霊妙な温泉を絶賛して碑文一首を作ったという(以下がその碑文とされています)。
惟(おも)ふに、夫れ、日月(ひつき)は上に照りて私せず。神の井は下に出でて給へずといふことなし。
萬機(まつりごと)はこの所以(ゆゑ)に妙に應(あた)り、百姓(おほみたから)はこの所以に潜(ひそ)かに扉す。若乃(すなは)ち、照らし給へて偏私(かたよ)ることなきは、何ぞ、國を寿(ひさ)しくすること華臺の隨(まにま)に開け合ひたるに異ならむ。
神の井に沐(ゆかはあ)みて疹(やまひ)を瘳(いや)すは、詎(なに)ぞ、花池(くわち)に落ちて弱きを化(かへ)ししに舛(たが)はむ。
山岳(やま)の巖崿(いはぎし)を窺ひ望みて、反(かへ)りて子平(しへい)のごと往かまく冀(こひねが)ひ、椿樹(つばき)は相廕(あひおほ)ひて穹窿(おほぞら)なし、實(まこと)に五百(いほ)つ蓋(きぬがさ)を張れるかと想ふ。
臨朝(あした)に鳥啼きて戲れさへづる。何ぞ亂(さや)げる音(こゑ)の耳に聒(かしま)しきを曉(さと)らむ。丹(に)の花は葉を卷(あつ)めて映照(てりは)え、玉の菓(このみ)は葩を彌(おほ)ひて井に垂る。
其の下を經過ぎて優に遊ぶべし。豈(あに)、洪灌(こうくわん)・霄庭(せうてい)の意を悟るのみならむや。才拙(をぢな)くして、實に七歩を慚づ。
後出(のちのよ)の君子(さかしひと)、幸(ねが)はくはな蚩咲(あざわら)ひそ。
萬機(まつりごと)はこの所以(ゆゑ)に妙に應(あた)り、百姓(おほみたから)はこの所以に潜(ひそ)かに扉す。若乃(すなは)ち、照らし給へて偏私(かたよ)ることなきは、何ぞ、國を寿(ひさ)しくすること華臺の隨(まにま)に開け合ひたるに異ならむ。
神の井に沐(ゆかはあ)みて疹(やまひ)を瘳(いや)すは、詎(なに)ぞ、花池(くわち)に落ちて弱きを化(かへ)ししに舛(たが)はむ。
山岳(やま)の巖崿(いはぎし)を窺ひ望みて、反(かへ)りて子平(しへい)のごと往かまく冀(こひねが)ひ、椿樹(つばき)は相廕(あひおほ)ひて穹窿(おほぞら)なし、實(まこと)に五百(いほ)つ蓋(きぬがさ)を張れるかと想ふ。
臨朝(あした)に鳥啼きて戲れさへづる。何ぞ亂(さや)げる音(こゑ)の耳に聒(かしま)しきを曉(さと)らむ。丹(に)の花は葉を卷(あつ)めて映照(てりは)え、玉の菓(このみ)は葩を彌(おほ)ひて井に垂る。
其の下を經過ぎて優に遊ぶべし。豈(あに)、洪灌(こうくわん)・霄庭(せうてい)の意を悟るのみならむや。才拙(をぢな)くして、實に七歩を慚づ。
後出(のちのよ)の君子(さかしひと)、幸(ねが)はくはな蚩咲(あざわら)ひそ。
なお、この碑文は「伊予湯岡碑」と呼ばれて湯の岡の傍らに建てられたとされますが、現物は未だに発見されておらず、道後温泉最大の謎とされているそうです。それに伴い椿の湯付近には「聖徳太子碑」が立てられ、この伝説を現在に伝えています。
また『伊予国風土記』には、太子のほかにも景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)・天智天皇・天武天皇など、多くの皇族が行幸したと記されています。
※法興という年号は私年号であり国史には登場しないが、「法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘」や『伊予国風土記』に記載される
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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