二田物部神社 [新潟県]
2016/07/03
新潟県柏崎市にある二田物部神社(ふただもののべじんじゃ)です。
越後国二宮であり、主祭神の二田天物部命は弥彦神社の祭神である天香山命と深い関わりにあるとされています。
なお、比較的小規模な神社ですが、非常に雰囲気の良い神社であるため、個人的にオススメです。
神社概要
由緒
由緒書によれば、当社は延喜式内社であり、大和朝廷より弥彦様(天香山命)と共に越後国に遣わされた 二田天物部命(ふたたのあめのもののべのみこと)を奉る古い神社であるとされています。
また、社伝(『二田宮伝記』)によれば、二田天物部命は天香山命(あめのがぐやまのみこと、おやひこさま)に従って高志国(越国)の天瀬(現・三島郡出雲崎町尼瀬)に降臨したとされ、石地(現・柏崎市西山町石地)で天香語山命と別れた後、多岐佐加の二田を献上されたことから、当地を拠点として里を「二田」と呼んだと伝えられているそうです。
なお、二田天物部命は二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたとされ、これを契機に創祀されたものと思われます。
その後、崇神朝に二田天物部命の十二世の裔孫である物部稚櫻命(もののべちざくらのみこと) が、神託によって社を石地から南大崎の浦に遷し、その着船の山を船岡山と呼んだとされます。
また、推古朝(593~628年)には亀岡山の中腹へ、神亀年間(724~729年)には土生田岡へ、弘仁年間(810~824年)には亀岡山の山頂へと遷座を繰り返し、天仁元年(1108年)に亀岡山麓の現社地へ鎮座することになったそうです。
祭神
二田物部神社の祭神は以下の通りです。
主祭神
・二田天物部命(ふたたのあめのもののべのみこと):社伝で天香山命に従って越国に降臨した神とされる
→ 『先代旧事本紀』では、饒速日尊(ニギハヤヒ)の天降りに供奉した「天物部等二十五部人」の一とされる
→ 『新撰姓氏録』では「二田物部」として「神饒速日天降之時従者。二田天物部之後也」と記載される
→ 『神道集』では、本地仏を阿弥陀如来とする
→ 『ホツマツタヱ』ではタカクラシタ(弥彦神)は越国を平定したとある(当文献に二田天物部命の名はない)
→ 『越後野志』では祭神をウマシマジ(宇摩志麻治命)とするが、『特選神名牒』では これをこじつけとしている
配祀神
・物部稚桜命(もののべちざくらのみこと):二田天物部命の十二世孫に当たるとされる
→ 明治40年(1907年)に合祀された若宮神社の祭神
・健御名方命(タケミナカタ):大己貴命の子であり、諏訪大社の主祭神に当たる
→ 明治40年(1907年)に合祀された諏訪神社の祭神
・二田天物部命(ふたたのあめのもののべのみこと):社伝で天香山命に従って越国に降臨した神とされる
→ 『先代旧事本紀』では、饒速日尊(ニギハヤヒ)の天降りに供奉した「天物部等二十五部人」の一とされる
→ 『新撰姓氏録』では「二田物部」として「神饒速日天降之時従者。二田天物部之後也」と記載される
→ 『神道集』では、本地仏を阿弥陀如来とする
→ 『ホツマツタヱ』ではタカクラシタ(弥彦神)は越国を平定したとある(当文献に二田天物部命の名はない)
→ 『越後野志』では祭神をウマシマジ(宇摩志麻治命)とするが、『特選神名牒』では これをこじつけとしている
配祀神
・物部稚桜命(もののべちざくらのみこと):二田天物部命の十二世孫に当たるとされる
→ 明治40年(1907年)に合祀された若宮神社の祭神
・健御名方命(タケミナカタ):大己貴命の子であり、諏訪大社の主祭神に当たる
→ 明治40年(1907年)に合祀された諏訪神社の祭神
二田天物部命について
二田天物部命(ふたたのあめのもののべのみこと)は、当地の伝承では以下のように伝えられているとされます。
二田天物部命は、天香山命(弥彦神社の祭神)に従って天鳥船に乗り、高志国(越国)の磐舟里に至った。上陸した地を天瀬(現・三島郡出雲崎町尼瀬)という。
その後、石地(現・柏崎市西山町石地)で天香山命と別れて、稲作技術を伝えた。すると、多岐佐加の二田を献上されため、 その地に住んで二田と称した。死後は二田土生田山の高陵に葬むられた。
その後、石地(現・柏崎市西山町石地)で天香山命と別れて、稲作技術を伝えた。すると、多岐佐加の二田を献上されため、 その地に住んで二田と称した。死後は二田土生田山の高陵に葬むられた。
なお、二田天物部命は『先代旧事本紀(旧事紀)』という文献にも登場しており、これによれば 饒速日尊(ニギハヤヒ)の降臨に従った「天物部等二十五部人」の一柱であるとされています。また、当文献では天香語山命(天香山命に相当)は神武天皇の東征を助けた高倉下命(タカクラジ)と同神とされますが、越国との関わりは記されていません。
一方、『ホツマツタヱ』という文献によれば「神武朝で越後が初穂を納めなかった際、タカクラシタ(高倉下命)が遣わされて武力を使わずに従えたことから、ヤヒコカミ(おやひこさまに相当)となった」と記されています。当文献には二田天物部命らしき名は登場しないのですが、当地の伝承と照らし合わせれば、これに一致すると思われます。なお、当文献におけるモノノベ(物部)とは「軍事・警察・裁判などを担当する役人」に当たり、オオモノヌシ(大物主)を長とするとされています。
よって、二田天物部命は天香山命と共に越国に降り、後に別れて当地に土着した役人的な神であると考えられます。
境内の見どころ
鳥居
二田物部神社の鳥居です。
朱塗りの両部鳥居であり、境内に二基ほど設置されています。
二田ふれあい交流館
二田物部神社の二田ふれあい交流館です。
中には入っていませんが、トイレがあり、周りには やたらと灰皿が設置されています。
狛犬
二田物部神社の狛犬です。
社殿
二田物部神社の社殿(全景)です。
境内の規模は小さい神社ですが、社殿は非常に美しい建物となっています。
神紋
二田物部神社の神紋は「三つ葉葵」となっています(天領だったためとされる)。
拝殿
二田物部神社の拝殿です。
ガラス張りのような構造になっており、中には龍の木造彫刻があるのが見えます。
なお、内部に木造の狛犬もあるとされますが、中に入ることはできませんでした。
本殿
二田物部神社の本殿です。
古神札焼納書
二田物部神社の古神札焼納書です。
古い御札や御守を納める場所とされています。
御宝物庫
二田物部神社の御宝物庫です。
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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