人文研究見聞録:極楽寺(有馬町) [兵庫県]

兵庫県神戸市の有馬温泉地区にある極楽寺(ごくらくじ)です。

飛鳥時代に聖徳太子によって創建された寺院であり、本尊に阿弥陀如来坐像を祀っています。


寺院概要

縁起

『有馬極楽寺史』によれば、推古天皇2年(594年)聖徳太子によって創建された念仏の道場に始まり、平安末期の洪水のために一時は荒廃したとされます。

その後、建久2年(1191年)に仁西に伴って有馬を訪れた河上民部維清(かわかみのみんぶこれきよ)によって移転・再建され、法然(ほうねん)を招いて説法を行ったことにより、寺号を極楽寺としたそうです。

また、江戸時代に当寺に訪れた厭求(えんぐ)によって本尊を始めとする多くの仏像が制作されたものの、火災に遭って焼失し、厭求の法孫である感霊(かんれい)によって当地に再建され、現在に至るとされています。

また、現在の堂宇は天明2年(1782年)に再建されたものであり、そのうちの庫裏は阪神淡路大震災で半壊したものの、修築中に基礎の下から豊臣秀吉が造った湯山御殿の遺構の一部が発見されたそうです。この遺構は神戸市文化財史跡の指定され、現在 太閤の湯殿館にて一般公開されています。

なお、案内板および『有馬極楽寺史』による解説は以下の通りです。

【極楽寺(浄土宗)】

594年、聖徳太子によって創建されました。1996年の庫裏再建のための解体・発掘の結果、豊臣秀吉の湯山御殿跡の遺構が発見され、1997年には神戸市の指定史跡・第2号(伝豊太閤湯山御殿跡)に指定されました。

【有馬極楽寺史】※読みやすいように加筆修正しています

当山は、第33代推古天皇2年(594年)に聖徳太子によって創建された道場であり、始めは今の杖棄橋の東の石倉の地にあったが、承徳元年(1097年)の秋に洪水のために温泉と共に頽廃し、鳥仏師作で聖徳太子の開眼である観世音菩薩尊像のみが残った。

第82代後鳥羽天皇の御代である建久2年(1191年)の2月初旬、有馬温泉の中興の祖・仁西上人(にんさい)に供奉して和州吉野河上の里より来山した河上民部維清(かわかみのみんぶこれきよ)が、温泉の復興と共に十二坊を創設し、当山を現在地に移して一宇を新築し、法然上人(ほうねん)を招いて説法をお願いしたことにより、山号を密曾寺山(みつそじさん)・寺号を極楽寺とした。よって、法然上人は当山の中興の祖となり、河上民部維清は中興の開基である。

その後、第104代後柏原天皇の御代、法然上人真筆の両大師真影が当山に伝来し、これより院号を傅法院・山号を寂静山と改名した。

また、第111代後西天皇の御代である万治2年(1659年)、厭求大和尚(えんぐ)が母の孝養のために来山し、以後十ヶ年留まって当山の本尊である阿弥陀仏坐像および48体の阿弥陀仏、釈尊入涅槃御絵などを制作した。しかし、安永3年(1774年)4月の夜に起きた火災によって類焼してしまった。

この後、厭求の法孫である感霊大和尚(かんれい)によって本堂が再建され、天明元年(1781年)10月に上棟式を挙げ、翌年4月に竣工して現在に至る。

本尊

人文研究見聞録:極楽寺(有馬町) [兵庫県]

・阿弥陀如来(あみだにょらい):西方の極楽浄土の教主で、生あるもの全てを救う仏とされる
 → 極楽寺の本尊は厭求作の阿弥陀如来坐像

境内の見どころ

本堂

人文研究見聞録:極楽寺(有馬町) [兵庫県]

極楽寺の本堂です。

お願い地蔵

人文研究見聞録:極楽寺(有馬町) [兵庫県]

極楽寺にあるお願い地蔵です。

ぼけたらあかん

人文研究見聞録:極楽寺(有馬町) [兵庫県]

極楽寺では『ぼけたらあかん長生きしなはれ』という唄の歌詞が有料で配布されています。

料金: 無料
住所: 兵庫県神戸市北区有馬町1642(マップ
営業: 終日開放
交通: 有馬温泉駅(徒歩9分)

公式サイト:http://www.arima-onsen.com/facility_info114.html
matapon
著者: matapon Twitter
「日本神話」を研究しながら日本全国を旅しています。旅先で発見した文化や歴史にまつわる情報をブログ記事まとめて紹介していきたいと思っています。少しでも読者の方々の参考になれば幸いです。