西久保八幡神社(飯倉八幡宮) [東京都]
2015/12/19
東京都港区虎ノ門にある西久保八幡神社(はちまんじんじゃ)です。
平安中期に創建された八幡宮であり、別名「飯倉八幡宮」とも呼ばれているそうです。
なお「関ヶ原の戦い」の砌、崇源院(お江)が徳川方の戦勝を祈願し、戦勝後に社殿と神像を寄進したとされています。
由緒
社伝によれば、寛弘年中(1004~1012年)に源頼信(みなもとのよりのぶ)が石清水八幡宮の神霊を勧請して、当初は榎坂(霞ヶ関の周辺)に創建したとされています。その後、太田道灌の江戸城築城に際し、現在地に遷座したそうです。
また、二代将軍・徳川秀忠の正室である崇源院(お江)は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、家康と秀忠の戦勝と安全を祈願し、その報賽として社殿を造営し、同時に御神体である八幡宮座像・仲哀天皇座像・神功皇后座像と不動明王立像・愛染明王座像を奉納したとされています。しかし、これらは享保8年(1723年)の火災により焼失してしまったそうです。
なお、明治期までは八幡山普門院という東叡山の末寺だったとされますが、神仏分離令で廃寺となり、その後 神社に改められたとされています。
また、昭和期には境内地から縄文時代後期の貝塚が発見されており、現在は「西久保八幡貝塚」として東京都の史跡に指定されています(完形土器も数点出土したとされている)。
祭神
西久保八幡神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・品陀和気命(ホンダワケ):第15代応神天皇(八幡神)
・息長帯比売命(オキナガタラシヒメ):神功皇后(仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)
・帯中日子命(オキナカツヒコ):第14代仲哀天皇(応神天皇の父)
・品陀和気命(ホンダワケ):第15代応神天皇(八幡神)
・息長帯比売命(オキナガタラシヒメ):神功皇后(仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)
・帯中日子命(オキナカツヒコ):第14代仲哀天皇(応神天皇の父)
鳥居
西久保八幡神社の鳥居です。
拝殿
西久保八幡神社の拝殿です。
稲荷社
西久保八幡神社の末社・稲荷社です。
祭神に宇迦之御魂神(ウカノミタマ)を祀っています。
人麿社
西久保八幡神社の末社・人麿社(ひとまろしゃ)です。
祭神に柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祀っています。
庚申社
西久保八幡神社の末社・庚申社(こうしんしゃ)です。
祭神は猿田彦神(サルタヒコ)であり、社殿には庚申塔が祀られています。
不発弾
西久保八幡神社の境内には、不発弾が安置されていました。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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