柿本神社(柿本山影現寺) [奈良県]
2015/12/19
奈良県葛城市柿本にある柿本神社(かきのもとじんじゃ)です。
奈良時代に歌聖・柿本人麻呂を改葬して奉祀したと伝わる古社であり、毎年の人麻呂公の命日には例祭が行われます。
なお、当地はかつて人麻呂公の領地であり、住居跡だったとされ、周辺には独自の人麻呂伝承も伝えられています。
また、隣にある影現寺(ようげんじ)は、真済上人によって神宮寺として創建された寺院とされています。
神社概要
由緒
案内板によれば、宝亀元年(770年)、石見国(現・島根県益田市)で死去した柿本人麻呂を、かつて人麻呂の領地であった当地に改葬し、その傍らに「人麻呂堂」と呼ばれる神社を建立したことに始まるとされています。
その後、空海の直弟子・真済上人(しんぜい)によって影現寺が創建され、柿本神社を護る神宮寺とされたそうです。
なお、境内の案内板には以下のように記されています。
柿本山 影現寺の沿革
柿本山 影現寺は、斉衡2年(858年)※に弘法大師空海の直弟子である真済上人によって開かれた十一面観音菩薩を本尊とする高野山真言宗の寺院です。
元来、この地には影現寺の創建前から、柿本人麻呂を祀る柿本神社があり、一説には真済上人は柿本人麻呂と又従兄弟の関係にあると言われており、苦難の人生を歩んできたと思われる柿本人麻呂を弔うために、また、神格化された柿本人麻呂を祀る柿本神社を護る神宮寺として建立されました。
柿本神社の周辺地域は、持統・文武朝の時代(687~707年)に『万葉集』最高の歌人と賞された「柿本人麻呂が持統天皇から領地を賜って居住した所」という言い伝えがあり、石見国で死去した人麻呂を、宝亀元年(770年)、この地に改葬し、その傍らに「人麻呂堂」と呼ばれた神社を建立したと伝えられています。
拝殿の南側の「柿本太夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑は、江戸時代藩州明石から転封となった大和郡山藩主・松平信之が元和元年(1681年)建てたものである。云々
※案内板では「済衝」となっており、また、「858年」は「天安2年」に当たるため、なぜこのように表記されているかについては謎である
柿本山 影現寺は、斉衡2年(858年)※に弘法大師空海の直弟子である真済上人によって開かれた十一面観音菩薩を本尊とする高野山真言宗の寺院です。
元来、この地には影現寺の創建前から、柿本人麻呂を祀る柿本神社があり、一説には真済上人は柿本人麻呂と又従兄弟の関係にあると言われており、苦難の人生を歩んできたと思われる柿本人麻呂を弔うために、また、神格化された柿本人麻呂を祀る柿本神社を護る神宮寺として建立されました。
柿本神社の周辺地域は、持統・文武朝の時代(687~707年)に『万葉集』最高の歌人と賞された「柿本人麻呂が持統天皇から領地を賜って居住した所」という言い伝えがあり、石見国で死去した人麻呂を、宝亀元年(770年)、この地に改葬し、その傍らに「人麻呂堂」と呼ばれた神社を建立したと伝えられています。
拝殿の南側の「柿本太夫人麻呂之墓」と刻まれた石碑は、江戸時代藩州明石から転封となった大和郡山藩主・松平信之が元和元年(1681年)建てたものである。云々
※案内板では「済衝」となっており、また、「858年」は「天安2年」に当たるため、なぜこのように表記されているかについては謎である
祭神
柿本人麻呂 |
柿本神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・柿本人麻呂朝臣(かきのもとひとまろ):飛鳥~奈良時代の宮廷歌人で、歌聖とも称される
→ 史書には具体名が登場しないため、主に『万葉集』に載せられた和歌から人物像が推測されている
⇒ 哲学者・梅原猛の『水底の歌』では、石見国の「鴨嶋」という小島に流罪となったと推測されている
⇒ 境内には「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思う」と刻まれた歌碑がある
→ 案内板によれば、境内地はかつて人麻呂公の居住地であったとされ、石見国から当地に改葬されたと伝わる
→ 案内板によれば、人麻呂公と真済上人は又従兄弟の関係にあるという
・柿本人麻呂朝臣(かきのもとひとまろ):飛鳥~奈良時代の宮廷歌人で、歌聖とも称される
→ 史書には具体名が登場しないため、主に『万葉集』に載せられた和歌から人物像が推測されている
⇒ 哲学者・梅原猛の『水底の歌』では、石見国の「鴨嶋」という小島に流罪となったと推測されている
⇒ 境内には「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思う」と刻まれた歌碑がある
→ 案内板によれば、境内地はかつて人麻呂公の居住地であったとされ、石見国から当地に改葬されたと伝わる
→ 案内板によれば、人麻呂公と真済上人は又従兄弟の関係にあるという
柿本人麻呂について
柿本人麻呂 |
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とは、飛鳥~奈良時代の宮廷歌人であり、和歌集『万葉集』における代表的な歌人として、後世には歌聖(かせい)と呼ばれ称えられています。
しかし、正史には名前が登場しないため、その人物像については詳しくは分かっていない謎多き人物です。江戸時代には、国学者によって草壁皇子の舎人として仕えたと推定されています。
通説では、天武朝に歌人として仕え、天皇を神格化するために和歌を詠んでいたと考えられているようです(持統天皇の御代に活躍したとみられている)。
ただし、人麻呂公の生没については諸説あり、柿本村の伝承によれば、「人麻呂は柿本邑出身の石見守・柿本宗人の子であり、母の死後は当村に住んで、依佐良姫を娶って当地で没した。また、依佐良姫の墓は根成柿村の天満神社の境内にあるという」と言い伝えられているようです。
チンポンカンポン祭
柿本神社では、人麻呂の命日とされる毎年4月18日に「チンポンカンポン祭」と呼ばれる祭礼が行われます。
この変わった祭名は、かつて会式の神事の間に打ち鳴らしていた太鼓や鉦、笛の音に由来しているそうです。しかし、この会式の神事は戦前までのものであり、戦後からは行われなくなったとされています。
なお、この祭礼は影現寺と共に行われる神仏習合の祭礼であり、現在は「寺院での法要に始まり、神殿での神事を経て、餅撒きで終わる」と言ったような内容になっているようです。
境内の見どころ
鳥居
柿本神社の鳥居です。
拝殿
柿本神社の拝殿です。
軒下には、人麻呂公ゆかりの三十六歌聖の歌が奉納されています。
本殿
柿本神社の本殿です。
鮮やかな朱塗りの社殿となっています。
人麻呂塚(柿本大夫人麻呂の墓)
柿本神社の人麻呂塚です。
天和元年(1681年)10月中旬、藩主・松平信之が「郡山藩の領内に柿本村があり、人麿の墓と伝えるところがある」という伝承を顕彰するために境内に建てた塚とされています。
境内社
柿本神社の境内社です。
祭神などについては不明です。
筆柿
柿本神社の筆柿です。
古来より大事に育てられてきた「ぶどう柿」とされ、明石の柿本神社の筆柿と同じ樹齢と推測されています。
山門
影現寺の山門です。
足元には、四国八十八ヶ所お砂ふみがあります。
四国八十八ヶ所お砂ふみ
影現寺の四国八十八ヶ所お砂ふみです。
此処を踏んで、四国八十八ヶ所巡拝を行うようになっています。
影現寺本堂
影現寺の本堂です。
柿本神社の神宮寺として創建された寺院とされています。
料金: 無料
住所: 奈良県葛城市柿本164
営業: 終日開放
交通: 近鉄新庄駅(徒歩1分)
公式サイト: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,2693,53,214,html
住所: 奈良県葛城市柿本164
営業: 終日開放
交通: 近鉄新庄駅(徒歩1分)
公式サイト: http://www.city.katsuragi.nara.jp/index.cfm/14,2693,53,214,html
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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