松原天神(松原神社・松原天満宮) [兵庫県]
2016/12/31
兵庫県西宮市にある松原天神(まつばらてんじん)です。
平安時代に右大臣として活躍した菅原道真が、大宰府に向かう途中に立ち寄ったことに因んで始まったとされています。
また、境内には御守の神・鎮宅霊符神を祀る鎮宅霊符社があることが珍しいです。
神社概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不詳とされますが、祭神の菅原道真公が政敵・藤原時平の讒言によって九州の太宰府に左遷された際、途中で当地に立ち寄って休んだことに因み、道真公の死後に霊を祀る祠が建てられたことに始まるとされています。
なお、由緒書の詳しい内容は以下の通りです。
松原天満宮の由緒
「こちふかば、匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
菅公(菅原道真)は5歳にして和歌を詠じ、寛平4年(892年)に国史二百巻を撰修し、第52代宇多天皇に信任篤く、昌泰2年(899年)に右大臣に累進された。延喜元年(901年)に藤原時平の謗りにより、九州筑紫に下るとき、この地にて休泊された。
同3年(903年)2月25日、菅公は大宰府で薨去され、後に祠を建て祀られたもので、昔は梅林が賑わい、歌塚もあった。今はその姿を再現しつつある。7月の天神まつりは阪神間随一の賑わいをみせる。
「こちふかば、匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
菅公(菅原道真)は5歳にして和歌を詠じ、寛平4年(892年)に国史二百巻を撰修し、第52代宇多天皇に信任篤く、昌泰2年(899年)に右大臣に累進された。延喜元年(901年)に藤原時平の謗りにより、九州筑紫に下るとき、この地にて休泊された。
同3年(903年)2月25日、菅公は大宰府で薨去され、後に祠を建て祀られたもので、昔は梅林が賑わい、歌塚もあった。今はその姿を再現しつつある。7月の天神まつりは阪神間随一の賑わいをみせる。
祭神
松原天神の祭神は以下の通りです。
・菅原道真(すがわらのみちざね):平安中期の政治家(死後、天満天神として信仰される)
境内社
鎮宅霊符社
松原天神にある鎮宅霊府社(ちんたくれいふしゃ)です。
祭神に鎮宅霊符神(御神影:玄武神)を祀る社であり、古史によれば「比の霊神を浄室に奉安して礼拝すれば、火難および一切の災難を免れ、福寿を延長し、子孫栄える」と説明されているそうです。
なお、鎮宅霊符神は「陰陽道における天地創造の中心に位置する宇宙根源の神」であり、「お守りやお札の祖神」として祀られる例もあります。
その他の境内社
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・皇太神宮社:天照皇大神(伊勢内宮祭神)を祀る
・白太夫社:渡会春彦(菅公に随行したとされる伊勢外宮神主)を祀る
・火之御子社:火雷天神(菅公と習合する神)を祀る
・松神社:島田忠臣(菅公の師)を祀る
・福部神社:十川能福(菅公の舎人)を祀る
・白太夫社:渡会春彦(菅公に随行したとされる伊勢外宮神主)を祀る
・火之御子社:火雷天神(菅公と習合する神)を祀る
・松神社:島田忠臣(菅公の師)を祀る
・福部神社:十川能福(菅公の舎人)を祀る
社名・祭神不詳社
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・不詳社(1社)
・夫婦久寿の社:商売繁盛・五穀豊穣に御利益がある(白蛇を祀る)
・緑の木(榎):縁結び・夫婦和合に御利益がある
・夫婦久寿の社:商売繁盛・五穀豊穣に御利益がある(白蛇を祀る)
・緑の木(榎):縁結び・夫婦和合に御利益がある
境内・周辺の見どころ
鳥居
松原天神の鳥居です。
拝殿
松原天神の拝殿です。
内部には太鼓などの祭具や神輿などが安置されています。
臥牛像
松原天神の臥牛像(がぎゅうぞう)です。
祭神の菅原道真にまつわる天満宮のシンボルであり、全国の天満宮に設置されています。
筆塚
松原天神にある筆塚(ふでづか)です。
菅公舊蹟
松原天神の向かいには菅公舊蹟(すがこうきゅうせき)があります。
由緒に因んでいる史跡と思われ、中には北向稲荷神社・漢織・呉織松、染殿池があります。
喜多向稲荷社
菅公舊蹟にある喜多向稲荷社(きたむきいなりしゃ)です。
祭神
・織姫大明神:染色織物・呉服洋服の神
・光玉大明神:産業発展・工場安全の神
・宇賀之魂(ウガノミタマ):稲荷神(衣食住と商売繁盛の神)
・織姫大明神:染色織物・呉服洋服の神
・光玉大明神:産業発展・工場安全の神
・宇賀之魂(ウガノミタマ):稲荷神(衣食住と商売繁盛の神)
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「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。
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