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2015年12月6日日曜日

安倍晴明の伝説(『泉州信田白狐伝』による安倍晴明の物語)

人文研究見聞録:安倍晴明の伝説(『泉州信田白狐伝』による安倍晴明の物語)

陰陽師・安倍晴明の経歴は史実上不明点が多く、若かりし頃の経歴は主に伝説として語られています。

晴明伝記の集大成として、江戸中期に誓誉(せいよ)という僧によって編纂された『泉州信田白狐伝(せんしゅうしのだびゃっこでん)』という仏教説話が挙げられ、それによれば晴明は白狐の子とされています。

そうした『泉州信田白狐伝』の内容を以下にまとめて紹介したいと思います。

安倍晴明についてはこちらの記事を参照:【安倍晴明とは?】


『泉州信田白狐伝』による安倍晴明の物語

安倍保名の物語

阿倍仲麻呂の子孫に希名という男がいた。希名は摂津の安倍野に住んでおり、神を敬う毎日を過ごしていた。

ある日、希名に信田明神から「汝、名を末代に残したくば賀茂の神主・藤原保憲のもとへ赴き、陰陽卜筮の道を習うべし」とのお告げ下った。また、同時に藤原保憲、娘の葛子にも同様のお告げが下っていたため、希名は保憲のもとで陰陽道を習うこととなった。

そして、修行を積んで1年後、希名は保憲が先祖代々守ってきた秘密の書の存在を明かされる。その書は「ほき内伝金烏玉兎集」と言い、漢土(中国)から戻れなくなった阿倍仲麻呂が「自分の代わりに子孫に渡してほしい」と保憲の先祖である吉備真備に預けていたものであった。

また、「ほき内伝金烏玉兎集」には、天文歴道の奥義が記されており、その中の「荼枳尼天の法」は、狐に知れると自在に力を発揮できるというものだったため、模型の宮殿にしまい隠していたという。

そして、保憲は希名が仲麻呂の子孫であることを知ったため、希名に他言無用と釘を指し、これを譲った。その際、希名は保憲の娘である葛子と婚約を果たし、保憲から名を一字貰い受け保名と改名した。そして保名は、信田明神にお礼をするべく信太の森に帰った。

その晩、保名が神前で祈っていると、夜なのに外で人の声がした。不審に思い拝殿を出ると、白狐がいきなり駆けこんできた。どうやら狩人に追われているらしい。保名は白狐をかくまうことにした。

白狐は危ない所を保名に救われ、保名に感謝しながら信太の森に消えて行った。

白狐の産んだ安倍童子

保名が帰っている間に、保憲父娘は橘元方の悪謀に嵌められ関東に流刑とされていた。

保名が帰ってから30日目、夕暮れに田を眺めていると、そこに一人の女が見えた。旅人と思われる女をよく見てみると、それは葛子だった。保憲の許しを得て、模型の宮殿を預かった自分のもとへやってきたのだと保名は思った。

その後、2人は共に暮らし始め、葛子は人目を忍ぶために「葛の葉」と名を改めた。しかし、一つだけ奇妙だったのが、葛之葉が「荼枳尼天の法」が納められた模型の宮殿に近づき、扉を開けようとしたことだった。

そして、2人の間に童子(安倍童子)が誕生する。その子が4歳になった時、妙な癖があることが分かった。地面の虫を食べてしまうのである。その悪癖は一向にやまなかった。

時が経ったある日、農夫となって農事に専念していた保名は驚くべき光景を目にした。なんと、遠くからやってきた旅人が保憲と葛子だったのである。保憲は身の潔白が証明され京に戻ることを許されていたのだ。

彼らはその場で再会を喜んだが、合点のいかないことがあった。それは葛之葉のことである。5年も共に暮らし、子までいる葛之葉が2人になってしまった。それを聞いた保憲は、保名を疑ったものの、家の中で見た光景に驚愕した。それが確かに葛子(葛の葉)だったからである。

葛の葉は彼らの様子から事情を察し、我が子を残して泣くなく信太の森へ消えて行った。葛の葉が去った後、保名は葛の葉が宮殿を開けたがっていたことから、過去に助けた白狐だったということを悟った。

その後、葛の葉は改めて保名と再会し、賀茂家の手を離れた「ほき内伝金烏玉兎集」を追って保名に近づいたが、身の程を忘れて恋に落ちたのが過ちだったと告白した。

そして、障子に「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌を残して去っていったとされる。

龍宮童子

安倍童子が10歳になった時の堺住吉祭の折、浜辺がいつになく賑やかだった。浜辺では、子供達が集まって浜に上がった亀をなぶり殺しにしようとしていたのだ。

安倍童子が通りかかると、亀は黄色い涙をこぼし手を合わせて命乞いをしている。安倍童子は亀を助けるために来ていた衣を子供に与えた。

海で亀と遊びながら船祭りを見ようとしていると、一隻の船が近づいてきて、翁が現れ乗れといった。童子が船に乗りこむと、船は沖を出て龍宮城へ至った。

龍宮で歓待された安倍童子は、一夜明けた帰りがけに「龍仙の丸」という二粒の青い玉を貰った。これを耳に入れると鳥語を理解できるという。また、四寸四方の箱も授かり「中に齢を封じてあるから開けてはならぬ。開ければ災難がある」と警告された。

龍宮の一日は地上の9年にあたるのであった。安倍童子が龍宮から地上へ帰ってみると、堺の浜も阿倍野も様子がすっかり変わっており、安倍童子は堺の浜で入水したと噂になっていた。

父の保名も老人になっており、義母の葛子は病死していた。さらに祖父の保憲も、娘の後を追うように亡くなったという。

童子が龍宮にいる間に都にも異変が起こっていた。内裏が焼け落ちたのである。また、新しく造成した宮殿でも、後涼殿から震動が生じ、鎮まらなくなっていた。その震動を鎮めようとしているのが、播磨国の僧、蘆屋道満だった。

もし、道満がその業に成功すれば、天文の学を得た父、保名は一生日蔭者となるだろう。それを察した童子は、「龍宮で手に入れた龍仙の丸を頼みとして、道満と対決する」と父に打ち明けた。

鳥語を理解できる青玉は、すぐに威力を発揮し、2羽のカラスから震動の原因を聞き取った。「震動の原因は菅原道真公の祟りであるがゆえ、後涼殿の乾の角の柱の下にいる青色の蛇と大蛙を掘り出して、鴨河へ流す事だ」と教えられた。

かくして怪事を治めた童子は「竜宮童子」という名で都の評判となった。

道満との対決

橘元方は、お抱えの陰陽師である蘆屋道満が一日一晩かかって占いだした「青色の蛇と大蛙」の一件を、いとも簡単に言い当てた龍宮童子に興味を示した。

それを道満に相談したところ、道満は「自分よりも上位の能力を持つ陰陽師が居るとすれば、安倍保名の一子に違いない」と答えた。さらに道満は龍宮童子に合わせて欲しいとも要求してきた。

そうして、安倍童子と道満との対決が始まった。まず、道満は石を拾ってツバメに変えて見せた。すると童子が指を鳴らして元に戻して見せた。

次に童子が杖ほどの竹をとって水溜りに呪文を掛けると、宮殿が洪水に見舞われ大騒ぎとなった。これに道満は慌てず、拍手で洪水をかき消した。

次に橘元方が柑子(こうじ)の15個入った器を用意させて、「中に入っている物を占ってみよ」と申した。道満はすかさず「柑子が15個入っている」と言い当てた。すると童子は「15匹のネズミが入っている」と答えた。

橘元方は大笑いをし、「童子の負けじゃ」と叫び、器を開けると中から15匹のネズミが飛び出した。童子が柑子を素早くネズミに置き換えたのである。こうして勝負は童子の勝ちとなった。

安倍晴明へ

かくして童子は、安倍保名の長子と名乗った。そして、菅原道真公の怪異を治めた功績により朝廷に用いられ、名を安倍晴明と改めた。また、対決で倒した蘆屋道満を弟子とした。

その後、自らは修行のために漢土(中国)に旅立ち、雍州(ようしゅう)の城刑山にいる白道仙人のもとで天文陰陽を学ぶこととなった。

まず、白道仙人は晴明に四寸四方の箱を投げてよこした。そして「ほき内伝金烏玉兎集」を読むために知らねばならぬ伝は、その箱の中にあると教えてくれた。その箱とは、龍宮でもらった齢を封じ込めた箱だった。

なお、この箱を「簠簋(ほき)」と呼び、「簠(ほ)」は丸い器、「簋(き)」は四角い容器を意味するという。また、丸い器は「天」を、四角い容器は「地」を意味するともいう。

箱を開けた晴明は、陰陽道の奥義を知る代わりに一気に9年も歳をとり、壮年になって帰朝した。

晴明の暗殺と復活

安倍晴明は帰国した後、女犯、飲酒、争論の三つを自らに禁じ、他の貴族と一線を画した。

しかし、蘆屋道満をひいきにする橘元方の強い勧めで、神酒を口にしてしまい、帰宅途中に暗殺されてしまった。

弟子の晴明が暗殺されたことを、文殊堂が焼けたことによって知らされた白道仙人は、「泰山府君の法(たいざんふくんのほう)」を携えて日本に飛来し、一条小橋の墓から晴明の屍を引き出し、白骨を集めて「泰山府君の法」により蘇生させることに成功した。

そして、謀殺を企てた道満も殺されることとなった。ところがまた、道満の死を聞いて、道満の師である法道仙人がすぐに飛来してきた。

白道仙人と法道仙人は談合し、道満と晴明ともども許しを与えて蘇生させ、二人して禁中(御所・天皇を指す)を守護させることで決着した。

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